第一次世界大戦 アメリカの参戦

こんにちは。左大臣光永です。

阿蘇で温泉に入ってきました。阿蘇白水温泉「瑠璃」という、村営の温泉です。地元の人が多いですが、けっこうよそからも来てるみたいです。

阿蘇の湯は芯からあたたまります。昼入れば夜中まで、夜入れば翌日まで体がカーッと熱くなって、よいです。

本日は、第一次世界大戦のつづきです。

「アメリカの参戦」について語ります。

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第一次世界大戦の勃発以来、アメリカは中立の立場を取っていたが、Uボートによる無差別攻撃や、「ツィマーマン電報事件」により、ドイツがメキシコ・日本との接近をはかったことがわかると、ウィルソン大統領はドイツに宣戦布告を決定しました。

アメリカの参戦

第一次世界大戦がはじまった当初(1914年8月~)、アメリカは不干渉を旨とするモンロー主義の立場から、戦争のゆくえを傍観していました。

「戦争に巻き込まれるのはごめんだ」というのが、多くのアメリカ国民の意見でした。

その一方でイギリス、フランスとの人種上のつながり、ビジネス上のつながりもあり、セオドア・ルーズベルト元大統領などは連合側(イギリス・フランス側)に立って参戦すべきと唱えていました。

1916年11月に大統領選があり、12月にウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)が再選。

ウィルソンは平和主義にもとづき戦争の早期終結をめざし、

連合側(英仏露)諸国、同盟側(独墺)諸国の双方に特使を送り、講和の可能性をさぐりました。

しかし双方の条件が折り合わず、なかなかうまくいきませんでした。

そうこうしているうちにアメリカの世論は、反ドイツに傾いていきます。

それはドイツ軍の残虐行為が見えてきたためです。

1914年、ベルギーでドイツ軍が市民約200人を処刑し、市街地を焼き払ったこと。

この時、歴史的に貴重なルーヴァン図書館が焼かれたことは「ドイツによる文化破壊」であるとして、連合国側の反独プロパガンダに大いに利用されました。

「ドイツはこんなに酷いぞ。残虐だぞ。それに比べて連合国側は正義だぞ」と。

1915年、イギリスの大型客船ルシタニア号がドイツのUボートによる無差別攻撃で撃沈され、中立国アメリカの民間人128人が犠牲になった「ルシタニア号事件」。

こうしたことはアメリカの反ドイツ感情を高めました。

さらに、

ツィマーマン(ツィンメルマン)電報事件

1917年1月、ツィマーマン(ツィンメルマン)電報事件(Zimmermann-Depesche)が起こります。

ドイツ外相ツィマーマンが駐米ドイツ大使に秘密電報を送り、その内容がイギリスからアメリカにリークされた事件です。

電報の内容は、

・ドイツは1917年2月1日から潜水艦による無差別攻撃を再開するが、当日までアメリカ政府には通告しないように。

・もし無差別攻撃の結果アメリカが参戦した時はメキシコ大統領に面会し、ドイツとメキシコは同盟を結んでアメリカと戦うよう提案せよ

・アメリカと戦って勝った暁には、かつてメキシコがアメリカから奪われたテキサス州、ニューメキシコ州、アリゾナ州をメキシコに返還するよう提案せよ

・メキシコに日本を誘わせ、日本が連合国側を離れてドイツに味方するよう工作させよ

という指示でした。

かんたんに言うと、

・ドイツが潜水艦の無差別攻撃を再開する直前までアメリカにバラすな

・メキシコをさそってアメリカと戦うよう持ちかけろ。メキシコがアメリカに奪われた土地を餌にして。

・日本もドイツの味方に引き込め。

ということで、ドイツがアメリカと敵対することを想定し、その準備をすすめていることがうかがえる内容でした。

この電報はイギリスによって解読され、紆余曲折を経て、ウィルソン大統領に知らされました。

「破廉恥な!」

と言ったかわかりませんが、ウィルソン大統領は激怒しました。

世論も沸き立ちます。

「ドイツは敵だ!」
「連合側に加わり、ドイツと戦うべきだ」

当初、電報は偽物という見方もありました。

アメリカを戦争に巻き込むために、イギリスが文書を偽造したのであると。

ところが。

3月末、ドイツ帝国議会の答弁で、ドイツ外相自身が、電報は本物であると認めました。

いわく、

ドイツは目下、イギリス、フランスという強敵と戦っている。ここにアメリカまで加わったら大変だ。だからそれを未然に防ごうとしたのだ。これは愛国精神から出たことであると。

「それ見たことか!」
「やはりドイツは敵だ!」

アメリカ国内の反ドイツ感情はいや増しに増します。

その後も数週間のうちにアメリカの商船がドイツのUボートに沈められると、

ウィルソン大統領はドイツへの宣戦布告を決意します。

1917年4月4日、米国議会でアメリカの対ドイツ参戦が決議されました。

開戦にあたってアメリカ国内のドイツ系移民50万人は指紋を取られ、そのうち危険人物とされた2000人は収容所に入れられました。

5月、選抜徴兵法が施行され、427万人の陸軍をつくることが計画されました。

しかし急場ごしらえのアメリカ軍は指揮官も兵士も素人ばかりでした。

受けいれる側の連合国としても、困りました。

結局、比較的平穏なロレーヌ地方に配備することになりましたが、訓練・準備のため、本格的な前線配備は1918年に入ってからとなりました。

鉄かぶとは参戦が決定してから急遽、イギリスから購入し、戦車も戦闘機も、多くはイギリス製かフランス製を購入するというありさまでした。

それでも大戦末期には140万人のアメリカ軍が西部戦線に配備されていました。

次回「シベリア出兵と米騒動」に続きます。

過去配信分

伊藤博文暗殺事件(8分43秒)
https://history.kaisetsuvoice.com/Meiji_Ito.html

韓国併合(32分11秒)
https://history.kaisetsuvoice.com/Meiji_KankokuHeigo.html

明治から大正へ(12分14秒)
https://history.kaisetsuvoice.com/Taisyou_seihen.html

第一次世界大戦の勃発と日本の参戦(11分04秒)
https://history.kaisetsuvoice.com/Taisyou_WW1.html

対華21ヶ条要求(6分41秒)
https://history.kaisetsuvoice.com/Taisyou_taika21.html

ロシア革命とソヴィエトの成立(6分14秒)
https://history.kaisetsuvoice.com/Taisyou_RussianRevolution.html

解説:左大臣光永

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