後白河上皇(十五)一の谷の合戦

こんにちは。左大臣光永です。

一週間くらい集中して、部屋の掃除をしていました。だいぶきれいになりました。しかしきれいになってみると、別に大きく変わるもんじゃないというか…。

プラモデルを作り始めるときに、どんな素晴らしいのができるだろうとワクワクするけれど、完成した後、どうでもよくなる、あの心理に似ています。心なしか、録音する時の音はよくなったような気がします。

本日は「後白河上皇(十五)一の谷の合戦」です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

https://roudokus.com/mp3/Goshirakawa15.mp3

前回までの配信
https://history.kaisetsuvoice.com/cat_Heian.html#Goshirakawa

前回は「十月宣旨と法住寺合戦」について語りました。

寿永2年(1183)6月、都入りした木曽義仲でしたが、次期天皇の人事に口を出すなどで後白河法皇と公家たちのひんしゅくを買いました。後白河は早々に義仲に見切りを付けて、鎌倉の源頼朝に接近をはかり、義仲を排除しにかかりました。

追い詰められた義仲は、同年11月、後白河の御所法住寺殿を襲撃し、後白河を幽閉しました。しかし後白河は源頼朝のもとに使いを立て、寿永3年(1184)正月、源頼朝の命により、範頼・義経が義仲軍討伐に向かい、義仲を滅ぼしたところまで前回語りました。

本日は第15回「一の谷の合戦」です。

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和戦両論

木曽義仲の没落により、後白河法皇は実権を取り戻しました。

義仲が立てた摂政松殿師家は失脚し、もとの九条基通が摂政に復帰しました。

後白河は幼帝後鳥羽天皇を擁して、ふたたび天下に君臨しました。しかし、気がかりなのは後鳥羽天皇のもとに三種の神器が、無いことでした。

後白河以下、院近臣たちの意見は割れます。

「三種の神器の奪還こそが第一である。平家と交渉すべきだ」

という意見と、

「いまさら交渉などありえない。武力討伐あるのみ」

という意見とに。

後白河はひとまず、静賢(じょうけん)法印を和平の使者に立て、平家のもとに遣わそうとします。それに先立って、下交渉のための使者が平家の陣営に向かい、「法皇に交渉の準備あり」とのことを伝えます。

しかし結局、院の方針は「平家一門への武力討伐を行う」ということで押し切られてしまいました。

この間の後白河の葛藤は、九条兼実の日記『玉葉』にくわしいです。後白河としてはあくまでも平和的交渉によって平家から三種の神器を返還してもらいたい。しかし主戦派に押し切られて、武力討伐することになった。その時点でもう和平の使者を送っていたので、結果として平家を騙し討ちする形になったようです。

出兵

寿永3年(1184)正月27日頃?頼朝に対し、平家追討の院宣が下されます。それを受けて、頼朝は範頼・義経両軍に平家追討を命じ、正月29日(『吾妻鏡』)、範頼・義経両軍が京を出発します。

静賢法印は、すでに和平の使者に内定していたところ、範頼・義経軍出発ときいて、激怒します。

「和平の使いは、三種の神器を取り戻すためのもの。なのに武士を送って討伐するでは、今更使いを送っても仕方ない」

そう言って和平の使者を辞退しました。

一の谷の合戦

範頼・義経両軍は二手にわかれ、範頼軍は東の生田の森から、義経軍は北の三草山方面から攻撃をしかけます。

一の谷の合戦 碑
一の谷の合戦 碑

いったんは九州大宰府までおちのびた平家一門でしたが屋島を拠点に山陽道に勢をのばし、かつての都・福原を奪還していました。

2月4日、平清盛の三周忌の仏事をすませると一の谷に陣取ります。

源氏方は蒲冠者範頼を大手の大将、九郎義経を搦め手の大将として、2月7日、一の谷を攻撃します。

平家一門は和平の内報を受けて、後白河からの使者を待っていたところでした。そこにいきなり、戦をしかけられたのです。

騙し討ち同然でした。

しかもこの時、義経軍は高い崖の上から馬で駆け下りるという、前代未聞の「逆落とし」を実行しました。

「さあ落とせ!義経を手本とせよ」

鵯越 逆落とし 比定地
鵯越 逆落とし 比定地

義経みずから先頭に立って、三十騎ばかりを率いて駆け下りると、

「大将軍に続け!!」

次々と駆け下りていく。

「後陣に落す人々のあぶみの鼻は、先陣の鎧・甲にあたるほどなり」

西の塩屋口でも東の生田口でもすでに合戦がはじまり、平家軍はそちらに気をとられていました。

すると背後から、

ワーーーッ

鬨の声が上がります。

「何だ!?」

平家軍がふりむくと、源氏の白旗がバタバタとたなびいていました。

しかも自軍の城塞の内部に、いきなり敵が出現しました。三千余騎が声なれど、山びこにこたへて、十万余騎とぞ聞こえける。
義経軍はそこらの仮屋にひょうひょうと火を放ちます。

折からの強風にあおられ、黑煙がゴーーと平家軍に押し寄せます。

うわあああ!!

