将軍家茂の上洛
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文久3年(1863)、14代将軍徳川家茂が上洛し、孝明天皇に拝謁しました。これは建前上、朝廷と幕府が手をむすぶ「公武合体」政策の一環でした。しかし朝廷の本心は、幕府に対して攘夷実行の期日を迫ることにありました。
下鴨神社 楼門
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家茂上洛
文久3年(1863)2月13日、14代将軍徳川家茂の行列が江戸を出発し、東海道を一路、京都へ向かいました。
江戸城本丸 富士見櫓
老中水野忠精(みずの ただきよ)・板倉勝静(いたくら かつきよ)以下、3000人が随行しました。徳川将軍の上洛は3代家光以来、約230年ぶりでした。時に徳川家茂18歳。
はじめ汽船で向かうはずでしたが、先年の生麦事件の賠償問題でイギリスとモメていたため、陸路東海道を行くことになりました。
3月4日京都着。二条城を宿所とします。
二条城 二の丸御殿
将軍後見職・一橋慶喜は一足先に京都に着き、東本願寺渉成園を宿所としていました。
渉成園
上洛の目的は徳川家茂と孝明天皇との間で公武合体をおしすすめること、というのが建前でした。しかし一言で「公武合体」といっても、朝廷と幕府、それぞれの思惑にはズレがありました。
幕府は傾きかけた幕府を朝廷の権威によって立て直すことを狙っていました。
一方、朝廷は幕府から実権を取り戻し、幕府に攘夷を行わせること を狙っていました。攘夷といっても、すでに諸外国と通商条約まで結んでおり、いまさら、できるはずもなかったのですが。
しかし京都には江戸の空気は伝わっていませんでした。孝明天皇以下、尊王攘夷派の公卿や、長州の尊王攘夷派は、攘夷はやれるはずだ。今こそ将軍家茂に攘夷を迫ろうと、家茂の上洛を待ち構えていました。
義兄・孝明天皇に拝謁
3月7日、家茂は、御所に参内し、孝明天皇に拝謁します。孝明天皇の妹宮・和宮が家茂に嫁いでいるので、家茂にとって孝明天皇は義兄に当たります。
京都御所 紫宸殿
それにしても。
京都における家茂の扱いは酷いものでした。230年前の家光上洛の時は、家光、関白、左大臣、右大臣という席次だったのが、今回は関白、左大臣、右大臣、家茂という席次でした。
幕府は衰退している。主導権は朝廷にあるのだぞということを、朝廷は席次によっても示したのでした。孝明天皇から家茂にお言葉があります。
「和宮は元気であろうか」
「元気であらせられます」
「攘夷については、力を尽くしてほしいぞ」
「それはもう…」
拝謁は深夜に及び、孝明天皇より家茂に、勅書が下りました。
「政治についてはこれまで通り委任する。ただし、ことがらによっては諸藩に直接指示することもあろう」
「ことがらによっては」朝廷が、(幕府を通さずに)直接諸藩に指示を出すと。幕府がすっかり弱っているからこそ出せた、強気な言葉でした。
そして朝廷が直接諸藩に指示を出す「ことがら」とはもちろん、攘夷のことです。大の外国嫌いである孝明天皇はどうしても攘夷をやりたいのです。将軍家茂を上洛させたのも、攘夷実行を確約させるためでした。
下鴨・上賀茂両神社行幸
3月11日、攘夷祈願のための下鴨・上賀茂両神社への行幸が行われます。この日は朝から雨でしたが、御所を出発する午前10時頃までには晴れていました。
孝明天皇の鳳輦を取り巻いて、関白鷹司輔熙(たかつかさ すけひろ)に続き公卿88家の馬、将軍家茂が続き、将軍後見職一橋慶喜と諸大名21家は衣冠束帯姿で歩いて従いました。4キロにおよぶ行列をひと目見ようと4万人もの見物人が詰めかけました。
「その御行粧の優美なる、実に皇国の御威徳有難くもあるかな。近国近在よりもきき伝えて、行幸を拝せんと貴賤の老若男女加茂川原に伏して感拝感涙を催し、拍手を打って拝見せり」(『元治夢物語』)
行列は葵橋を渡り、
糺の森を抜けて、一時間ほどで下鴨神社に着きました。
下鴨神社 楼門
孝明天皇より神饌料(しんせんりょう。神社におさめる謝礼)として黄金二枚、白銀30枚が納められ、二時間にわたって神事が行われました。
その間、徳川家茂以下の幕臣は社殿の下の薄縁畳に座っていました。雨上がりの畳はじっとり濡れて、冷たかったといいます。
高杉晋作は声をかけたか?
午後一時、行列は上賀茂神社めざして出発しました。途中、沿道から高杉晋作が白扇をかざして、
「いよぅ征夷大将軍」
と呼びかけた…という逸話が有名ですが、たしかな史料がなく、つくり話かもしれません。
午後4時頃、上賀茂神社着。下鴨神社と同じ神事が二時間にわたって行われました。
上賀茂神社 楼門
石清水行幸
4月11日、同じく攘夷祈願のため、石清水八幡宮への行幸が行われます。
石清水八幡宮
しかし将軍家茂は、風邪のため出られませんでいた。それで代理人として一橋慶喜が行列に加わりました。世間は仮病だろうと言い合いました。
午前八時に一行は御所を出発。稲荷御旅所で休憩。城南宮で昼食。午後八時、石清水に着きました。
慶喜は腹を痛めて、山の下の寺院で休むことにしました。それで、接刀を授ける儀式は行われませんでした。これも仮病だろうと世間は言い合いました。
午後10時から深夜の祈願祭が行われ、明け方にまで及びました。
攘夷の期日、決まる
幕府は、将軍が長く京都に滞在してはますます立場が悪くなると考え、将軍を江戸に戻すよう朝廷に訴えました。しかしなかなか許可はおりませんでした。京都の公家たちは家茂の滞在を引き伸ばします。
目的は二つありました。一つは将軍の無様な姿を見せて、徳川幕府の衰退を世間にアピールすること。そしてもうひとつは攘夷の具体的な期日を決めさせることでした。
朝廷からの勅使が、将軍後見職・一橋慶喜のもとにたびたびやってきて、問いただします。
「それで攘夷はいつやるのだ」
「まだ決まらんのか」と
勅使は、幕府は落ち目だと見て舐め切ってます。憲兵づくにふんぞり返って、慶喜を侮辱しました。
(このような侮辱、もう耐えきれぬッ!)
4月20日、慶喜は将軍の名において宣言します。
「攘夷の期日を文久三年五月十日とする」
独断で、決めてしまいました。なんと期日まで20日しかありません。幕閣も、公卿も、「一橋公は狂ったのではないか」と、びっくりしました。
期日を決めると慶喜はさっさと江戸に引き返してしまいました。まだ京都には将軍家茂がいるのに。もうしらん。後は勝手にやってくれと、やけくそでした。
ただし慶喜は諸藩に対して「外国から攻められた時は守っていいが、こっちから仕掛けてはいかん」という意味のことを通達しました。こう言っておけば、攘夷攘夷うるさい朝廷への言い訳も立つし、騒ぎも起こらないというわけです。
しかし長州藩では、幕府の意図とは裏腹に、ついに殺っていいんだ、外国人をぶっ殺すぞと、5月10日を待ちわびるようになります。
次回「長州藩、攘夷を実行」に続きます。お楽しみに。
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■京都講演~菅原道真 6/22
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