一休宗純の生涯(七)一休の詩文

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こんにちは。左大臣光永です。

本日は「終戦の日」ですね。

昭和20年(1945年)8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、翌15日正午、昭和天皇による玉音放送で日本が無条件降伏したことが国民に伝えられ、第二次世界大戦が終結しました。日中戦争をふくむ戦没者は310万人と概算されています(資料によって差があります)。

あらためて、今日ある日本は多くの尊い犠牲の上に成り立っている、軽いことじゃないのだなと思わされます。

美味しい焼き鳥が食えるのも、ラーメンが食えるのも、漫画や映画を楽しめるのも、当たり前なことじゃないのだと。

ふだんあまり考えませんが、今日ばかりは、考えるべき日だと思います。

本日は「一休宗純の生涯」の第七回目(最終回)「一休の詩文」です。

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一休宗純は生涯、膨大な量の詩や文章を残しています。その中から有名なもの、一休の人となりがよく出ているものを読み、解説します。

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一休み

有漏地(うろぢ)より無漏地(むろぢ)へ帰る一休み雨ふらば降れ風ふかば吹け

「有漏地」とは煩悩まみれであること。「無漏地」は煩悩から解き放たれ悟りを開いたこと。煩悩まみれの状態から悟りの境地へと帰っていく、人の一生はその途中で一休みしているようなものだ。雨が降るなら降れ。風が吹くならば吹け。

応永25年(1418)25歳の一休は、近江国堅田の華叟宗曇(かそうそうどん)のもとで修行しており、師から「洞山三頓(とうざんさんとん)の棒」の公案を課せられていました。

公案とは経文や語録にある「お話」を使って、ある問題を立てて、その問題を解くことによって悟りの境地に近づこうという禅の手法です(「なぞなぞ」みたいですね)。公案の数は1700もあるそうです。

「洞山三頓の棒」とは、中国襄州の洞山(とうざん)という禅僧が師の雲門禅師(うんもんぜんじ)に入門しようとした時、「お前に三頓(60本)の棒を食らわせたい」といきなり言われ、なぜそんなことを言われるのかわからない。

次の日、また訪ねて、「私の何が間違っていたんでしょうか?」すると雲門禅師は「この無駄飯喰らいが」と一喝した。そこで洞山はハッと悟ったと。さて、洞山はどう悟ったのか?という話です。

一休はサッパリ意味がわかりませんでした。しかしあるとき、街角で盲法師の語る『平家物語』「祇王」の段を聴いて、一休はハッとしました。

平家一門の全盛期、祇王(ぎおう)という白拍子が、母刀自(とじ)、妹祇女(ぎにょ)とともに平清盛に寵愛されていた。今をときめく清盛の寵愛により、一族おおいに繁盛していた。

3年後、清盛の西八条の館に、新人の白拍子、仏御前が訪ねてくる。しかし清盛は会おうともしない。祇王はおなじ白拍子のよしみで仏御前をあわれに思い、仏御前を招き入れ、清盛の前で今様を舞わせる。すると清盛は仏御前の美声にすっかり聞き惚れて、以後、仏御前を寵愛するようになり、祇王への愛情はすっかりなくなってしまった。

祇王は心痛め、「もえいづるも枯るるも同じ野べの草 いづれか秋にあはではつべき」と障子に書き残して西八条の館を去り、母刀自、妹祇女とともに出家して嵯峨野で庵を結ぶ。しばらくして、三人の庵をたずねる者があった。開けてみると、なんと、髪をおろした仏御前であった。

「あなた様の歌をみて、一時の栄華におごった自分を恥じました。私を引き立ててくださったのは祇王さまなのに。この上は出家して、ご一緒に念仏をと、西八条の館を飛び出してまいりました」

なんとそうでしたかと祇王も仏を受け入れ、祇王、刀自、祇女、仏の四人でひたすら念仏してすごし、ついに往生の素懐を遂げたという話です。

「洞山三頓の棒」のエピソードと、平家物語の祇王の出家と、どうつながるのか、現代の我々にはまったくわかりませんが、一休にはすっと2つのエピソードが気持ちよくつながったのでしょう。

師の華叟は一休の報告をきいて、これよりは、一休と名乗るがよいと、名を授けました。

一休もこの名を大変気に入って、歌に詠みこみました。それがこの歌です。

有漏地(うろぢ)より無漏地(むろぢ)へ帰る一休み雨ふらば降れ風ふかば吹け

五山に失望

一休が生きた室町時代、天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺の5つの禅寺=五山は、幕府からの援助を受け、豪壮華麗な伽藍を築き、大いに繁盛していました。知識をもてあそび、名利におぼれ、本来の禅宗の教えからはずれていました。

