桜田門外の変

桜田門外の変。安政七年(1860)3月3日、大老井伊直弼が江戸城・外桜田門外で水戸浪士を中心とする反対派に白昼、暗殺された事件。

背景には、将軍継嗣問題や、井伊直弼が朝廷の勅許をまたずして外国との通商条約を結んだこと、それに対する不満が高まるや井伊が反対派を粛清した「安政の大獄」、さらには朝廷から水戸藩にくだされた勅諚を、幕府が水戸藩に対して朝廷に返上するよう求めた「勅諚返還問題」がありました。

安政の大獄

安政5(1858年)、井伊直弼は大老に就任するや、
朝廷からの勅許を待たずして
米国との間に日米修好通商条約を締結しました。

これは外国の圧力に屈しての、
やむない不平等条約調印でした。

井伊直弼としても進んで調印したかったわけでなく、
苦しい立場だったのです。

しかし全国の志士たちは、そうは見ませんでした。

「井伊直弼は朝廷をないがしろにし、夷敵と結ぼうというのだ」
「井伊直弼は神国・日本をはずかしめる、逆賊である」

全国で井伊直弼に対する反感の声が高まっていきます。

「うむ。このような声を放置しておくと、
ロクなことにならん。どうするか見ておれ」

井伊直弼は、反対派に対する徹底した粛清を行います。
反対派を次々と逮捕・投獄・死罪にしてきました。
安政6年(1859年)安政の大獄です。

吉田松陰や橋本佐内、
頼山陽の三男・頼三樹三郎らが若い命を散らせたのは、周知の通りです。
井伊直弼による反対派弾圧は苛烈を極めました。

水戸藩の勅諚返還問題

翌安政七年(1860年)。

井伊直弼に対する反発はいよいよ高まっていました。

「これ以上井伊直弼の好きにさせてなるものか」
「討たれた同志の恨み、今こそ晴らすべし!!」

さらに、火に油をそそぐ事件が起こります。

孝明天皇は井伊直弼が朝廷の勅許を待たずして
独自判断で勝手に外国と条約を結んだことに、
強い不満を懐いておられました。

孝明天皇はもともと極端な外国嫌いな上、
自分の代で神国日本を外国人に蹂躙されるなど、
とんでも無いと、焦っておられました。

そのため、条約調印の責任を厳しく責め、
三家老の処罰を求める勅諚を、
幕府と水戸藩に対して下されました。

しかし井伊直弼は、この勅諚を朝廷に返上せよと、
水戸藩に要求してきたのでした。水戸藩では意見が割れます。

「幕府には逆らえぬ…言われた通り返上しよう」

「何を言うか!畏れ多くも天子さまから
直接水戸藩に賜った勅諚であるぞ
いかな幕府とて、とやかく言う筋の問題ではない」

このように議論が紛糾し、返上派・返上拒否派…
両者の対立は武力行使も辞さない勢いになっていきました。

ここに至り、安政5年からゆるやかに進められていた
井伊直弼暗殺計画はがぜん勢いを増しました。

「とにかく、諸悪の元凶は井伊直弼である。
今、井伊直弼を討たなくては先は無い」

「奸賊・井伊を打つべし!」

襲撃

井伊直弼暗殺計画に加わった面々は、

水戸藩脱藩浪士高橋多一郎(たかはし たいちろう)
金子孫次郎(かねこ まごじろう)・
関鉄之助(せき てつのすけ)ら、17名。

および
薩摩藩士有村次左衛門(ありむら じざえもん)。

「来る三月三日上巳の節句の日、
江戸城桜田門外にて井伊直弼を、斬る」

安政七年(1860年)三月三日は太陽暦では三月二十四日。
明け方から季節はずれの大雪が降り、あたりは
一面、雪景色でした。

「そろそろか」
「では」

早朝、水戸浪士たちは品川宿の旅籠屋を出発。

品川宿
品川宿

東海道に沿って進み、
愛宕神社でいったん落合い、江戸城桜田門に出発しました。

愛宕神社
愛宕神社

愛宕神社
愛宕神社

桜田門 遠景
桜田門 遠景

この日は上巳の節句であり、
各大名は江戸城に登城することになっていました。

五ツ半時(午前九時)、

井伊直弼は籠に乗って、外桜田(そとさくらだ)の
彦根藩上屋敷(かみやしき)を出発。江戸城に向かいました。

彦根藩上屋敷から江戸城桜田門まではわずか
三・四町(300-400メートル)ほどです。

内堀通
内堀通

供周りの者は徒歩(かち)、足軽、草履取り、
駕籠かきら六十名あまり。

徒歩は雨合羽を着て、刀の柄、
鞘ともに雪水が流れ込まないよう、袋をかぶせていました。

彦根藩上屋敷を出た井伊直弼一行は、
内堀通り沿いを進みました。

桜田門外の変 ルート
桜田門外の変 ルート

行列が桜田門外、杵築藩邸の前を通り過ぎた時、武士の一団がいて、武鑑を持って見物していました。武鑑とは大名の名を記した名簿です。

さて武監を持って見物していた者の中から
一人がゆらりと歩み出て、井伊直弼の籠に近づきました。

書状を持って、直訴しようとしているようでした。

「こらっ、何をするか」
「無礼者がッ」

警護の彦根藩士が、男を取り押さえようとすると男は、

ざんっ

太刀を抜き、