たちまち平家軍はあちらでもこちらでもでもわれ先にと逃げ出し、

一の谷の城塞は大混乱に陥りました。

不意をつかれた平家軍は壊滅状態となります。この戦いで平敦盛(あつもり)、通盛(みちもり)、忠度(ただのり)、経正(つねまさ)など、なだたる平家の公達が命を落としました。平重衡は生け捕りになりました。

敦盛塚
敦盛塚

平重衡 捕らわれの碑
平重衡 捕らわれの碑

これほどの平家方大敗北に終わったのは、戦術的には義経の「逆落とし」は大きかったのでしょうが、それ以前に、交渉を持ちかけておいて突然攻撃した、騙し討ちであったせいです。

「おのれ法皇…!!なんと卑劣な!」

平家一門、後白河を強く恨みました。

ただし後白河が最初から平家一門を騙し討ちにしようとしていたのか?はじめは和平の交渉を考えていたが主戦派に押し切られて、結果として騙し討ちになってしまったのか?意見が分かれます。

義経の奇襲により虚をつかれた平家軍は海上にのがれ、四国讃岐の屋島(現香川県高松市)へ落ち延びました。

一門大路渡

さて範頼・義経軍はすぐに屋島を攻撃したいところですが、できませんでした。船と人員が足りなかったのです。そこでいったん京に戻ります。

一の谷の合戦で討たれた平家の人々の首は京に運ばれました。範頼・義経が後白河に要求します。

「大路をわたし、獄門にかけるべきです」

しかし後白河は、

「その人々はかつて高位高官にあった人々である。それに平家はいまだ三種の神器を擁している。下手に刺激すべきではない」

後白河はそのように考えましたが、範頼・義経は重ねて要求するので、後白河も聞き入れるしかありませんでした。

多くの平家の公達の首が渡され、獄門にかけられる中、

生け捕りとなった清盛の五男重衡は車に乗せられ、六条通りを東へ引き回されます。

車の前後のすだれを上げ、左右の戸を上げて、外から丸見えの形でさらしものにされます。

「亡き入道相国さまにも、二位殿にも重衡さまは
あれほど可愛がられていらっしゃったのに…。
これも南都を焼き討ちにした仏罰であろうか…」

老いも若きも尊きも卑しきも、涙を禁じえませんでした。

六条通りを東に引き回され鴨川に至ると、今度は同じ道を引き返します。そして八条堀川にある、かつて鳥羽上皇第一の側近であった藤原家成の舘の御堂に閉じ込められます。

屋島への書状

そこへ、院の御所である六条西洞院の六条殿より藤原定長という者が使者として遣わされてきます。

(先年11月の木曽義仲のクーデターで法住寺殿が焼打ちされたため、
院の御所は法住寺殿から六条殿に遷っていました)

「屋島にいる一門のもとに帰りたくば、
三種の神器を都へ返還するよう一門のもとに文を書き送れと、
法皇さまの御言葉です」

「どうして重衡一人ごときの命を
三種の神器と引き換えにするなど…一門の中の誰が
そんなことを許すでしょうか。
しかし院宣を無視するのも畏れ多いことですから、
文は書きましょう」

三種の神器返還の交渉

重衡の郎党、佐衛門尉重国が、後白河法皇の院宣と重衡の文を持って、京を発ち四国讃岐の屋島の平家の陣へ向かいます。

「三種の神器を都に返還するならば重衡卿の罪をゆるし
寛大な処置を約束すると、法皇さまの御言葉である」

これを受けて平家一門どうしようか話し合いますが、結局、三種の神器と重衡一人の命と、引き換えにはできない。三種の神器は返還しないということで決まります。

京にあてた返事には、

「三種の神器は返還いたしません。
三種の神器を持つものが帝です。

そもそもかの頼朝は平治の乱で父義朝が謀反を起こした際
死罪にされるはずだったものを、亡き太政入道清盛の
慈悲によって助けられました。

しかるにその恩を忘れ謀反を企てるなど、
なんたる愚か者。必ずや神罰が下りましょう。

そしてわれら一門の朝廷への度重なる奉公を考えれば、
法皇さまこそ、ここ四国へ御幸なさるべきです。

法皇さまが四国へ御幸なさり安徳帝を帝として仰ぎ奉るなら、
われら一門再び都へ帰り、朝敵頼朝を敵として戦いましょう。

しかし、それがかなわないなら
三種の神器と安徳帝を擁して朝鮮、中国、インドまでも
わたるつもりです」

前の一の谷の合戦で、後白河は和平交渉を持ちかけておきながら騙し討ちしました。故意でやったのか、結果としてそうなってしまったのか、意見は分かれますが、いずれにしても、平家一門は法皇に強い猜疑心を抱いていました。「また裏切られるんじゃないか」と。

こうして交渉は決裂しました。

次回「平家滅亡と頼朝・義経兄弟の対立」に続きます。

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『源氏物語』の作者。一条天皇中宮彰子に仕えた女房。その謎の多い生涯について語っています。先日から受付開始しました。詳しい内容・サンプル音声はリンク先まで。

解説:左大臣光永