池田屋事件(三)

こんにちは。左大臣光永です。むしむしした気候になってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?

さて本日は新選組の第24回「池田屋事件(三)」です。

長州人が京都を焼き討ちにしようとしている。

その情報をつきとめた新選組は、近藤勇、土方歳三二手に分かれ、四条から三条にかけて捜索します。折しも祇園祭の前夜で、通りは人でにぎわっていました。

三条小橋から西へ7軒目、池田屋をのぞくと、鉄砲や槍が入り口にかかっていました。近藤勇はここだと見て、内部に潜入し、高らかに声を上げます。

「今宵、旅宿改めである」

「へ…へい」

おどおどと顔を出す宿の主人。実はこの男も長州人で、長州に宿を提供していました。古高俊太郎が捕縛されたことを受けて、長州では善後策を話し合おうということで会合の席をもうけました。それがまさに今夜。ここ池田屋において、会合が持たれていたのでした。

主人は真っ青になって梯子の下まで駆け寄って、

「お二階の方々、旅宿改めでございます」

(やはり二階に浪士が潜伏しているな)

確信した近藤は後ろから

ゴチーーン

大の拳骨で主人を思いっきり殴り倒し、愛刀虎徹を鞘から抜き払うと、

ダッダッダッダッダーー

一気に梯子を駆け上がる、その後に続く沖田総司。

「ちっ…見つかったか」

二階には20数人の志士たちが会合を終えて、車座になって酒を飲んでいたところ、階下から声がかかったので、一同、敵を迎え撃とうと抜刀。そこへ鎖帷子姿の近藤と沖田があらわれ、

「御用改めである。手向かいすると容赦なく斬り捨てる」

「なっ…新選組!」「新選組だと!」

一同は恐怖にかられ、う、うひいいいと北の縁側へ走り、窓からバラバラと中庭に飛び降ります。二階に残ったの志士は5名。「沖田くん、二階は任せた」「わかりました」近藤はこの人数なら沖田一人で十分と判断し、自分は逃げた志士たちを追って、ドタドタドタドターと階下に駆け下り、裏庭に走ります。

沖田総司がゆらり青眼に太刀を構えると、野郎ッと一人の志士が斬りかかり、キン、カーンと二太刀あわせ、ズバーーッ…三太刀目で、沖田に斬られてしまいました。

「ひ、ひいいいっ」

沖田のあまりの凄腕に、二階にいた志士たちは戦意を失い、北の縁側に、逃げていきます。沖田がその後を追いかけようとした時、

「ぐ…はっ」

沖田はよろめき、喀血しました。

持病の肺結核の発作が来ました。極度の緊張感の中、血管が破裂したものと思われます。太刀を杖とつき、ドサッと倒れる沖田。沖田はここで戦闘から離脱します。

決闘

その間、階下では戦闘が続いていました。

裏口では突如二階から飛び降りてきた志士たちに、奥沢、安藤、新田の三名がアッという間に斬られた所へ駆けつけた近藤が、「おのれらーーッ!!」ずばあああ。ぎゃああ。ドサッ。近藤は一人を倒したものの、ワアーーッと数名の志士がいっせいに斬りかかると、身動きの取れない狭い裏庭で複数を相手に、苦戦を強いらる近藤。

中庭では藤堂平助が、垣根越しに飛び出してきた長州人に眉間を斬られ、だらだら流れる血が目に入り、とても戦いづらく、刀にも亀裂が走っていました。それを見た永倉が藤堂、加勢するぞと走ってきて、ぶんと敵の胴に斬りこむと、敵はこれを受け止め、そうはいかんと永倉に斬りかかり、

キン、カン、キーーン

「永倉!!」

永倉新八の危機と見て、裏庭から駆け戻ってきた近藤が、斬。男の後ろから袈裟斬りに斬ってひるんだ敵を永倉は、ぶすーーっとまともに胴体に突き立て、打ち取りました。

「ひ、ひいいいーーっ」

表玄関に逃げ出す一人の志士。

「待てい」追う藤堂。逃げる志士。志士は、ばっと表に駆け出して、ようやく助かったと思った、その胴体に

ズブーーーッ

表で待機していた谷万太郎が槍を突き出したのが深々と突き刺さった、その後ろから、ずばあっ。永倉新八の太刀で肩から斬られ、ぐ、ぐぬうと男は倒れました。

また永倉は、一人を袈裟懸けに斬り、もう一人が便所へ逃げ込んだところを便所の戸ごと串刺しにして、太刀を引き抜こうとすると便所の戸ごとはずれて、男とともに倒れこんできたので、さらにズバァと胴を斬りました。

「藤堂、額の傷は!」

「何のことは無え。こんなもん…」

しかし、藤堂の傷は深く、それ以上戦闘を続けることは、不可能でした。沖田に続き藤堂が戦線を離脱し、残るは近藤、永倉の二名のみ。その上、永倉は左手の親指の付け根をずばりと削り取られていました。今敵が反撃に転じたら一たまりもないという、まさにその時、

「土方隊、到着ーーーーッ」

鴨川の東を捜索していた土方歳三、井上源三郎以下二十三名が、合流しました。井上源三郎ら十三名が表口からドカドカドカーと駆け込み、残っていた浪士数名を次々と捕縛していきます。表口は近藤隊の谷万太郎ら三名に加え、土方隊の残り13名が隙間も無く固めた頃、ようやく会津・桑名の兵士たちが到着し、池田屋から長州藩邸にかけて、びっしりと人員を配備して、特に池田屋のまわりを幾重にも取り囲みました。

もはや、敵の逃げる道はありませんでした。二時間余りにわたる戦闘は終わりました。その後も朝まで捜索を続け、潜伏していた志士20数名を捕縛しました。

激戦の後

翌6月6日朝9時。

新選組隊士たちはいったん祇園の会所に戻り、隊を整えてから壬生の屯所に引き返します。沿道はガヤガヤと見物人で埋まります。隊士の多くは帷子がぼろぼろになり、刀は折れて抜き身のままでした。

沖田総司は真っ青な顔をしていましたがなんとか自力で歩き、藤堂平助は戸板に乗せて運ばれ、永倉新八は全身血まみれでした。

近藤勇、土方歳三の顔にはさわやかな微笑みが見えました。沖田総司がよろよろと歩きながら、

「やった。やりましたよ近藤さん。土方さん…。ぼくたちが、京都の町を守ったんですよね」
「そうだ。そうだとも沖田くん」

と、肩を寄せ合い晴れやかに歩いていくその様は、赤穂浪士の吉良邸討ち入り後もかくやと思われるほどのものでありました。

元治元年六月五日、池田屋事件。この出来事により、新選組の名は一躍、世にとどろき、以後、尊王攘夷派の志士たちを震え上がらせることとなります。

次回「明保野亭事件」です。お楽しみに。

解説:左大臣光永