一休16歳の時、建仁寺で法会がありました。

多くの僧たちが集まり、自分の出身のよさ家柄を自慢しあっていました。それを見て一休は嫌気がさしました。

説法説禅挙姓名
辱人一句聴呑声
問答若不識起倒
修羅勝負長無明

法を説き禅を説きて姓名を挙ぐ
人を辱むるの一句、聴きて声を呑む
問答、若し起倒(きとう)を識らずんば
修羅の勝負、無明を長ぜん

『狂雲集』201

法を説き禅を説く者がわが姓名をほこり、他人を侮辱しているのを聴いて、声が出なかった。
問答というのものは、相手を立て自分を倒すわきまえがなければ、
阿修羅の勝負となり、無明の闇が続くばかりだ。

骸骨を包む

一休は17歳から21歳まで、京都西山西金寺の謙翁宗為のもとで修行しました。清貧に徹した師の生きさまに一休は共感し、この人こそ生涯の師とみていました。しかし、応永21年(1414)12月、一休21歳の時、為謙宗為は亡くなりました。絶望した一休は清水寺、石山寺とさまよいますが、ついに瀬田川に身を投げようとして、すんでのところで母からの使いに引き止められました。

そもそもいづれの時か夢のうちにあらざる、いづれの人か骸骨にあらざるべし。それを五色の皮に包みてもてあつかふほどこそ、男女の色もあれ、いきたえ身の皮破れぬれば、その色もなし、上下のすがたもわかず。ただ今かしづきもてあそぶ皮の下に、この骸骨を包みて、うち立つとおもひて、この念をよくよく更新すべし。

仮名法語『骸骨』

そもそもいづれの時が夢のうちでないことがあろうか。いずれの人が骸骨でないことがあろうか。それを五色の皮に包んで扱う間は、男女の区別もつこうが、死んで身の皮が破れてしまえば、その区別もつかない、身分の上下もわからない。ただ今かぶってもてあそんでいる皮の下に、この骸骨を包んで立っているのだと思って、この念をよくよく日々新たにすべきだ。

大悟

応永27年(1420)5月20日の夜、27歳の一休は琵琶湖の湖岸につないだ舟の上で座禅していました。

深い闇の中、どぶんどぶんと琵琶湖の波音だけが響く。舟がゆれる。厚い雲は覆いかぶさるようで。まわりの大自然と自分が一つになって溶け合うような。我を忘れた無我一如の境地。

その時、

ギャアア

烏が一声、鳴きました。

この瞬間、一休は心身脱落して、大悟の境地に達しました。

十年以前識情心
瞋恚豪機在即今
鴉笑出塵羅漢果
昭陽日影玉顔吟

十年以前 識情(しきじょう)の心
瞋恚(しんい)豪機(ごうき)即今(そっこん)に在り
鴉は笑ふ 出塵(しゅつじん)の羅漢(らかん)か
昭陽日影(しょうようにちえい) 玉顔(ぎょくがん)吟ず

『一休和尚年譜』

十年来、我執に迷い、
怒りや傲慢さにあふれて今に至った
しかし鴉の一声をきいて大悟してみれば
照り輝く朝日の中で、私は晴れやかな顔で詩を吟ずることができる。

10日でやめる

永享12年(1440)6月20日、47歳の一休は大徳寺塔頭・如意庵(にょいあん)の住寺となりましたが、騒がしさにイヤになって、10日でやめました。その時、兄弟子の養叟にしめした偈。

住庵十日意忙々、
脚下紅糸線甚長、
他日君来如問我、
魚行酒肆又婬坊。

住庵十日、意忙々、
脚下の紅糸 線甚(はなは)だ長し、
他日、君来りてもし我を問わば、
魚行、酒肆(しゅし)、また婬坊(いんぼう)。

『狂雲集』79

如意庵に住んで10日間というもの、とても慌ただしかった。
拙僧はまだまだ修行不足で未熟だ。
後日、君が私を訪ねることがあれば、
魚屋か、居酒屋か、女郎屋に入り浸っているだろう。

脚下紅糸線甚長…赤ん坊の時は足の裏に紅い血管が見えているが、成長すると皮が厚くなって見えなくなる。そこから、まだまだ修行が未熟であること。

魚行…魚屋。酒肆…酒屋。婬坊…売春宿。

僧侶として守るべき戒…不殺生戒(ふせっしょうかい)・不飲酒戒(ふおんじゅかい)・不邪婬戒(ふじゃいんかい)に、俺はそむくぞと、堂々と宣言しているのです!

