新選組 第10回「だんだら羽織」

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清河八郎が江戸麻生一の橋で殺害された頃、
京都では芹沢鴨以下13名の壬生浪士組が会津藩預かりとなり
「壬生浪士組」と称して京都守護にあたっていました。

しかしわずか13名ではどうにもならぬと、
会津候松平容保より新たな隊士を募集の指令が下ります。

結果、隊士は70名余に増えました。

前川邸跡
前川邸跡

禁令と局の編成を定める

「ここまで大所帯になってくると、
今までのようになあなあというわけにはいかぬ。
皆をまとめる規律が必要である」

芹沢は、近藤勇、新見錦とともに、禁令を定めます。
これをやってはいけない、という規則です。

第一、士道を背くこと。
第二、局を脱すること。
第三、勝手に金策をすること。
第四、勝手に訴訟をすること。

これら四か条に背いた時は即刻切腹を申し渡す。
その申し渡しは全浪士の面前で宣言する。

また局の編成が決まります。

局長は芹沢鴨、近藤勇、新見錦の三名。
副長は山南敬介、土方歳三の二名。
副長助勤は沖田総司、永倉新八、
原田左之助、藤堂平助、井上源三郎以下十四名。
諸士調役に島田塊以下三名。
勘定方に岸田由太郎以下三名と決まりました。

押し借り

清河一派と別れて京都に残留することになったのは鶯の鳴く3月のはじめ。
それから4月5月と季節は移り、東山の青葉はしげり、
ほととぎすの初音も耳にゆかしい頃。

端午の節句も迫るというのに
隊士の中には綿入れのままで、
衣替えもできない者が多くありました。
金が無かったのです。

「あっづーー」
「やってられないよ」
「こら、お前ら、なんだそのだらしない格好は!それでも武士かーっ」
「しかし芹沢先生、こう暑くっちゃ、まいっちゃいますよ」
「といって夏物を買う金も無いですし…」
「ぐぬぬ…」

そこで芹沢は、決断を下します。

「金を借りるのだ」

「芹沢先生、金を借りるとおっしゃいますが…
簡単に貸してくれますかね」

「なにを言うか近藤くん。
われらは今や浪人ではない。
堂々たる会津候御預かりなのだ。
貸さぬという法があるものか」

そこで芹沢以下、山南、永倉、原田、井上、平山、
野口、平間(ひらま)の八人が大坂へ下ります。最初の夜は
八軒屋の船宿京屋忠兵衛方に泊まり、
翌日、大坂今橋筋(いまばしすじ)の豪商・平野屋五兵衛方を
八人全員で、訪ねます。

「たのもう」

「へえ。何か御用で」

店の小僧が出てきました。

芹沢は八人全員の手札を小僧に渡し、

「拙者どもは会津候お預・京都の壬生浪士組である。
主人に面会いたしたい」

「へ…へえ、ちょっとお待ちください」

間もなく差配人(さはいにん。宿の管理人)が出てきて、
どうぞこちらへと八人を玄関に招くと、
すかさず芹沢が怒鳴りつけます。

「玄関で客に応対するとは何事か!!」

「ひいい!すみません。すみません。こちらへ」

差配人は無礼をわび、八人を座敷に招きます。

「主人はあいにくと今、外出中でして、
私から用件をお伝えしておきます」

「あいや、主人不在とあらばその方でもよい。
今回出向いたのは他でもない。金子百両、用立ててもらいたいのだ」

「あ…ハハア…左様の儀でございますか。
なにぶん主人不在でございますので、
手前どもの一存では、や、どうにも。
ただいま、同役と相談した上で」

差配人はあわただしく座敷を出て行き、
しばらくして戻ってきて、

「ただ今同役とも相談いたしましたところ、
なにぶん主人不在の折でございまして、御意に沿うことは、
まあ、難しかろうという判断でして、へえ。今日のところは、
なにとぞ、これで」

差配人はうやうやしく、五両の包を差し出しました。
それを見て芹沢はカアーーッと頭に血がのぼります。
小判の包をひっ掴むと、




「このようなハシタ金が欲しくて
参ったのではない!
無礼ものがああああああッ!!」

バシイ!!

差配人のちょんまげ頭にたたきつけました。

「ひ、ひいい!乱暴は、やめてください」

「やかましい!商人風情が生意気な」

「芹沢先生、落ち着いて…!!」

大騒ぎになります。命からがらその場を逃げ出した
差配人は奉行所に駆け込みます。

「壬生の浪士どもが、乱暴を働いています!」

しかし町奉行は言い渡します。

「壬生の浪士といえば会津候の御預。
丁重にお取り扱いせよ」

「そ、そんな…」

ガックリと肩を落とす差配人。
結局、平野屋で100両の金子を用立てることになりました。

だんだら羽織

これでようやく制服が作れると、
隊士一人一人の寸法を取った上で
すぐに京都松原通りの大丸呉服店を呼びつけ、
麻の羽織、紋付の単衣、小倉の袴を作らせました。

ことに羽織は公式の場で着るものだから重要だと、
浅葱地…薄い青色の袖に、芝居の忠臣蔵のように、
だんだらの山形模様を染め抜きました。

忠臣蔵。

主君浅野匠頭の敵・吉良上野介を討った赤穂浪士の話は、
芝居を通して武士の鑑として広く伝えられていました。

芝居における赤穂浪士の吉良邸討ち入りの時の装束が、
黒地に白い山形模様という、あの有名なものです。

浪士たちは、赤穂浪士のように立派な忠義の武士となりたいという
思いをこめて、赤穂浪士を強く意識した山形模様を
羽織にほどこしたのでした。

「これで涼しくなる」「ああ風通しがいいなあ」

一同、新しい制服に袖を通し、一安心しますが、
会津候松平容保は、話をきいて仰天し、すぐに
芹沢を呼び出します。

「商人たちから金子を借用したとあっては
当方の手落ちとなる。金子は当方から支出するので、
今後入用なことがあれば訴えるように。
商人から借用したぶん即刻返済すること」

「ははっ」

さらに甲冑、手槍なども会津候から支給され、
それらを屯所の表玄関に並べ、毎日西洋式の
調練を行いました。

旗も作りました。

縦四尺、横三尺の緋羅紗の生地に白で大きく
「誠」の字を書き、下のほうには羽織の袖と同じく
山形模様を入れました。

隊士たちは暇さえあれば壬生の前川邸の玄関前で
この旗を担ぎ出して、「そりゃあ」「えいやっ」と
振りかざしました。火消しが纏をふるような感じで、
「そりゃ」 他の者に投げると、「よしきた」受け取るというように、
汗びっしょりになるまで練習しました。

提灯も作りました。

「誠」という文字の下には、旗と同じく
山形模様がぐるりと廻っているというものでした。

これらだんだら羽織の制服をまとい、
隊旗をはためかせて、提灯を持って隊士たちが
列をなして通りを行くと、

「壬生浪だ…壬生浪が通る…」

人々は恐れたり、さげずんだり、
とにかく注目が集まりました。

壬生 綾小路
壬生 綾小路

坊城通
坊城通

次回「新選組 第11回「八木邸と前川邸」」に続きます。
お楽しみに。

解説:左大臣光永

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