初の普通選挙

本日は「初の普通選挙」について。

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前回「昭和の金融恐慌」から続きます。
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昭和3年(1928)2月、日本初の普通選挙が実施されました。田中内閣は無産政党(労働者や小作人を党首とする党)が票をのばさぬよう、さまざまに選挙干渉を行いました。

日本初の普通選挙

昭和3年(1928)2月20日、日本初の普通選挙が実施されました。

国民が待ちに待った普通選挙…投票率は80%を超えました。

選挙期間中、田中内閣は、内務大臣鈴木喜三郎(きさぶろう)により、さまざまに選挙干渉を行いました。

賄賂、接待は当たり前。選挙民の誘拐までやってのけ、

野党や無産政党の候補者は刑事に尾行させ、演説会やビラは安寧秩序のためといって中止させ、選挙違反と称して邪魔な候補者を片っ端から検挙しました。

無産政党…労働者や小作人を代表とする政党。

検挙者は民政党で469件1701人、無産政党は148件3001人にのぼりました。

当時、労働党の候補者大山郁夫(おおやま いくお)の応援演説のため、ジャーナリスト・作家の長谷川如是閑が登壇しました。

「今夜はただの学術講演と同じことをいうのだから、まさか中止にはならんでしょう」

と言った瞬間、

「中止」

の声が警察官からかかり、集会は中止となりました。

「これで大山氏が当選するなら黙って立っているだけの琴平(ことひら)神社の石灯籠だって当選するだろう」

というのが長谷川如是閑の残した名セリフです。

内務大臣鈴木喜三郎は選挙干渉があまりに悪どかったため、選挙後、責任を問われて内務大臣を辞任しました。

しかしこれほどの妨害工作をやったにも関わらず、結果は与党側に面白くないものとなりました。

与党の立憲政友会はなんとか第一党の地位をたもったものの、過半数には足らず、浜口雄幸ひきいる立憲民政党が、わずか一議席の差で第二党になりました。

労働党の山本宣治(せんじ)以下、8名の無産政党議員が当選しました。

三・一五事件と四・一六事件

田中内閣はこの選挙結果に危機感をいだきます。

「これ以上無産政党をのさばらせるのは、まずい」と。

そこですぐに攻撃に出ます。

昭和3年(1928)3月15日払暁、警察が社会主義者や労働運動家の事務所にいっせいに踏み込みました。

1600人におよぶ逮捕者が出、そのうち500名が起訴されました。

これを3・15事件といいます。

大正14年(1925)制定の治安維持法が、実際に適用されたはじめての例です。

検挙者に対しては特高(特別高等警察)による残虐な拷問が加えられました。

拷問のさまは小林多喜二の小説『一九二八年三月十五日』に生々しく描かれています。

畳屋の使ふ太い針を身体に刺す。一刺しされる度に、彼は強烈な電気に触れたやうに、自分の身体が句読点位にギュンと瞬間縮まる、と思った。彼は吊されてゐる身体をくねらし、くねらし、口をギュッとくひしばり、大声で叫んだ。『殺せ、殺せーーえ、殺せーーえ!!』

警察医が(!)彼の手首を握つて、脈拍をしらべてゐた。首を締められて気絶する。すぐ息をふき返へさせ、一分も時間を置かずに又窒息させ、息をふきかへさせ、又……。それを八回続けた。

これを書いた小林多喜二自身、昭和8年(1933)特高による拷問を暴露したことで逮捕され、築地警察署で虐殺されました。

4月には治安維持法の最高刑に死刑を加える改正法を議会に提出。これは不成立に終わりましたが、6月には緊急勅令という形で実現しました。

昭和4年(1929)4月16日、今度は800人あまりの社会主義者が検挙されました(四・一六事件)。

ここに日本共産党は事実上、壊滅しました。

大学にも追求の手はおよびました。

京大の河上肇(かわかみ はじめ)、東大の大森義太郎(おおもり よしたろう)、九大の向坂逸郎(さきさか いつろう)、佐々引雄(さっさ ひろお)、石浜知行(いしはま ともゆき)。

以上5人のマルクス経済学者が大学を追放されました。

大正デモクラシーによって灯った民主主義の火は、こうして次々と吹き消されていきます。

次回「山東出兵」に続きます。

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解説:左大臣光永