法然の生涯(十) 大原問答

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元暦2年(1185)春、平家一門は壇ノ浦の合戦に滅びました。しかしその後、頼朝・義経兄弟の対立が表面化し、ひきつづき世の中は騒然としていました。

そんな中、浄土宗の人気はどんどん高まっていきました。貴族にも、武士にも、庶民にも、法然をしたい浄土宗の門を叩くものが絶えませんでした。その勢いは、天台宗をはじめ既存の仏教の間でも無視できないものでした。

天台座主明雲一の弟子・顕真(けんしん)は、法然に深い共感を抱いていました。

「法然上人の人柄と学識はまことに素晴らしい。
それに比べれば、私の学問など浅はかなものだ。
ぜひ一度、じっくりと教えを乞いたい」

顕真は後に天台座主になる人物ですが、この頃、洛北大原の勝林院に隠棲していました。顕真は大原の地に各宗派の碩学を招き、法然と法論を行わせることにしました。

大原 勝林院
大原 勝林院

いわゆる「大原問答」です。

時に文治2年(1186)秋。法然54歳。法然が専修念仏を説き始めてすでに11年が経っていました。

「大丈夫ですかね法然さま、奴ら、喧嘩ふっかけてくるんじゃないですか」

「そういうことを言うものでない。御仏の救いを求めることにおいては、
浄土宗も天台宗も、どの宗派だって、同じです。敵ではないのだ」

「しかし…」

「まあ、そう心配はいらんから」

この頃、法然の横にはいつも眼光鋭い荒法師の姿がありました。法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい・れんしょう)。俗名を熊谷次郎直実といいました。

源平合戦一の谷の合戦のさなか、敵である若者・平敦盛を討ったことに心を痛め、後に法然上人のもとで出家を遂げたエピソードで『平家物語』に有名な人物です。ただし出家の理由は諸説あります。

がやがや、がやがや…

紅葉あざやかに照り映える大原勝林院に、三百人の聴衆が集まっていました。

参加者は、主催者の顕真、天台宗の智海、証真、三論宗の明偏(みょうへん)、法相宗の貞慶、それに東大寺の勧進職をつとめた俊乗坊重源。いずれも劣らぬ、各宗派の碩学がそろっていました。

「ふん。法然さまに何か無礼でもやってみろ。ただじゃおかねえからな」

どっかと蓮生は、堂の外に座り込みます。その手には大きな鉈を携えていました。

こうして三百人の聴衆が見守る中、歴史に名高い「大原問答」が始まります。

「法然上人にうかがいます。念仏念仏とおっしゃるが、
では修行や学問によって自力で悟りを得ようとするのは、
間違っているということですかな」

「そうではありません。修行や学問によって自力で悟りを得ようとする聖道門の教えはきわめて尊く、すぐれたものです。ただ…」

「ただ?」

「厳しい修行。学問。それは大切なことです。
しかし今、末法の世にあって、そんなことを言っていて間に合いましょうか?」

「ぬ…それは」

「私は嵯峨や吉水で、救いを求める庶民の姿を見ました。
その日の暮らしにも困るような人たちです。

彼らを前に、厳しい修行や難しい学問を勧めますか?

聖道門を人に勧めることは、小さな器に、大きすぎるものを
入れようとするようなもので、無理ではないでしょうか?」

「では、法然上人は、自分こそが、衆生に救いをもたらす
大きな器だとおっしゃるか」

「いいえ。むしろ、私のような愚かで、
頑迷な者こそ、聖道門の器では無いと、言っているのです」

「は…?」

「私は怠けものです。そしてすぐ疑うので、
厳しい修行、学問といって続いたためしがありません。
しかしただ念仏を唱えるだけなら、私のような愚か者にでも
できます。誰にでもできます。この末法の世においては、
広く深い聖道門ではなく、狭く浅い浄土門によるほかに
迷いの世界を離れることはできません」

「ううむ…」

法然はけして他の宗派を批判せず、深い敬意を払っていました。しかし一方で、この末法の世においてあまねく人を救うには、広く深い聖道門ではなく、狭く浅い浄土門による他は無いと、その一点は強く自信を持って断定しました。

問答は一昼夜にわたって行われました。

はじめは法然に批判的だった僧たちも次第に専修念仏の教えに傾き、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。つぶやく声がありました。

「では、みなさま、いっせいに唱和しようではありませんか」

主催者の顕真が音頭を取り、

南無阿弥陀仏…
南無阿弥陀仏…
南無阿弥陀仏…

念仏の声は三日三晩にわたって、大原の山々にこだましました。

その光景を見た蓮生こと熊谷直実は、「うん…うん。よかった。もう、こいつはいらねえな」

ドザッ。

鉈を傍らの藪の中に投げ捨てた、といいます。現在、大原三千院の門前の茶店の傍らに、「熊谷直実鉈捨ての藪」の碑がひっそりと立っています。

熊谷直実鉈捨ての藪
熊谷直実鉈捨ての藪

次回「月輪殿(つきのわどの)」お楽しみに。

解説:左大臣光永

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