鴨長明(六)せみの小川

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こんにちは。左大臣光永です。先日、錦市場で買い物してきました。京都の台所といわれるアーケード街です。上を見ると赤・青・黄色に色分けされたガラス張りの屋根が、昭和のセンスをただよわせています。今はオフシーズンのせいか、中国人が少なくて、静かで、いいです。

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本日は「鴨長明(六)せみの小川」です。

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糺の森
糺の森

せみの小川
せみの小川

第一回~第五回もあわせてお楽しみください。
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せみの小川

後に『新古今和歌集』にも採られ、鴨長明自身もたいへん気に入っていた歌があります。

石川や瀬見のをがはの清ければ月も流れをたずねてぞすむ

賀茂社(下鴨神社・上賀茂神社)の歌合せが開催された時、月の歌として詠んだものです。

石川の瀬見の小川は水の流れが清いので、月もこの流れをたずねてきて、澄んだ輝きで川面に宿っている。

「石川や瀬見の小川」の「や」は詠嘆ではなく格助詞の「~の」と同じです。つまり「石川の瀬見の小川」ということです。

糺の森
せみの小川

判者をつとめた源師光入道は、「石川の瀬見の小川?そんな川は聞いたことがない」として、負けにしました。

しかし長明は納得いきませんでした。それでなくてもこの日の判定は納得できない所が多かったという意見が多く、後日、判定をやり直すことになりました。今度は歌人として名高い顕昭法師が判定します。

「石川や瀬見の小川…そんな川は知らないが、なんとなく言葉のつながりはいい」そう言って、顕昭法師は勝負を保留にして引き分けとしました。後日、長明は顕昭法師に会った時、話します。

「『石川や瀬見の小川』とは賀茂川の異名なんです。わが下鴨社の縁起に書いてありますよ」

「なんと!そうでしたか!ああ引き分けにしておいてよかった。この判断力。これが老いの功というやつですよ」

ところが後日、長明の親戚である鴨佑兼が文句言ってきます。石川の瀬見の小川というのは晴れの席で詠むべき、特別な言葉だ。そんな日常の歌合なんかで詠むやつがあるかと。

この鴨佑兼という人物は後鳥羽上皇が長明を下鴨神社の摂社・河合社の禰宜に推薦した時、横やりを入れて、その話をフイにしてしまった人物です。だから長明と佑兼は親戚同士ながら、仲が悪かったと思われます。それで、佑兼もこんな難癖をつけてきたんでしょう。

しかし、長明が歌に「瀬見の小川」を詠んで以来、多くの人が「瀬見の小川」を歌に詠むようになりました。そこで佑兼はまたギャアギャア言ってきます。お前はたしかにいい歌を詠んだかもしれない。だが時間が経てば、だれが最初に詠んだかわからなくなるぞと。

しかし長明の歌は新古今和歌集に採られ、その外全10首が採られ、長明は歌人としての名声を立てたのでした。

「石川や瀬見の小川」の由来はこうです。

神武天皇の道案内をした八咫烏(ヤタガラス)こと賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が、その後大和から山城へ移動して、今の下鴨神社の場所に鎮座されました。

その時、賀茂建角身命は賀茂川を眺めて「狭小くあれども、石川の清川(すみかわ)なり」とおっしゃった。この「石川の清川」という言葉が転じて「石川や瀬見の小川」になったといいます(『山城国風土記』逸文)。

賀茂川
賀茂川

だから「瀬見の小川」は賀茂川のことなんですが、後には下鴨神社鎮守の糺の森の中を流れる小川のことをも「瀬見の小川」とよぶようになりました。

源実朝も、せみの小川を歌に詠んでいます。

君が代もわが代も尽きじ石川やせみの小川の絶えじと思へば(金塊集)

後鳥羽上皇さまも治世も、私実朝の治世も、どちらも末永く絶えることはないでしょう。石川の瀬見の小川たる、賀茂川がいつまでも絶えないことを思えば。

音楽の師 中原有安

鴨長明と歌の関わりについて、長明の音楽の師・中原有安がアドバイスしています。

中原有安は『無名抄』の中で「故筑州」と呼ばれている人物です。筑前守であったため「故筑州」というわけですが、故人も多く登場する中、わざわざ「故」と断っているのは、長明がそれだけ中原有安に深い愛情を感じていたのでしょう。

「あなかしこ、あなかしこ、歌よみな立て給ひそ。歌はよく心すべき道なり。われらがごとく、あるべきほど定まりぬる者はいかなるふるまひをすれども、それによりて身のはふるるはなし。そこなどは重代の家に生れて、早くみなし子になれり。人こそ用ゐずとも、心ばかりは思ふところありて、身を立てむと骨張るべきなり。しかあるを、歌の道その身に堪へたることなれば、ここかしこの会に、かまへてかまへてと招請(しょうせい)すべし。よろしき歌詠み出でたらば、面目もあり、道の名誉もいできぬべし。さはあれど、所々にへつらひ歩きて、人に馴らされたちなば、歌にとりて人に知らるる方はありとも、遷度の障りとはかならずなるべかめり。さし出づる所には、『誰そ』など問はるるやうにて、心にくく思はれたるがよきなり。

