法然の生涯(三)黒谷

こんにちは。左大臣光永です。
だいぶ涼しくなり晩酌も楽しみな季節ですね。日曜日の夜、
ゆったりとお過ごしでしょうか?

さて当方は先日、新商品「聴いて・わかる。日本の歴史~院政と武士の時代」を
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この商品にあわせ、前々回から「法然の生涯」をお送りしています。
本日は第三回「黒谷」です。

▼音声が再生されます▼

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その前に前回の訂正です。法然第三の師・皇円阿闍梨がいたのは比叡山の「西塔(さいとう)」ではなく「東塔(とうどう)」でした。訂正してお詫びいたします。

黒谷

久安6年(1150年)18歳の勢至丸は、比叡山東塔の皇円阿闍梨のもとを去り、西塔黒谷の慈眼房叡空上人の弟子となりました。叡空上人は真摯な人柄から「黒谷の聖」とうたわれていた人物です。叡空上人はこころよく勢至丸を迎えます。

「お若いのに…黒谷に来るということがどういうことかおわかりか。まあ出世は望めませんぞ」

「承知の上です。私はただ、天台の教学を、いや、仏教の教え全体を極めたいのです。その先に、解脱への道が示されるのなら」

「ほう…」

少年にして早く出離の心をおこせり、まことにこれ法然道理のひじりなり

『法然上人行状絵図』

少年の身で早くも仏の道に向かう心を起こした。まったく、あるがままの真理の僧である。

叡空はそう言ったと伝えられます。「法然道理」はあるがままの真理。ここから「法然」という号(房号)が生まれます。

以後、法然は18歳から43歳まで25年間を、途中一時下山しますが、この黒谷に過ごし、学問研究に没頭します。

その勉強熱心なさまは、すさまじいほどでした。

数千巻もある一切経を五度読破し、その研究は天台宗のみならず、華厳宗、法相宗、三論宗など他の宗派にも及びました。仏教全体の歴史と理論の中で、天台の教学がどう位置づけられるのか?あくまで全体から部分を見る発想です。視野を広く持っていました。

われ、聖教を見ざる日なし、木曽の冠者(かじゃ)花洛(からく)に乱入のとき、たゞ一日、聖教を見ざりき。

『法然上人行状絵図』

私は経典を読まない日はなかった。木曽義仲が都に乱入した時、ただ一日、経典を読まなかっただけだ。

それほど、法然は学問に打ち込みました。寝ても覚めても、学問でした。

しかし、それほどまでに学問をしても、各宗派の理論を学んでも、そこに解脱に到る道を見出すことはできませんでした。

(どこにあるのだ。私が求めているものは…)

法然は焦ります。一方でただ知識だけは増えていきます。そのことで、師の叡空と、しばしば衝突する場面がありました。

争論

ある時、天台宗で授けられる戒(円頓戒)と、戒を受けたことによって生じる悪を防ぎ善を行う力(戒体)について議論になりました。

叡空はこの分野では師の良忍から教えを直接受けており、比叡山一の専門家でした。

しかし、法然は師の叡空に噛みつき、主張が食い違いました。一歩も主張を譲らない法然に、ついに師匠がキレます。

「ええい、わからず屋がッ!私は円頓戒については師の良忍上人から直接教えを受けている。お前ごとき若造に、どうこう言われる筋ではない」

「それが何です。教えの正しさは、師であろうと、弟子であろうと、関係は無いはずだ。だいたい、戒を受けて人間がよくなるというなら、今のあなたは何です」

「なに!!」

「比叡山の現状をごらんなさい。武器をたずさえ朝廷を威嚇し、日々、出世競争に明けくれている。伝教大師さまも、今の比叡山をごらんになれば、さぞお嘆きになることでしょうな。あなたは比叡山の現状を知りながら、なぜ声を上げないのです?なぜ見て見ぬふりをしているのです?」

「ぐぬぬ…」

「ただ師匠の言うことを正しいと仰いでいれば、それでよいのですか。事実を無視して、理屈ばかり強調してもダメです。実際、あなたには円頓戒の戒体など備わっているようには、とても見えない」

「ぐっ……ぐぬぬぬ……」

カーーーッと逆上した叡空は、傍らなる木枕をひっつかみ、

ボカーーーッ

法然に投げつけ、「もう知らんわ!!」カンカンになって出て行きました。

師弟決裂

またある時、叡空と法然は、念仏について法論を戦わせました。

極楽往生するための方法として、叡空は「観仏がすぐれている」とし、法然は「称名がすぐれている」と主張しました。観仏とは心に仏さまを思い描くこと。称名とは仏の御名を唱えることです。ここでも法然は自説を曲げませんでした。ついに叡空はキレます。

「私の師とする良忍上人も観仏が大事だとおっしゃっていたし、恵心僧都も称名は観仏に次ぐものとされています。観仏がすぐれていることは、比叡山全体が認めるところです。御房がどう主張しようと、観仏のほうがすぐれています」

「あなたはそうやって、何かというと良忍上人を持ち出しますが、
いったい良忍上人がどれほどのものですか」

「な、なに!!」

「すぐに師匠の権威に頼る、その姿勢がダメだと言ってるんです」

「ぐぬぬぬ…」

叡空はカーーーッとなるのをなんとか抑えました。

「そんなに称名がすぐれていると思うなら、御坊一人で唱えなさい。勝手になさい。理屈ばかり言いおって。御坊とはまともな話ができない。もう顔を見たくない。帰りなさい」

「ふん。まともな法論もできないのは貴方ではないか。すぐにキレて、心の狭い方だ」

「ぬぬぬ…小賢しき小僧かな!!」

カーーーッと逆上した叡空は、傍らなる木枕をひっつかみ、

ボカーーーッ

法然に投げつけます。

法然は涼しい顔で言いました。

「私が今言った話は、唐の善導大師の観経疏(かんぎょうしょ)に出ています。後で読んでごらんなさい」

カラカラ。

戸を開けて出ていく法然。

「待て!!」

ついに怒りが頂点に達した叡空は、下駄をひっつかみ、ダダダダダタと追いかけ、

カパーーーン

後ろから、法然に下駄を投げつけました。

下駄は、法然の耳の上をかすめ血が噴き出し出ましたが、法然はぬぐいもせず「では、失礼」ザッ…その場を立ち去りました。

「おのれ法然…もう来るなあッ!!」

叡空のプライドはメチャメチャに踏みにじられました。

こうして時に決裂しながらも、叡空と法然は、生涯にわたって師弟の関係を持ち続けました。

次回「智慧第一」に続きます。

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本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。

解説:左大臣光永

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