法然の生涯(十五) 建永の法難

こんにちは。左大臣光永です。日曜日の夜、いかがお過ごしでしょうか?
私は毎日寺の境内で発声練習をするのですが、雨上がりには
よくカエルが聴きにきます。ワアワア声を出してる時に
何か視線を感じるなあとふっと見ると、カエルがじいっと
たたずんでるんですね。やあ、お騒がせします。なんて挨拶すると、
モソモソッと退場していきます。なかなか味わい深い生き物です。

さて本日は「法然の生涯(十五) 建永の法難」です。

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住蓮と安楽

法然に二人の若い弟子がありました。その名を住蓮・安楽といいます。

住蓮・安楽は共に東山鹿谷に庵(鹿谷草庵)を築き、専修念仏の教えを説いていました。彼らはとても美男子で、声がよかったのです。

それも、六時礼賛といって、一日に六回決まった時間に、二人のリードで念仏を即興のリズムに乗せて唱えるのです。

「ああ住蓮さま、うっとりしちゃうわ」
「あら私は安楽さま派よ」

などと特に女性のファンが次々と感化され、浄土門徒になっていきました。

その中に、当の最高権力者・後鳥羽上皇の寵愛していた17歳の松虫姫、19歳の鈴虫姫の姉妹の姿がありました。二人は今出川左大臣の娘で、容姿端麗で学問にもすぐれていたことから、後鳥羽上皇のあつい寵愛を受けていました。しかし、御所での欺瞞に満ちた生活に、松虫・鈴虫姉妹は疑問を感じていたようです。

「安楽さまの説かれる御仏の教えのなんと素晴らしいことでしょう。
うっとりしちゃう。それに比べて御所の暮らしなんて、嘘ばっかり」
「お姉さま、もういっそ、二人して出家しちゃいましょうよ」
「そうね。それが一番ね」

建永元年(1206年)12月、後鳥羽上皇が熊野詣で都を留守にしているスキに、松虫姫と鈴虫姫はひそかに京都小御所を抜け出します。

「どうか私たちを、御仏の弟子にしてくださいまし」
「何をおっしゃいますか。
あなた方は上皇様のご寵愛あつきお方ではないですか」
「いいえ、そんな俗世のしがらみなど、どうでもいいのです。
すぐ髪を下ろさせてくださいまし」

とうとう松虫姫と鈴虫姫は髪を下ろし、出家を遂げました。
後で知った後鳥羽上皇は激怒されます。

「なんということだ!わしの寵愛する松虫と鈴虫を、
たぶらかしおって!!断じて許さんぞ!!」

もともと後鳥羽上皇のもとには興福寺から、専修念仏を取り締ってほしいという奏上がたびたび届ていました。しかし宮中にも法然の信奉者は多く、後鳥羽上皇も慎重に考えていました。それが、この事件によって一転します。

浄土宗に対する激しい弾圧が始まりました。

住蓮と安楽は罪に問われ、住蓮は近江八幡で安楽は六条河原で斬首されました。何も殺さなくてもって気もしますが、やはり最愛の女官を坊主ごときに奪われたという男の嫉妬があったのでしょう。

松虫姫と鈴虫姫は瀬戸内海の生口島(いくちじま 現・尾道市瀬戸田町)の光明坊で念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳で鈴虫姫は45歳で往生したと伝えられます。

住蓮・安楽亡き後「鹿谷草庵」は荒廃しますが、江戸時代に法然院が建てられ、その少し南に、処刑された安楽の名を関した安楽寺が建てられました。

法然院
法然院

法然院
法然院

安楽寺
安楽寺

現在、法然院と安楽寺は「哲学の道」の脇にあります。安楽寺境内には住蓮・安楽の墓、松虫・鈴虫の供養塔があり春と秋のみ一般公開公開されています。

島流しとなる法然

さらに後鳥羽上皇は監督不足であるとして、法然を土佐に島流しにすることに決めました。時に法然75歳。

「法然さま、お体が心配です。
一時、専修念仏はとりやめてはいかがでしょうか」

「そうですよ。ほんの一時、それだけで
上皇さまのお気持ちもおさまるでしょう」

「何を言うか。遠く都を離れ、地方の人々に専修念仏を伝える、またとない機会である。これも、阿弥陀仏のお導きであろう」

「では、一時、念仏を称えることだけでもおよしください。
今は危険でございます」

「たとえ死刑となっても、念仏をやめることはできない」

この時、弟子の親鸞も佐渡へ島流しとなりました。
建永2年(1207年)のことでした。この事件を建永の法難といいます。

すでに九条兼実は政権から退いており、権限が無かったので、法然を救うことができませんでした。いよいよ法然が都をたつ建永二年(1207年)3月16日前夜、九条兼実は東山法性寺(ほっしょうじ)で一晩中名残を惜しみ、惜別の歌を送りました。

ふりすててゆくは別れのはしなれどふみわたすべきことをしぞおもふ

私をお見捨てになって旅立っていかれるのは、今生の別れの始めとなるかもしれませんが、私は上皇さまに赦免上を奏上して、赦免の橋渡しをするつもりです。

法然の返し、

露の身はここかしこにと消えぬともこころはおなじ花のうてなぞ

露のようにはかない人の命はどこで消えてしまうかわかりませんが、浄土の蓮の台の上で再会することことを同じ心に思っていきましょう。

九条兼実は、心の師法然を救えなかったことによほど心を痛めたのか、この別れの後一月もせずに59歳で亡くなっています。

次回「土佐配流」お楽しみに。

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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

解説:左大臣光永

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