光明皇后(十一)紫微中台

こんにちは。左大臣光永です。

私はいつもブツブツ何か唱えながら歩くんですが、今は新型コロナのためマスクをしているので、ブツブツいうとすぐ息切れして、ダメですね。「川中島の合戦」とか激しい所を語ってると、すぐ窒息しそうになります。呼吸ということが、いかに大事か、あらためて実感します。

本日は光明皇后の第十一回「紫微中台(しびちゅうだい)」です。

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光明皇后=光明子。父は藤原不比等(ふひと)。母は県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)。首皇子=後の聖武天皇に入内し、養老8年(724)聖武天皇即位後、夫人(ぶにん)を経て、神亀6年(729)長屋王の変の後、皇后となります。

仏教に篤く帰依し、国分寺・国分尼寺の造営、大仏造営をすすめ、施薬院(せやくいん)・悲田院(ひでんいん)を設けるなど社会事業にもつとめました。

天平勝宝元年(749)娘の孝謙天皇が即位すると皇后宮職の機能を拡大し「紫微中台(しびちゅうだい)」としましたが、これが藤原仲麻呂の台頭をまねきました。

前回は、天平勝宝8歳(756)聖武上皇が亡くなり、光明皇太后が聖武上皇の遺品を東大寺におさめた…いわゆる「正倉院御物」について語りました。今回は第十一回「紫微中台(しびちゅうだい)」です。

紫微中台と藤原仲麻呂

前回(聖武上皇の崩御)から時はもどりますが…

天平勝宝元年(749)7月2日、聖武天皇が譲位し、孝謙天皇が即位しました。同日、藤原仲麻呂が中納言を経ずに大納言に昇進しました。

藤原仲麻呂は不比等の嫡男武智麻呂の次男です。

「率性聡敏にしてほぼ書記にわたる」(『仲麻呂伝』)うまれつき聡明で俊敏。ほとんどの書物を読破していたと。また算術を学びその応用に長けていたともいいます。

紫香楽宮での大仏造営事業で働きをなしたことにより聖武天皇の目にとまり、正四位上近江守とされます。平城京に都もどってからは近江から奴婢や貢物をおさめ、実績を積み上げていきました。

大納言就任一ヶ月後の8月10日、仲麻呂は紫微中台(しびちゅうだい)の長官、紫微令(しびれい)に任じられます。

法華寺(=藤原不比等邸跡=皇后宮職跡=紫微中台跡)
法華寺(=藤原不比等邸跡=皇后宮職跡=紫微中台跡)

紫微中台とは、もと皇后宮職(こうごうぐうしき)であった機関です。皇后宮職、つまり光明皇后の身の回りの庶務を行う機関です。今回、娘の孝謙天皇の即位にともない、その機能を拡大し、その名も紫微中台とあらためていました。

(紫微(しび)…中国で北極星を中心とする星座群(小熊座・大熊座・竜座・カシオペヤ座等)のことで、天帝のすまう所=皇居のこと)

その紫微中台の長官(紫微令)として、藤原仲麻呂が抜擢されたのです。ここには光明皇太后の、仲麻呂に対する絶大な信頼が背景にありました。

「仲麻呂、頼みにしていますよ」
「ははっ、皇太后陛下、仲麻呂は全力を尽くします」

おそらく皇后宮職の権限を拡大したことも、紫微中台と中国式に名をあらためたことも、仲麻呂が長官になることも、すべて仲麻呂が光明皇太后に提案して、行われたことと思われます。

これが仲麻呂の野望の第一歩でした。しかし仲麻呂はすぐには動きません。

いまだ政治の実権は聖武上皇が握っていました。聖武上皇に嫌われたら、すべてパーになります。そこで仲麻呂は大仏開眼供養会のために協力し、みずからも写経を行うなど、聖武上皇・光明皇太后夫婦のご機嫌を取りつづけました。

聖武上皇崩御後の仲麻呂

天平勝宝8歳(756)5月2日、聖武上皇が亡くなりました。享年52。

聖武天皇陵
聖武天皇陵

遺言に、「道祖王(ふなどおう)を皇太子とせよ」と言い残しました。

道祖王

道祖王は新田部親王の子。天武天皇の孫です。しかし同じ天武系でも草壁皇子の系統ではなく傍流になります。

今や権力者・聖武上皇はいない!

