大津事件(二)死刑論と反死刑論

こんにちは。左大臣光永です。

若いころ、裁判の傍聴にハマッてた時期があります。さまざまな人生の局面が見れて、おもしろかったです。裁判官が淡々と無期懲役などのキツい処分を言い渡すのは、背中がゾワゾワしました。人間、悪いことしちゃイカンなと思いました。

四回にわたって「大津事件」について語っています。

明治24年(1891)5月11日、滋賀県大津町で、来遊中のロシア皇太子ニコライ(後のロシア皇帝ニコライ2世)に、警備に当たっていた巡査、津田三蔵がサーベルで斬りかかり、負傷させた事件。湖南事件とも。

本日は第二回目「死刑論と反死刑論」です。

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前回配信 大津事件(一)事件発生
https://history.kaisetsuvoice.com/Meiji_Otsu1.html

津田三蔵予審

犯人、津田三蔵はその場で取り押さえられると、傷の応急手当の後、戸板にのせて膳所監獄(現滋賀刑務所。昭和41年、石山に移転)に送られ、未決病室にて警察医の診断を受けました。

午後11時頃、大津地方裁判所より三浦予審判事、中村・種野検事に書記二人が来て、予審訊問が行われました。

「なぜロシア皇太子の殺害を企てた?」

「ロシア皇太子がわが国に御来遊ならば、まず天皇陛下に拝謁し、ご挨拶の上、わが国内を遊覧するのが筋である。それを、天皇陛下にご挨拶もなきに鹿児島大津に来らせらるるは、野心あってのことなり」

「野心とは何だ?」

「わが国を乗っ取ろうという野心だ。千島・樺太交換以来、ロシアはわが国に何一つ利益をもたらさない。ロシア皇太子はわが国の地理地勢をさぐりに来たのだ。生かして帰せば、後日かならずわが国を乗っ取りに来る。だからやむを得ず、事におよんだ」

「国防のためには陸海軍がある。なぜに三蔵一人で殺害に及んだか。ましてロシア皇太子殿下はわが天皇陛下の国賓であらせられるのに」

「今ロシア皇太子を帰しては、後日必ずわが国を乗っ取りに来る。今しかないと思い、やったのだ」

数回の訊問を経て、津田三蔵の言い分がじょじょに明らかになってきました。

ロシア皇太子が天皇陛下への拝謁前に各国遊覧におよんだのは無礼であるということ。

ロシア皇太子はわが国を侵略する下準備として、地理地勢を観察しにきたということ。

小唐崎町で警護中、ここで逃したら後がないと思い凶行に及んだこと。

皇太子殺害の後は自殺するつもりだったが、不幸にして取り押さえられたこと。

死刑論と反死刑論

5月11日の犯行から、5月27日の公判まで、関係者・目撃者への取り調べが進められました。

その間、

内閣首脳部は、ロシアとの関係悪化を恐れ、刑法第116条に規定された皇室罪(大逆罪)を適用し、津田を死刑に処すべく画策しました。

しかし、裁判所側では、通常人に対する謀殺未遂事件とする意見も出ていました。

5月12日、松方正義首相、後藤象二郎逓信大臣、陸奥宗光農商務大臣、山田顕義司法大臣以下、政府首脳部が永田町の官邸に集まりました。

山田顕義司法大臣いわく、

「裁判官の中には、皇室罪をもって極刑に処すか、通常人に対する謀殺未遂とするか、意見が割れている。私は今回の事は実に重大で、重きを取るべきと思う。万一異説を唱え処罰に支障をきたすなら、戒厳令を発布してでも処罰すべきだ。国家の危機を回避するには、非常の処置も必要である」

他の者も同意しました。

皇室罪とは、当時の刑法第116条「天皇・三后・皇太子に対し危害を加え、または加えんとしたる者は死刑に処す」というものです。

一方、通常人に対する謀殺とは刑法第292条「あらかじめ謀り人を殺したる者は、謀殺の罪となし死刑に処す」というものです。ただし津田の場合は未遂ですので、さらに刑法第112条が適用され、罪一等またはニ等が減ぜられます。死刑にはならないわけです。

ロシアの手前、津田を死刑にしたい内閣としては、それでは困ります。

児島大審院院長への圧力

松方正義首相はすぐさま、児島惟謙(こじま これかた)大審院院長と北畠裁判官を別室に招きました。

児島惟謙大審院院長、この年55歳。

伊予宇和島藩士の出身で、明治4年(1871)司法省に入り、翌年司法省判事。名古屋裁判所所長、長崎控訴裁判所所長、大阪控訴裁判所所長、大阪控訴裁判所院長などを経て、明治24年(1891)大審院院長に就任していました。その、就任早々、今回の事件が起こったのです。

