清河八郎の謀反

こんにちは。左大臣光永です。週も後半に入りましたが
いかがお過ごしでしょうか?
私は最近「取材」と称して日中うろついていることが多いです。
今日は隅田川の川向こうをぶらぶらしていました。

しばらく新選組の話を続けていますが、長いので
時々別のネタをはさみつつお話していく予定です。

本日は第七回「清河八郎の謀反」です。

壬生到着

文久3年(1863年)2月23日、

中仙道を通って上洛した浪士隊230名あまりは、
京都の西の果て・壬生村に入ります。

壬生村
壬生村

八木邸跡
八木邸跡

前川邸跡
前川邸跡

わいわい、がやがや…

「静かにーーっ。それぞれの宿所を発表する」

壬生界隈は、今見ても、そう広い通りではないです。
そこに230名あまりもの浪士がごった返して、
たいへんな騒ぎだったことでしょう。

臨済宗の寺・新徳寺を本部として、
浪士隊は付近の民家に分かれて泊まります。
前川邸には鵜殿鳩翁・山岡鉄舟(鉄太郎)ら幕府の役人が泊まり、

新徳寺には清川八郎、村上俊五郎らが、
八木源之丞邸には近藤勇と門下の
土方・沖田・山南・原田らが割り当てられます。

芹沢鴨とその一味新見錦・平山五郎らは、
近藤らと共に八木邸に同宿となりました。

八木邸は、6畳と4畳半と3畳、
それに板の間があるだけの、質素なものでした。

壬生村
壬生村

「ふうう…ようやく京都についた」
「風呂行こうぜ風呂」

清河八郎の謀反

などと長旅の疲れを癒す間もなく、
その夜、事件は起こります。

かねて胸にはかりごとを秘めていた清河八郎が
早くも動き出したのでした。

壬生 新徳寺
壬生 新徳寺

清川はその夜、浪士のうちの主だった者を新徳寺に集め、
座敷に端然と正座して、傍らに太刀を引き寄せ、言いました。

「京へ来たのは、近く上洛ある将軍家の守護ということだったが、
これはただ、名目のことである。その真の目的は、
ひたすら尊王攘夷のさきがけとならんということである。
実は、すでに私のほうで、朝廷への上奏文を起草しておいた」

ざわざわ…

「おい、なんか様子が違うじゃないか」
「将軍さまの警護じゃなかったのか?」

一同、わかったような、わからないような、いまいち納得できない空気の中、
清河は朗々と読み上げます。こういう意味のことを。

「我々は幕府に召抱えられたものですが、幕府から禄や位をもらうものではなく、
ただ尊皇攘夷を行わんとする者です。万一朝廷の意にそむくことがあれば、
たとえ同士でも容赦なく切り捨てる覚悟です」

朗々と読み上げると清河は全員をくわっと睨んで、

「ご異存はあるまいな」

と念を押します。一同、わかったような、わからないような
いまいち納得できない感じでした。

しかし清河の勢いに押されたのか、アッケに取られてか、
誰一人反論できませんでした。

「まあ…尊皇攘夷には別に異存は無い」
「そうだなあ。別に悪いことじゃないんだし…」

結局、全員が署名しました。そんな中清河八郎は、

(ふふふ。わが策の通り)

一人ほくそ笑むのでした。

江戸へとんぼ返り

翌朝夜明けとともに清河は、弁舌に長けた
配下の者六人に命じて、京都御所の学習院に
上奏文を奏上します。

「よいか。お取り上げがなければ
生きて帰らぬつもりで行ってこい」

「清河さん、まかせてください」

清河のこの奏上にかける覚悟は相当なものでした。

その勢いに押されてか、朝廷は清河の上書を受け入れ、
まんまと清河八郎の作戦どおりになりました。

「やった。すべては私の考えた通りに進んでいる」

これで、浪士組は幕府ではなく朝廷の命令で動く、
尊皇攘夷の隊ということになってしまいました。
清河八郎はもともと尊王攘夷論者であり、倒幕論者であり、
幕府のためにどうこうする気はありませんでした。

ただ幕府の権威を使って浪士組を集めておいて、
それをそっくりいただいて、尊王攘夷のための
隊にしてしまおうという考えでした。

そして、その作戦は見事にうまくいき、
浪士隊は幕府ではなく、朝廷の命令で動く組織となりました。

「よし。浪士組は私の意のままだ」

そう思った清河八郎は、さかんに朝廷に働きかけます。
前年、横浜でイギリス人が斬られた生麦事件が起こりました。

この事件の賠償を求めて、横浜にイギリス艦隊が入港していました。
いつ戦争になるかわからない緊張が、ただよっていました。

「手始めにふとどきな外国人どもを、こらしめてやります。攘夷です。
これこそ攘夷です。浪士組を江戸へ帰還させてください」

清河八郎は、朝廷にこう訴えかけました。
まだ将軍家茂は上洛してもいないのに、です。

最初の目的であった将軍家茂の護衛は、
もうどっかにスッ飛んでいました。

清河八郎は、もともと将軍護衛などどうでもよく、
それは単なる口実で、朝廷のお墨つきさえ得られればいいのでした。
だから、浪士組を江戸に帰還させてくださいと願い出ました。

3月3日、朝廷から浪士組へ帰還命令が下ります。そこで
清河は新徳寺の座敷に浪士組の主だった者を集めて告げました。

「関白さまの命である。われら江戸へ下って、
攘夷の急先方をつとめることとなった」

ざわざわ…ざわざわ…

京都に来たばかりで、もう江戸に帰る。

どう考えてもおかしな話でした。

まだ当初の目的である将軍家茂の
警護も行っていないのに、そればかりか、将軍家茂は
上洛すらしていないのに、なぜ、江戸に帰るのか?

誰も彼も、納得できないような、できるような、
複雑な表情をします。

しかし、清河八郎の一種独特の勢いに
飲まれてしまい、誰も口に出して反論することはできないかと
見えた、その時、

「待てい清川!!」

するどい声が上がり、一同ざあっとそちらに注目します。

近藤勇でした。

次回「壬生浪士結成」に続きます。

解説:左大臣光永