ずばああああっ

「ぐはあっ…」

どたっ。

いきなり顔面を斬りつけ、斬れらた彦根藩士は
前のめりのに倒れます。

「きゃ、きゃああーーーーー」
「人斬りだああぁぁぁぁーーーー」

見物人たちは悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように
逃げていきます。

この時、見物客にまぎれていた浪士たちが
わらわらっと籠の前に駆け出します。

迎え撃つ彦根藩士たちは、

「おのれっ」
「来るかっ」

咄嗟に応戦しようとするも、襲撃者たちは槍を奪おうと、
必死に取り付いてきます。両者は押し合い、圧し合いします。

が、これは陽動でした。その時、籠の後方から、

パーーーーーン

銃声がとどろきます。
銃弾は籠を直撃、井伊直弼の腰部に命中していました。

「ぐっ…おのれ…賊めえッ」

銃声を合図に、左右から、抜刀した浪士たちが
わらわらわらーと籠にむけて襲い掛かります。

「お、うおっ、ああーーーっ」

警護の彦根藩士たちは雪の朝のことで刀の鞘にも柄にも
袋をかぶせていました。それでなくても徳川二百六十年の歴史の中で、
大名行列が襲撃されたことなど、ただの一度も無く、安心しきっていました。

抜刀する隙もなく、

ずばあああ

ぎゃあああ

ずばああああ

ぎひいいいいい

次々と切り殺されていきます。

「ひっ、ひいいいーーーっ」

籠かきたちは逃げ出し、籠は雪の上に放置されました。

「井伊直弼、思い知れッ」

まず襲撃者の一人が籠に体当たりしながらずぶっと
太刀を突き入れ、続いて他の者も、

すぷっ、すぷっ、すぷっ、

ずぶっ!!

何度か突き刺し、ようやく手ごたえを感じると、

ばかんっっ

薩摩藩士有村次左衛門が荒々しく戸を明け放ち、
息も絶え絶えな井伊直弼を引きずり出し、

「キェーーーーーッ」

気合いの一声とともに振り下ろした薩摩刀で

ずばんっ

一刀の下に井伊直弼の首を斬り落としました。

鮮血が
真白き雪の上にしみわたります。

気がつくと、あたりには
斬り殺された彦根藩士の死体が、
いくつも転がっていました。

事後

「奸賊井伊直弼を、打ち取りったいィーーーーッ」

有村次左衛門は刀の切っ先に井伊直弼の頸を突き立てて
高く掲げ、

おう、おう、おううーーー

勝どきを上げながら、日比谷門のほうへ引き上げていきます。

その時、倒れていた彦根藩士・小笠原秀乃丞(おがさわら ひでのじょう)が

「うう…ううう…」

息を吹き返し、

「おのれ…大老の首をとらせて、なるものか…ッ」

根性で身を起こし、ヨタヨタ、ヨタヨタ…
有村次左衛門らの後を追います。

朦朧とする意識の中に、大老の首をかかげた有村次左衛門らの
後ろ姿が見えてきた、その時、

「お、の、れええっ」

ざんっ。

小笠原秀乃丞、抜刀し、有村次左衛門の背後から

ズバッ

一太刀浴びせかけると、

「有村さん!」「有村さん…おのれえっ」

ズバッーー

ぐはああああー

ばった。

彦根藩士小笠原秀乃丞は水戸藩士らに
さんざんに切り付けられ、後に救出されるも、
翌日、息を引き取りました。

一方、有村次左衛門も小笠原にあびせかけられた
傷がもとで歩行困難となり、井伊直弼の首をひきずりつつ、
雪の中、若年寄・遠藤胤統(えんどう たねのり)邸の門前まで至りますが、
力つきて自害しました。

井伊直弼の首は遠藤家から井伊家へ届けられ、
彦根藩邸で胴と首が縫い合わされました。

彦根藩士は死者八人、負傷者十人余り。
襲撃側は一人が乱闘の末討死。四人は重傷を負って自刃。
斎藤監物ら四人は老中脇坂安宅(わきざかやすより)のもとに自首。
ほか四人は熊本藩邸に自首。
ほか五人は逃亡しました。

時に井伊直弼46歳。

以後、日本各地の尊王攘夷派の志士たちの間で、
討幕を目指す声が高まっていくこととなります。

問題の桜田門ですが…

江戸城本丸に近い「内桜田門(桔梗門)」と区別して
正確には「外桜田門」といいます。

桜田門 遠景
桜田門 遠景

L字型に配置された二つの門からなり、
外側を「高麗門(こうらいもん)」、
内側を「渡櫓門(わたりやぐらもん)」といい、
この二つの門を通って、江戸城に登城するのです。

外桜田門 高麗門
外桜田門 高麗門

外桜田門 渡櫓門
外桜田門 渡櫓門

井伊直弼の屋敷跡は、外桜田門から西へ300メートルほど。国会議事堂が見える位置の近くにあります。江戸時代初期には肥後熊本藩主・加藤清正の屋敷がありました。加藤家は二代忠広の代で取り潰しとなり、その後、近江彦根藩主井伊家の屋敷となり、明治維新まで井伊家が上屋敷として利用していました。

井伊直弼の屋敷跡
井伊直弼の屋敷跡

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解説:左大臣光永