新選組 第28回「禁門の変(三)」

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元治元年(1864年)七月。

長州藩の急進派家老・福原越後らは2000人の軍勢を率いて京都に迫り、山崎・伏見・嵯峨天龍寺三方から御所をおびやかしていました。

昨年の八月十八日の政変で政界を追われて以来、巻き返しをはかってきた長州でしたが、もはや武力行使も辞さないという構えでした。

対する幕府方は薩摩藩を中心に御所の守りにつき、伏見方面は会津藩・彦根藩・大垣藩などが守っていました。その中に新選組は竹田街道沿いの伏見の長州屋敷の見張りについていました。

開戦

7月19日未明、新選組が伏見の長州藩邸の見張りについていると、

ドゴーーン!

北の伏見稲荷のあたりから、いきなり砲撃の音が響きました。

竹田街道 伏見~長州屋敷
竹田街道 伏見~長州屋敷

新選組一同、あわてて北へ走ります。ええくそ、長州の奴ら、おっ始めやがったな。その道すがらも、

ドーン、ドーン、
ブオッホー、ブオッホー

大砲の音、ほら貝の音が払暁の空にこだましていました。

伏見につくと、すでに幕府軍と長州軍との間で激しい撃ち合いがはじまっていました。タタタ、タンタンと小刻みな小銃の音が耳をたたきます。

「ついに始まりましたか!!」

「おお!新選組か。よく来てくれた。さっそくで悪いが会津兵とともに、伏見稲荷へ向かってくれ。大垣藩が守っているが、手薄なのだ」

「心得ました!」

すぐに新選組が神保内蔵助の率いる会津兵とともに伏見稲荷に向かうと、ドカーーン、うわーっ、ドゴーーン、ぎゃあああ、長州勢が大砲を放つたびに、大垣勢はあちらに崩れ、こちらに吹っ飛び、いいようにやられていました。

「な…なんということか!」

駆けつけた新選組と会津藩兵たちは、死屍累々と横たわる大垣藩士の死骸を前に茫然となりますが、すぐに反撃の態勢をととのえます。

ドドーーン、ドドーン、
キュン、キュン、

こちらも大砲をぶっ放ち、小銃を撃ちまくります。双方撃ちまくり、大混戦の中、福原越後は馬上に大音声を上げ、バカカッバカカッ、バカカッバカカッとさかんに走り回りながら指揮を取っていましたが、

キューーーン

「ぐっはあああ!!」

飛んできた一発の銃弾が顎をかすめ、

ドターーッ

と地面に叩き落とされました。

「ご家老っ!!」

「か…構うな。敵を討てーーっ」

ドドーン、ドドーン
キューン、キューン

その間も双方から飛び交う弾丸。

「ご家老がやられたッ。退け、退けーーーッ」

家老福原越後が負傷したことで長州勢は総崩れとなり、撤退していきます。

「徹底して追討すべきです!」

断固、近藤は主張しますが、大垣藩の答えはのらりくらりしたものでした。

「まだ夜も明けていないし…間道もあることだから…少しむずかしいのではないか」
「そもそも、これ以上長州を刺激するのはいかがなものか…」

「この期に及んで…まだそんなことを言っているのですか!
ならば新選組だけでも長州を追討します!」

新選組は福原越後の軍勢を追って、伏見稲荷から墨染まで追撃していきますが、福原は山崎へ逃げ延びていきました。

竹田街道 伏見~長州屋敷
竹田街道 伏見~長州屋敷

(山崎には敵の本体が構えている。新選組だけ突出するのは危険だ…)

そこで新選組は、いったん伏見稲荷まで戻ります。

新選組 京都御所へ

新選組と会津藩兵が伏見稲荷の境内で隊列を整えていると、

ドゴーーン

今度は北から大砲の音が響きました。

「あれは…御所の方角だ!!」

永倉新八と原田佐之介が付近の民家の屋根に上ると、京都御所から黒煙が上がっているのが見えました。ドゴーーン、ドゴーーン、続けて大砲の音が響きます。

「永倉さん、奴ら御所を砲撃してます!!」
「まさか、いやまさか…」

いくら長州でも御所に発砲までするとは誰も想像もしていませんでした。その、想像もしなかったことが、今目の前で起こっているのでした!

そこへ会津藩の公用方から早馬の使者が届きます。

「ひとまず伏見はそのままとし、御所に向かわれよ!御所が、大変なことになっておる!」
「御所は!御所は、どうなっているのですか?」

「長州に砲撃されているのだ!!」

「おのれ長州め!!」

神保内蔵助率いる会津藩兵と新選組は竹田街道を北上、洛中に入り、京都御所の堺町御門の二丁手前に陣取ります。

禁門の変
長州側、禁門の変

ドゴーーン、ドゴーーン、バーン、パン、パーーン

すでに堺町御門からは、激しい砲撃、銃撃の音が響いていました。

会津候の覚悟

この日、京都守護松平容保は御花畑屋敷で病にふせっていました。とても起き上れる状態ではなく、熱もたいへん出ていましたが、伏見、山崎、嵯峨三方から長州兵が御所に迫っているときき、

御花畑御屋敷跡
御花畑御屋敷跡

御花畑屋敷…近衛邸別宅。幕末は薩摩藩家老・小松帯刀の寓居となった。慶応2年(1866)薩長同盟が結ばれた場所。

「剃刀を持て」

急いで髭をそり官服に着替えると、馬にまたがり、数名の配下の者とともに御所を目指します。御所の玄関には将軍後見職・一橋慶喜(よしのぶ)と京都所司代・桑名藩藩主・松平越中守定敬(さだあき)とがありました。