松方首相が児島院長に言います。

「わが国が採るべき道はほかにない。津田三蔵を処罰し、ロシア皇帝および人民を満足させることである。あえて問う。犯人を処罰する法律には、如何なるものありや」

児島院長答えていわく、

「…通常人に対する謀殺未遂についての刑法の規定によるほかありません」

松方首相いわく、

「ロシア皇太子は将来のロシア皇帝である。かの犯行を通常人に対するものとして裁けば、将来にわたる悪感情となる。故に内閣は、皇族に対する刑法116条にもとづき、死刑に処することで評議をしている」

ここで陸奥宗光農商務大臣が口をはさみます。

「ロシアに対する配慮だけではないのだ。刑法116条には天皇・三后・皇太子に対し危害を加えた者云々とあり、とくに「日本の」と書かれていない。外国の皇帝皇族に対する犯罪も、ここには含んでいると解釈できるのではないかね」

児島惟謙院長これに答えて、

「そもそも刑法116条の草案には「日本の」という言葉がふくまれていましたが、後に削除されたのです。なぜならば、天皇なる称号は日本に特有のものであり、わざわざ「日本の」と断る必要がないからであります。けして適用範囲を広げることを意図していないのであります。小官は非才ではありますが、大審院院長として陛下の親任を受けております。内閣がいかに評議しようと、法の精神に反する解釈には応じらせません」

すると松方首相は、

「法律の解釈はそうだろう。しかし国家があってはじめて法律もあるのだ。国家が滅べば、法律も生命も無いのだぞ!」

つまり、国家を滅ぼさないために、ここは法を曲げて、津田を死刑にせよと。

児島院長これに答えて、

「国家存亡の瀬戸際ならば法を放棄することもあるでしょう。しかしわが国は今そこまでの状況ではない。司法大臣ともよく議論してみます」

児島院長はその足で司法省に赴き、山田顕義司法大臣に面会しましたが、山田司法大臣も「皇室罪で津田を死刑にせよ」という意見でした。

ただし司法省にも山田司法大臣に反対する者があり、延々3時間の議論となりますが、山田司法大臣はついに意見を曲げませんでした。

5月13日、児島院長は判事を集め、今回の件を議論させると、全員、意見が一致しました。

すなわち、刑法116条の「天皇・三后・皇太子に対し」云々とあるのは、わが国の皇族に限ったことで、外国の皇族はふくまない。今回の件は皇室罪ではなく、通常人に対する謀殺未遂として無期徒刑にすべきだ。死刑には当たらないと。

児島大審院院長、内閣出頭

その後も内閣側は皇室罪を適用して死刑に処すべきだといい、裁判所側は通常人に対する謀殺未遂事件を主張し、議論は並行線をたどりました。その間、大津地方裁判所では関係者への取り調べが進んでいました。

5月18日午前、松方正義首相は児島大審院院長へ内閣への出頭を求めました。

児島院長が出頭すると別室に招かれ、

「大津事件において、足下は通常人に対する謀殺未遂ということで意見を変えないそうだが、判事は全員、そうなのか?」

児島院長、答えていわく、

「全員ではありません。単に大審院院長としての見解です」

すると松方首相はいろいろ言いましたが、ようするに

「ロシアの手前、津田を死刑にしないとまずい」

「陛下もお困りになる」

「どうしても今の法律で死刑にできないなら、戒厳令を発するしかない」

「だから察してくれ」

ということでした。とくに、明後日に皇太子一行は神戸を出発される、陛下もお見送になる。その時もし犯人の処分について尋ねられたら陛下は何とお答えになればよいのだ、という話には、児島院長も大いに心をゆさぶられましたが…

「陛下の御心中、察するに余りあります。しかし裁判官の職分は独立にして不可侵です。大審院院長とても、意見を述べる権限はございません。該当の七名の裁判官は、法にのっとって選ばれたものです。彼らがいかなる判決をなすとも、よそから口出しされるべきではありません。

もし法を曲げて皇室罪を適用すれば、わが国は主権を失い、諸外国の嘲りを受けましょう。

津田三蔵ごときは国家の大罪人であり、一般感情からいえばすぐにも極刑に処したいところです。しかし、法律は国家の精神にして裁判官が私すべきものではない。そのことを、諒解せられよ」

「では、その七人の裁判官は誰誰であるか」

「これこれの者です」

児島院長は筆をとって

堤裁判長以下、土師、中、安居、井上、高野、木下、七名の判事の名を記しました。

死刑論に与しない裁判官に、圧力をかけるつもりであることは、明白でした。

次回「大津事件(三)裁判官への圧力」に続きます。

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解説:左大臣光永