狂雲子・一休

美人雲雨愛河深
楼子老禅楼上吟
我有抱持啑吻興
竟無火聚捨身心

美人の雲雨(うんう) 愛河(あいが)深し
楼子(ろうし)の老禅(ろうぜん)楼上の吟
我に抱持啑吻(ほうじそうふん)の興あり
竟(つい)に火聚捨身(かしゅうしゃしん)の心無し

同140

美人との情事は愛が深い河のように素晴らしかった。
私はうっとりして楼上で思わず詩を吟じた
私には抱擁と接吻の楽しみがあるのだ。
火中に身を投じるような、命がけの修行心なんか、ふっとんじまったよ。

風狂狂客起狂風
来往婬坊酒肆中
具眼衲僧誰一拶
画南画北画西東

風狂の狂客、狂風を起す、来往す、婬坊、酒肆の中
具眼(ぐげん)の衲僧(のうそう)、誰か一拶(いっさつ)、南を画し北を画し、西東を画す。

同125

風にいかれた狂った男が、狂った風を起こす、歩き回る。女郎屋を、酒屋を、
眼のあいた修行僧なら、誰か一突きしてみろ。南に北に西に東に、私は行きたい方へ行くだけだ。

嘘をつき地獄へおつるものならばなきことつくる釈迦いかにせん

(嘘をついて地獄に堕ちるというなら、嘘ばかり並べ立てた釈迦はどうなるのだろうか)

この世にて慈悲も悪事もせぬ人はさぞやゑんまもこまりたまはん

(この世で慈悲の行いも悪事もしない人は、閻魔もさぞ困るだろう。人間生きていれば、慈悲の行いもするし、悪事もするものだ)

森女

文明2年(1470)11月14日、77歳の一休が住吉に暮らしている頃、一休は薬師堂で、一人の盲目の女性の歌をききました。それが、森女(しんじょ)との出会いでした。まさに「ふたたび廻ってきた春」。しかも、混迷きわまる応仁の乱のさなかに、その「春」は、来たのでした!以後、一休は生涯、森女と同棲したようです。

木稠葉落更回春
長緑生花旧約新
森也深恩若忘却
無量億劫畜生身

木は稠(しぼ)み葉は落ちて更に春を回らす
緑を長じ花を生じて旧約新なり
森也(しんや)が深恩(しんおん)若し忘却せば
無量億劫(むりょうおくごう)畜生の身

同 559

木はしぼみ葉は落ちてもまた春はめぐって来る。
緑はしげり花は咲き古いものは新しくなった。
そんなふうに森女の愛によって私は若返った。
森女の深い恩を忘れれば、
無量億劫もの間、私は畜生の身に落ちるだろう。

大徳寺住寺となる

文明6年(1474)、一休は後花園天皇の勅命により、大徳寺住寺となりました。応仁の乱で焼失した大徳寺の復興を、天皇は一休にたくしたのでした。一休としては気の進まないことでしたが、天皇の勅命とあれば断れませんでした。

大灯門弟滅残灯
難解吟懷一夜氷
五十年来蓑笠客
愧慚今日紫衣僧

大灯の門弟、残灯を滅す、解け難し吟懐、一夜の氷
五十年来、簑笠の客、愧慚す今日、紫衣の僧

230

大燈国師の門弟たる私が、わずかに残っていた法灯を消してしまった。
解けがたい胸の思いは、一晩中抱く氷のようだ。
五十年来、蓑笠で過ごしてきたのに、残念だ。今日になって紫衣を着ることになるとは。

大燈国師…大徳寺開山・宗峰妙超

遷化

狂雲真是大燈孫
鬼窟黒山何称尊
憶昔簫歌雲雨夕
風流年少倒金樽

狂雲は真(まこと)に是(こ)れ大燈の孫
鬼窟黒山、何ぞ尊しと称せん
憶ふ昔、簫歌雲雨(しょうかうんう)の夕(ゆうべ)
風流の年少、金樽を倒せしことを

私一休こそが大燈国師の(禅における)孫である。
人のいない洞窟や山奥にこもっていて、何をえらそうにいうのか
思えば昔、音曲や歌が鳴り響く遊里で女たちと夜を過ごし、
風流を愛した若き日の私は酒樽を空にするまで酔いつぶれたものだ。

「大燈」一休が尊敬した、鎌倉後期の臨済宗の僧。後醍醐天皇、花園上皇の帰依を得て大徳寺を開く。一休は我こそはその孫であるといっている。
「雲雨」「風流」は主に男女の関係のこと。

死に対して、一休はきわめて達観していました。

生れては死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も

朦々然而三十年
淡々然而三十年
朦々淡々六十年
末期脱糞捧梵天

朦々として三十年
淡淡として三十年
朦々淡々として六十年
末期の糞をさらして梵天に捧ぐ

ムラムラ、モヤモヤして六十年。末期の糞をさらして天に捧げる。人間なんてそれだけのことだ。

続けて、

借用申昨月作日
返済申今月今日

借用申す昨月作日(さくげつさくじつ)、
返済申す今月今日(こんげつこんにち)、

借りおきし五つのものを四つかへし
本来、空にいまぞもとづく

命はほんの少しの間借りていただけなのだから、今お返しします。

借りていた五つのもの(地水火風空)のうち四つを返し、
人間本来のありようである空だけが残る。

次回から「大津事件」について語ります。お楽しみに!

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日蓮と一遍(1時間29分)
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解説:左大臣光永

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