近藤勇 盗賊を撃退する

こんにちは。節分ですね。いかがお過ごしでしょうか。
何か節分めいたことはされましたでしょうか。

私は一人暮らしで特に節分ってことでもないんですが、
昔は、(幼稚園の頃とか)よく、やりました。
豆まきを!だから、今日は大声で鬼は外福は内~と
言っておきます。

さて本日は新選組の第二回「近藤勇 盗賊を撃退する」です。

近藤勇の若き日の豪胆を伝える逸話があります。

嘉永2年(1849年)近藤周助の試衛館に入門した次の年。
勝五郎のちの近藤勇は16歳になっていました。

試衛館道場跡 付近
試衛館道場跡 付近

試衛館道場跡 付近
試衛館道場跡

その日、父久次郎は留守にしていましたが、
そのスキを狙って、宮川家に数人の泥棒が入り込みます。

その気配を察した兄粂次郎は、

「今こそ、日ごろの剣術修行を活かす時!」

いきり立って、刀の鞘をはらって飛び出そうとしますが、
弟勝五郎が兄をさえぎります。

「賊は入ったばかりの時は気が立っております。
今戦いを挑めば、負けぬまでも、勝つのに骨が折れます。
しかし盗みを終えて立ち去る時なら、奴らは心が留守になっています。
その虚に乗ずるこそ剣道の秘訣です」

「なるほど、もっともだ」

兄弟は息を殺して、待ちます。

賊はすっかり金目のものを盗んでしまうと、
引き上げようとします。そこへ、刀の鞘をはらった
勝五郎と兄が飛んで出て、

「待てい」

後ろから一喝。一番後ろの賊の背中から
ズバッと斬りつけました。

「ひ、ひいい」

不意に怒鳴られたことで賊は心が縮み上がり、
盗んだものを取りこぼし、取りこぼし、逃げていきましたが、
兄弟は後を追っかけ、ズバ、ズバと剣をふるい
ニ三人に傷を負わせました。

「あはは、見ろ勝五郎、やつらの情けないこと」

調子に乗って追いかけていく兄粂次郎を、後ろから弟勝五郎が
引き留めます。

「兄上。窮鼠返って猫を噛むと申します。
そろそろ引き上げるが上策です」

そして賊の捨てた物を拾って家に戻ってきました。
この話はすぐに知れ渡り、近所で評判になります。

「宮川家の倅は、まあ、なんて豪胆なんだ。
それに知恵もある」

ことに師の近藤周助は勝五郎の豪胆と知恵をこのましく思い、
天然理心流の四代目を継がせるのは、この子以外に
ありえないといい始めます。

勝太、近藤勇となる

というのも、近藤周助は58歳にして跡取りがいなかったのでした。
そこで近藤周助は勝五郎の父・久次郎に申し出ます。

「一番小さいのをもらいたいのです」

あなたのお子さんを養子にくださいということです。
父はさすがに躊躇しますが、わが子を武士にすることは昔からの夢であり、
あいつもやる気満々だ。悪い話じゃないと納得し、受け入れます。

翌嘉永2年(1849年)勝五郎は近藤周助の養子となり、
名を勝太と改めます。姓は周助の旧姓である島崎を取り、
島崎勝太と名乗りました。

島崎勝太をしばらく名乗った後、島崎勇と名乗り、
同時期に近藤勇とも名乗り、島崎勇・近藤勇の併用期間を経て、
近藤勇に統一します。

嘉永4年(1851年)同門の佐藤彦五郎(1827-1902)宅に
招かれた近藤勇は、彦五郎の妻の弟にあたる人物を紹介されます。

なんでも江戸で商売をやったもののうまくいかず、
多摩に戻ってきてぶらぶらしているとのこと。

「まったく困った奴でな。あれで将来どうするつもりなんだか。
女にはモテるみたいだがね。まあ近藤君とは年も近いことだし、
ひとつ仲良くしてやってくれたまえ」

「はあ…」

カラカラカラっと障子を開けて、

「これトシ、お客様だぞ。ご挨拶をせんか」

「はい?」

向うを向いて書物を読んでいた男がけだるそうに振り返ります。

とこんな状況だったか具体的な記録はありませんが、
近藤が紹介されたその男を見ると、
背は近藤より髷一つほど高く、「おお…」と
男の近藤でも思わず息を飲むほどの、すこぶる美男子でした。

後の新選組副長・土方歳三です。

次回「土方歳三の少年時代」お楽しみに。

関連項目

孫子「敵の虚を衝く」

解説:左大臣光永