さて、何事をも好むほどに、その道にすぐれぬれば、『錐、嚢(ふくろ)にたまらず』とて、その聞こえありて、しかるべき所の会にも交はり、雲客月卿の筵(むしろ)の末に臨むこともありぬべし。これこそ道の遷度にてはあれ。ここかしこの人非人がたぐひに連なりて、人に知られ、名を挙げては、何にかはせむ。心にはおもしろくすすましく覚ゆとも、かならず所嫌ひして、やうやうしと人に言はれむと思はるべきぞ」

『無名抄』十三

■あなかしこ 決して~するな。 ■歌よみな立て給ひそ 歌詠みで身を立てるな ■はふるる 落ちぶれる。 ■重代の家 立派な神官の家。 ■骨張る 頑張る。 ■その身に堪へたる あなたには才能があるので。 ■かまへてかまへて 是非是非。 ■人に馴らされたちなば 人に馴れられ軽く扱われると。 ■遷度 最後の目標。 ■心にくく あれは誰だろうと気にされること。 ■錐、嚢にたまらず 嚢中の錐。すぐれた才能を持つ人は隠れていても必ず表にそれが出るのたとえ。 ■雲客月卿 殿上人や公卿。しかるべき身分の人々。 ■人非人 数にも入らない連中。 ■すすましく 気乗りがして。 ■所嫌い 場所を選ぶこと。 ■やうやうし 勿体ぶっている。

「けしてけして、歌詠みであることを表に立ててはならない。歌はよく心すべき道である。我らのようにおさまるべき身分が定まっている者は、どんなふるまいをしようと、それで身が落ちぶれることはない。お前などは代々の神官の家に生まれて、早くみなしごになった。人がお前を用いなくても、心だけは思うところを持っていて、立身出世しようと頑張るべきだ。であるのに、お前は歌の道に才能があるから、あちこちの会に、どうかどうかと招かれることだろう。いい歌が詠めたら、面目もあり、歌の道において評判にもなってくるだろう。だが、あちこちで諂いまくって、人から馴れられ軽く扱われるようになれば、歌によって人に知られることはいいのだが、将来の出世のさまたげと必ずなるに違いない。お前のような者は、人にもまったく知られず、顔を出せば『誰?』など聞かれるようにして、いったい誰だろうと気にされるくらいがよいのだ。

さて、何事も好きにまかせてやっているうちに、その道に優れていれば、錐が袋の中に入れられていても必ず表に突き出してくるようなもので、その評判が世間に知れて、しっかりした会合にも呼ばれるようになり、殿上人・公卿の筵の末にも臨むこともあるに違いない。それこそが歌の道の目指すべき到達点だ。そのへんの取るに足らない連中のたぐいに連なって、人に知られ、名を挙げることが何であろう。心には面白く気乗りがしていても、必ず場所は選んで、勿体ぶっていると人に言われようとお思いになるべきだ」

まあ余計なお世話っちゃ余計なお世話ですが。鴨長明もこれ言われて当時はムカッとしたようです。だが後で思い返して、よく言ってくれたなあとしみじみ回想しています。

この中原有安。琵琶だけでなく横笛・太鼓・笙など、あらゆる楽器の名手でした。また今様や朗詠といった声楽のほうも一流でした。『源平盛衰記』には後白河法皇の前で即興で笛を吹いて誉に預かった話があります。

まだご出家前間もない後白河法皇が、院の御所・法住寺殿でつれづれの折、中原有安に読経を命じた。すると中原有安は笛を取り出して吹き、法華経・厳王品(ごんおうぼん)の一節をたくみに読経した。おお…即興でここまでのことができるとは!人々は感心したという話です。笛吹きながら読経はできないので、笛を吹き終わってから、そのメロディーにあわせて読経したということでしょう。(『源平盛衰記』巻三「有安厳王品を読む事」)。

次回「和歌所(わかどころ)」に続きます。お楽しみに。

講演会のお知らせ

■9/29 静岡講演「徳川家康の生涯」
http://shizuoka-doshishaclub.canariya.net/

第一回は松平氏の系譜から、今川家人質時代、桶狭間の合戦、三方ケ原の合戦まで。特に合戦のくだりは地図を示しながら、詳しく解説していきます。史跡歩き・古戦場歩きのヒントともなります。

■10/27 京都講演「声に出して読む 小倉百人一首」
http://sirdaizine.com/CD/KyotoSemi_Info.html

第四回。33番紀友則から48番源重之まで。会場の皆様とご一緒に声を出して歌を読み、解説していきます。百人一首の歌のまつわる名所・旧跡も紹介していきますので観光のヒントにもなります。

解説:左大臣光永

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