「肥後守殿!!」
「ただいま、到着いたしました…うおっ」
「ああっ、肥後殿、無理をなされますな」

思わず、倒れそうになる松平容保を一橋慶喜と松平定敬が、支えます。

松平容保は両肩を支えられながら御所の廊下を進み、拝謁の間にまかり出ると、孝明天皇はもはやこれまでとお輿に乗って御所を脱出する手はずを整えておられるところでした。

「主上、なにとぞ、今しばらく、今しばらくお待ちを」

松平容保候が孝明天皇の袖に取りすがり、涙ながらに訴えると、孝明天皇もその真心に感じ入られてか、

「わかった。肥後。そのほうに任せる」

お返事を下されるのでした。

御所 各門での戦い

堺町御門では会津藩兵が守りを固めていた所へ新選組が合流します。ドーン、ドーーン、キュン、キューン。そこらじゅうで大砲や小銃の音が響いていました。

堺町御門
堺町御門

堺町御門
堺町御門

堺町御門の脇の鷹司邸内には大勢の長州人が入りこんでいました。「おのれ長州のカンゾクどもめ。くらえ」ひょうっ、ひょうっ、ドス、ドスドスドス、ごおーーー。会津藩兵は鷹司邸に火矢を放ちます。メラメラメラ、ゴォーー…たちまち燃え上がる鷹司邸。

鷹司邸跡
鷹司邸跡

「おわっっ。燃えている」
「くそっ、奴ら、火を放ちやがった」

わらわらわら~と長州人たちが外に駆け出したところを。「それっ」わあーっと会津藩兵と新選組が襲い掛かり、さんざんに打ち取りました。それでも生き残ったわずかな長州人は東の寺町御門へと逃げていきますが、寺町御門を固める肥後藩兵と会津藩・新選組とに挟み撃ちにされ、打ち取られました。

寺町御門
寺町御門

寺町御門
寺町御門

その間も長州人たちはあるいは御門から、あるいは土塀を乗り越えて、遠慮もなく御所の中に入りこんできます。ドーン、ドーーン、ひっきりなしに、鳴り響く大砲。

蛤御門は会津藩が守っていましたが、大挙して長州勢が押し寄せます。キューン、キューン…ドドーン、ドドーン。銃弾が飛び交い、砲弾が御門の上空を飛んでいきます。

蛤御門
蛤御門

蛤御門
蛤御門

ワァーーワァーーー死にもの狂いで攻め寄せる長州勢。
ワァーワァーー、負けじと攻め立てる会津藩兵。

「ひいい!!禁裏に発砲するとは、長州は、ななな、なにを考えておるのじゃ」
「やはり、長州を刺激しすぎたのだ。和睦を、一刻もはやく、平和な解決を」

禁裏内では公家たちがワアワア言っていましたが、ここまで来たら、もう誰にも事態を止められませんでした。

蛤御門では会津、長州、薩摩、それぞれに多数の死傷者を出しながらも、やがて長州兵を御所の外側にまで追い出すことに成功します。蛤御門はこの日一番の激戦地で、今でも御門にはこの日の小銃の跡が残っています。

蛤御門
蛤御門

北方の乾御門では、薩摩藩が警護を固めていましたが、ここにも長州勢が大挙して押し寄せます。

乾御門
乾御門

乾御門
乾御門

馬上、ゆうゆうと指揮をとる西郷隆盛。

その姿は、薩摩藩兵のみならず、いっしょに戦っている会津藩兵にも余裕と、安心感を与えます。

会津藩兵と薩摩藩は合同してさんざんに戦い、なんとか長州勢を食い止めるものの、薩摩、会津、長州、三者ともにそうとうの死傷者を出しました。

下立売御門(しもたちうりごもん)は美濃大垣藩兵が守護していましたが、長州に奪われてしまいました。

下立売御門
下立売御門

下立売御門 width=
下立売御門

そこへ「御門を奪い返せ!!」会津藩兵が門の内から、薩摩藩兵が門の外から、挟み撃ちに攻め立てます。ドーーン、ドーン、キューン、キュンキュン…ワァーー、ワアアーー門の内と外からさんざんに攻め立てられて長州勢は、ついに門を放棄して、撤退していきます。

御所西面中央の公卿門(くぎょうもん)(宜秋門)では、正面の日野大納言邸に長州人十数名が潜伏しているとの通報を受けて新選組の永倉新八、原田左之介、井上源三郎が隊士20名率いて踏み込みます。

公卿門
公卿門

ドカドカドカーーッ

「新選組である」

「なに、新選組!」「新選組だと」
「観念せい」「おのれ、新選組がなんぼのもんじゃ。死ね」

キン、カン、キーーン、カーン

「ぐはっ」「ぎゃあああ」

長州人はその場で四・五名が切り伏せられ、

「くうっ。退けっ。退けっ」

わらわらわらーーっと館を飛び出して、退却していきます。

蛤御門、堺町御門、寺町御門、中立売御門、乾門…いたる所で長州勢は戦うも、さんざんに打ち破られ、撤退していきます。その多くは潜伏先の民家に隠れました。

鷹司邸から出た火はたちまち燃え広がり、京の町は炎に包まれました。市中は火の海となります。後世「どんどん焼け」とよばれる大火災です。炎は京の夜空をあかあかと照らしました。長州勢はかなわじと見て、京都を出て、山崎方面へと撤退していきます。

次回「新選組 第29回「天王山の戦い」」です。お楽しみに。

解説:左大臣光永

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