ロシア革命とソヴィエトの成立
近所の公園に梅を見に行ったら、まだぜんぜん咲いてませんでしたが、竹やぶの中でホトトギスが鳴いてました。きょ、きょ、きょ…と、まだ声にならない、慣れてない感じが、よかったです。
ウグイスより先にホトトギスをきくとは妙な感じですが。
本日は、第一次世界大戦のつづきです。
「ロシア革命とソヴィエトの成立」について語ります。
第一次世界大戦中、1917年の「二月革命」で、ケレンスキーによるメンシェビキの臨時政府が成立。皇帝ニコライ2世を退位させ、ロマノフ王朝の支配は終わりました。
つづく10月革命ではレーニンのボルシェビキがケレンスキーの臨時政府を倒し、「ソヴィエト」の成立を宣言。ドイツと単独講和しました。
ロシア革命
すでに日露戦争(1904年-05年)中から、ロシア国内ではロマノフ王朝の専制に反対するデモやストライキが多発し、労働者や農民の協議会(ソヴィエト)が発足していました。(ロシア第一革命)。
1914年8月、第一次世界大戦が始まると、ドイツ軍の進撃により、ロシア国内では鉄道網が麻痺し、人民は飢え苦しみました。
開戦以来、兵員の動員数は増し、1916年末には1500万人、そのうち損失は3分の1の540万人にもおよびました。
1915年、皇帝ニコライ2世は首都ペトログラードを離れ、ベラルーシにある大本営に移りました。
皇帝不在となったペトログラードではアレクサンドラ皇后が留守を預かりましたが、
彼女がドイツ系出身であったこと、
ラスプーチンなる素性のあやしい僧をアドバイザーとして用いたことが、
ロシア国民の皇室への不信感をさらに高めました。
1916年6月、兵力不足からそれまで兵役を免除されていた中央アジアのムスリムに徴用令が出されました。
これに反発して、中央アジア各地でムスリムが反乱を起こします。
さらに、
1917年3月8日、首都ペトログラードで食料配給の改善を求めるデモが発生しました。
皇帝ニコライ2世は発砲を許可し、市民に多数の死傷者が出ました。
これをきっかけに各地で軍部の離反が相次ぎます。
3月12日、ケレンスキーによるメンシェヴィキ(社会主義右派)の臨時政府が成立。
3月15日、臨時政府は皇帝ニコライ2世に退位をせまり、ここにロマノフ朝による帝政ロシアが崩壊しました。
これを二月革命(ロシア暦(ユリウス暦)。グレゴリオ暦では三月革命)といいます。
臨時政府は「無併合・無賠償」を掲げながらも、ドイツ・オーストリアとの戦争を継続しました。そのことは連合側(イギリス・フランス側)諸国を安心させました。
ウラジーミル・レーニンは中立国であるスイスに亡命していましたが、本国にもどり、ボリシェヴィキ(社会主義左派)による革命を起こしたいと考えました。
しかし当時のロシアは同盟側諸国に包囲されており、本国に戻る手段がありませんでした。
そこでレーニンは、敵であるドイツ軍参謀本部に接触します。
「ロシアでボリシェビキによる革命が成功すれば、すぐにドイツと講和する。そうすればドイツは西部戦線に集中できるようになる。トクだぞ」と持ちかけたのです。
ドイツはレーニンの話に乗り、レーニンはドイツ側の手配のもと、汽車でドイツ領を通過し、スウェーデン、フィンランドを経てロシアに戻りました。途中、一駅も停車しないので「封印列車」と呼ばれました。
このあたりのいきさつは冒険小説さながらで、実際オーエン・セラー作『ペトログラード行封印列車』という冒険小説が書かれています。
私も学生時代に読んで、血脇肉躍らせたことをおぼえています。
1917年6月、臨時政府はケレンスキーもと、ガリツィア(現在のウクライナ南西部)のオーストリア軍を攻撃しましたが、ドイツ軍が反撃に出ると敗走しました。
9月、今度はドイツ軍が反撃してきます。バルト海沿岸のリガを攻略し、ペトログラードに圧力をかけました。
ロシア軍の多くは農民だったため、戦争よりも革命後の領地の分配を気にしていました。
命令に従わないもの、勝手に戦線を離脱する者がふえました。
それでも臨時政府は戦争を続けました。一方、レーニンのボルシェビキは平和を呼びかけたので、支持が集まります。
11月7日、ケレンスキーが失脚すると、ボルシェヴィキが単独で政権を握りました。
十月革命です(ロシア暦。グレゴリオ暦では十一月革命)。
レーニンはトロツキーに指示して、社会主義政権の結成を宣言させ、農民には「土地」を、市民・労働者には「平和」を与えると約束しました。
これら二月革命と十月革命をあわせて(広義には1905年のロシア第一革命もあわせて)「ロシア革命」といいます。
12月から革命政府はドイツと休戦に向けての交渉をはじめ、
12月5日、ブレスト=リトフスクで休戦協定が調印され、講和条約の調整に入りました。年明けて1918年3月、ドイツと単独講和し、ロシアは大戦から離脱しました。
次回「アメリカの参戦」に続きます。
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