第一次長州征伐

9月も半ば過ぎましたが、いかがお過ごしでしょうか?
私は今週土曜日に、滋賀県の大津市伝統芸能館で
木曽義仲の話をしますので、その練習などをしています。
お時間ございます方はぜひ聞きにいらしてください。

「深く知りたい木曽義仲 もっと知りたい巴御前」
日時 9月20日(土)13:00-16:00
場所 滋賀県大津市園城寺町246-24 伝統芸能会館
お問い合わせ 077-527-5236

さて本日は新選組の第33回「第一次長州征伐」です。

士気上がらぬ長征軍

元治元年(1864年)11月。

幕府による長州への大規模な反撃が、
行われようとしていました。

集められた兵力は35藩から15万。

すでに長州征伐軍(長征軍)は大阪に集結し、出撃に備えていました。

また将軍家茂みずから出馬するということも布告されていました。

にも関わらず…長征軍の士気は、きわめて低いものでした。

このころ各藩の財政は悪化しており、
長州征伐どころではなかったのです。

その上、権勢の衰えつつあった幕府が
今回の長州征伐を権勢回復のチャンスと見て、
長らく停止されていた参勤交代を復活しました。

悪名高い、金食い虫の参勤交代をです。
これも諸藩にとって迷惑この上無い痛手でした。

また各藩で幕府に対する不満が高まっている中でしたので、
たった一藩で幕府に牙をむいた長州に対して、
内心「よくやった」と思う者も多くありました。

そもそも武士とはいえ、260年間の泰平に馴れきっており、
実戦経験のある者はわずかでした。

(戦で血を流す…ぶるぶる
そんな剣呑なことにつきあいきれんよ)

(幕府と長州だけのケンカじゃないか。
勝手にやってくれ。こっちを巻き込むな)

…集められた兵士たちは口には出さないものの、
多くはそんな不満を抱いていました。

征長軍総督に指名された尾張藩徳川慶勝(とくがわよしかつ)も、
そんな混迷した状況を見て、再三辞退した末に、無理やり
押し付けられたものでした。

士気が上がろうはずがありませんでした。

ここに征長軍参謀西郷吉之助が、
総督徳川慶勝に提案します。

「目下わが国は海外を相手に国難に直面しております。
こんな時に国内で争い合っている場合ではござらぬ。
長州には寛大な条件の下、和睦を提案いたしましょう
すなわち戦わずして勝つの策です」

「お、おうおう、西郷殿、確かに…貴殿の言う通り。
実は、わしも、同じことを考えておった!」

西郷の言は、もともとやる気のなかった徳川慶勝の耳に心地よく響きました。

すぐさま長州へ使者が飛びます。

長州 保守派の勝利

その頃長州では、
意見が割れていました。

「徹底抗戦だ!」

「ばかな。幕府を敵にして勝てるものか」

「ではどうするのじゃ。長州がつぶされるのを、
指をくわえて見ているのかッ!」

「そこはいったん従ったふりをして、
再起の機会を待つという手も…」

幕府を敵にまわしてあくまで戦うべきだという
徹底抗戦派と、徹底して恭順すべきだという保守派の
間で、藩の意見が割れていました。

しかし、徹底抗戦派の井上聞多が保守派に襲撃されたこともあり、
保守派の勢いがまさり、交戦派を抑えます。

結局、幕府側の要求に従って、三人の家老…
福原越後、国司信濃、益田右衛門介、
そして四人の参謀に切腹を命じました。

幕府からそれ以上のお咎めはありませんでした。

御所を砲撃した長州に対して、寛大すぎる処置といえました。
それだけ幕府の権威が弱まっていたともいえます。

肩すかしの新選組

「というわけだ。長州征伐は、無い」

エエッ、ざわざわ…

「どういうことですか近藤さん」
「いよいよ戦と思っていたのに…」

「俺も驚いているところだ。
とにかく、幕府の取決めである。長州征伐は中止になった」

新選組隊士たちは
京都壬生の屯所に待機して、
今か今かと出撃の指令を待っていたところ、
肩すかしを食らった形になりました。

驕る近藤

さて、この頃の新選組は、羽振りもよくなり、
皆の遊びもずいぶん派手になっていました。

貧乏所帯だった初期の壬生浪士組に比べれば
まるで違っていました。

隊士たちは夜毎、色町に出かけていきました。

中でも近藤は、ほうぼうの茶屋に出入りし、
馴染みの女を作って居ました。

今夜は島原、明日は祇園。またその次は三本木という風で、
あまりの派手な遊びっぷりに、隊士たちから不満の声が上がっていました。
近藤さんばかりズルいと。すると近藤は籠の垂れを深くしたり、
ほっかむりを巻いては、夜毎コソコソ出かけていくのでした。

また、近藤は地位が上がって傲慢になってきたのか、
外の隊士たちを見下すような態度も取るようになっていました。

こうして近藤から人心が離れていきます。

また、江戸で入隊したばかりの伊東甲子太郎を
「参謀」に取り立てるという 、えこひいきと見られても仕方ないほどの
優遇ぶりも、隊士たちの不満をかきたてました。

「人は変われば変わるものか…近藤さん、
新鮮組はもともと同士の集まりだったのじゃないのかい。
俺ァ少なくともそのつもりだったが…」

永倉新八などは、しきりに近藤に対する不満をあらわしたために、
謹慎処分を受けてしまいました。

このようなことが重なり、隊士たちの
近藤に対する不満が高まっていきます。

そしてついに、
幹部クラスからも脱走者が出てしまいます。

次回「山南敬助の脱走」。お楽しみに。

解説:左大臣光永