仲麻呂は期待に胸を高鳴らせたでしょう。しかし、すぐには動きません。

野心をおしかくし、聖武上皇一周忌に向けてさかんに米や布を奉納し、光明皇太后・孝謙天皇へのアピールを続けました。

道祖王の廃太子と大炊王の立太子

聖武上皇の一周忌を前に、いよいよ仲麻呂は動き始めます。

まず光明皇太后・孝謙天皇に働きかけ、皇太子の廃立をはかりました。

天平勝宝9歳(757)3月29日、皇太子道祖王(ふなどおう)が、突如、皇太子を廃されました。

「秘かに侍童に通じて先帝に恭しきことなし」「機密のこと皆民間に漏せり」
「しばしば教えさとしても、少しも改め悔ゆるところがない」

というのが理由でした。真相はわかりませんが、おそらく仲麻呂によるでっち上げでしょう。

これにより「道祖王を皇太子に立てよ」という先帝聖武の遺言は破棄されて、3月29日、道祖王は皇太子を廃されました。

同年4月4日、孝謙天皇は群臣を招集し、意見を求めます。

「誰を次の皇太子に立てるべきか」

右大臣藤原豊成・中務卿藤原永手は道祖王の弟の塩焼王を、文屋珍努(ふんやのちぬ)・大伴古麻呂は舎人親王の子・池田王をというふうに意見が割れます。

最後に残った藤原仲麻呂が答えました。

「臣を知る者は君にしくはなし、子を知る者は父にしくはなし、唯天意の択び給ふ所の者を奉ぜんのみ」

しかし、仲麻呂はあえて誰がいいと、名前は挙げませんでした。

孝謙天皇は皆の意見をきき、挙がった人物の欠点を一人ずつ挙げていきます。そして最後に、

「大炊王(おおいおう)は若く悪評もきかないので、皇太子に立てたいと思うが、どうか」

ざわざわ…

「勅命であれば、従います」

群臣は、従うほかありませんでした。

大炊王は舎人親王の息子。天武天皇の孫です。しかし藤原仲麻呂ときわめて結びつきの強い人物です。仲麻呂の亡くなった長男真従(まより)の未亡人(粟田諸姉)を妻としており、仲麻呂の館(平城京左京の田村第)に住んでいました。いわば仲麻呂の養子同然です。大炊王が選ばれることは、はじめから、仲麻呂と孝謙天皇が打ち合わた上での出来レースでした。

田村第推定地の案内板
田村第推定地の案内板

藤原仲麻呂、紫微内省となる

天平勝宝9歳(757)5月2日、聖武上皇の一周忌が終わると、仲麻呂は紫微内省に就任しました。紫微内省はそれまでの「紫微令」を単に改名しただけではありません。内外の軍事権を統括する最高武官。すなわち宮廷の護衛と帝都の治安維持にあたる近衛軍と、地方の治安維持にあたる諸国の軍団、防人など、全国の軍事力を総括する立場です。

ここに仲麻呂は絶大な権力をにぎったことになります。

紫微中台の弊害

紫微中台は日に日に権力をましていきました。

通常、天皇の勅書には、最高意思決定機関である太政官の役人たちが署名します。しかしこの時期の勅書には、太政官が署名すべきところ、藤原仲麻呂はじめ紫微中台の役人たちが署名した文書が見られます。

ここからわかることは、紫微中台の権力が、太政官のそれを上回っていたということです。

紫微中台の前身である皇后宮職は、ほんらい皇后の身の回りの庶務を行う私的機関にすぎません。国家の政策に関わってくるような機関では、無いはずです。それなのに、皇后宮職が紫微中台と名を変えて以降、どんどん権力を拡大して、ついに太政官をも上回る権力を持つに至りました。

どうしてこんなことになったのか?

第一に、藤原仲麻呂に乗せられてしまったことです。

藤原仲麻呂は藤原南家・武智麻呂の次男です。

兄の豊成(とよなり)は右大臣となり、左大臣橘諸兄とともに国政を指揮する立場にありました。しかし次男の仲麻呂には出世の望みはありませんでした。才能あふれ学問にすぐれプライドも高い仲麻呂に、それは耐え難いことだったでしょう。

そこで考えたのが、太政官とは別の、もうひとつの出世のラインを自分で作ることでした。そこで大仏造営事業以来の、光明皇后とのパイプを活かし、紫微中台をつくらせ、みずから長官に就任したのでしょう。

「正規の出世コースが期待できないなら、もう一本別のコースを自分で作ればよい」

この藤原仲麻呂の発想を、私は大好きです。

律令制の世の中にあってこういう破格な考え方をした人物がいた事自体が、わくわくします。藤原仲麻呂にとても興味をおぼえますし、共感します。奈良時代で一番魅力的な人物だと思ってます。中国かぶれである点は好かないですが。藤原仲麻呂についてはいずれ機会をあらためて、トコトン語るつもりです。

それにしても。太政官に対する紫微中台は、いわば政府内政府です。(『ガンダム』でいえば地球連邦政府に対するティターンズのような…)権力が腐敗する、いちばんダメなパターンです。

光明皇太后自身には野心はなくても、こうしたなあなあな二重構造が、権力を腐敗させ、野心家・藤原仲麻呂の台頭をゆるしたことは記憶されるべきと思います。

さて飛ぶ鳥を落とす勢いの藤原仲麻呂でしたが、それを快く思わない勢力も出てきます…

次回「光明皇后(十ニ)橘奈良麻呂の変」に続きます。

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