後白河上皇(十四)十月宣旨と法住寺合戦
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先日、雨上がりに、北野天満宮に参詣してきました。コロナの影響で人も少ない境内に、七夕の飾り物がしてありました。しっとりした空気の中、金銀の短冊がゆれてきれいでした。軒端の雨だれが時折パツン、パツンと地面をたたき、カラスの声もわびしく、檜皮葺の屋根、石灯籠の湿ったかんじも、よかったです。京都に移住してきて三年たち、仮のすまいも、ややふるさととなってきたことを実感しました。
本日は「後白河上皇(十四)十月宣旨と法住寺合戦」です。
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前回までの配信
https://history.kaisetsuvoice.com/cat_Heian.html#Goshirakawa
前回は「平家一門都落ち」について語りました。
寿永2年(1183)6月、木曽義仲の軍勢が京に迫ると、平家一門は幼い安徳天皇と三種の神器を擁して西国に落ち延びます。後白河法皇は事前にこれを察知し、ひそかに比叡山に逃れたところまで、前回語りました。
本日は第14回「十月宣旨と法住寺合戦」です。
平家追討の院宣を下す
平家一門が都落ちしたのが寿永2年(1183)7月25日。翌26日、後白河法皇は京都に残った公卿たちを比叡山に集めます。
「さて、平家一門のこと、いかがすべきか…?」
「源氏に討伐させましょう!」
「朝家に弓引く賊徒どもは、攻め滅ぼさねば!」
この日から平家のことが「賊徒」と呼ばれています(九条兼実『玉葉』)。
昨日まで平家が官軍、源氏が賊軍であったのが、この日を境にひっくり返ったのでした。変われば変わる、世の中といいますか…。
7月28日、木曽義仲、源行家は二手に分かれて京に入りました。後白河法皇は御所に定めた蓮華王院に二人を召して、平家追討の院宣を下しました。
8月はじめ、平家一門の官職を停止します。
後鳥羽天皇践祚
さしあたって、次の帝を決める必要がありました。安徳天皇は平家に連れ去られたので。
それについて、義仲が朝廷に意見してきました。
「私は北陸宮(ほくりくのみや)を推します」
北陸宮は亡き以仁王(もちひとおう)の子で、義仲は北陸でこの人を旗印に戦ってきたのでした。そもそも、平家を追討できたのはひとえに「以仁王の令旨」が出されたおかげである。だから亡き以仁王の遺児、北陸宮こそ次期天皇にふさわしいと、義仲はそう主張しました。
しかし。
「ええい。一介の武士が帝の人事に口出しするなど、言語道断!」
当然のこと、義仲の意見は退けられました。
「義仲という男、あれは何だ。まるで山猿ではないか…」
この頃から後白河法皇は義仲に対して不満を抱くようになったようです。
寿永2年(1183)8月20日、後白河は院宣を下し、亡き高倉上皇の第四皇子、4歳の尊成(たかひら)親王を践祚させます。後鳥羽天皇です。
(孫たちのうち、もっとも後白河に懐いていたからと『平家物語』は語ります)
皇位継承の証である三種の神器は平家一門が持ち去っていました。それでも院政の主たる治天の君が指名すれば正当な天皇であるということで、三種の神器のないまま、後鳥羽天皇が立てられたのでした。
平家一門、大宰府から屋島へ
都を去った平家一門は大宰府にまで落ち延びるも豊後の豪族、緒方惟栄(おがたこれよし)に襲撃され、やむをえず九州を去って、四国に逃れ、讃岐の屋島に拠点を置きます。
「ここまで流されてしまったが…まだやれる!」
遠く都の方をうちのぞむ、平宗盛。
以後、平家は屋島を拠点に、巻き返しをはかります。
法皇、義仲に不満
他の源氏たちに先んじて都入りした木曽義仲軍でしたが、前年から続いていた飢饉のため、たちまち食糧不足におちいりました。
「メシ出せ!!」
「ヒャッハ女だあーーー!」
「ひいい…」
義仲軍は京の町中で略奪を繰り返し、ひんしゅくを買いました。義仲はこれを取り締まらず、野放しにしました。
「義仲という男、あれはダメだな…話にならん」
後白河は義仲への不満をいよいよ強めました。
後白河、頼朝に接近
寿永2年(1183年)10月、
後白河法皇は義仲に命じて、西国で巻き返しをはかっていた平家の討伐に向かわせます。
「ぬぬっ…法皇め、俺をやっかいばらいするつもりだな!」
義仲は法皇の腹の底はわかったものの、院宣であるので逆らうことはできず、出発しました。
後白河はそのすきに鎌倉の源頼朝に使いを立て、伊豆配流前の従五位下(じゅごいのげ)の位に戻しました。頼朝の官位復帰は、平治の乱で敗れて官位を剥奪されてから23年ぶりでした。
義仲と頼朝は従兄弟同士でありながら、ともに源氏の嫡流を意識し、ライバル関係にありました。後白河はだから頼朝を義仲の対抗馬として、うまく取り込めると考えたのでしょう。
「敵と敵とを戦わせる」という後白河の策とも見えます。
実際、後白河はこの後何度も、同じ戦略「敵と敵を戦わせる」をとりますので、源頼朝による「日本国第一の大天狗」という評価につながるわけです。
しかし後白河が計算の上で頼朝と義仲を天秤にかけていたのか?ただあたふたと状況に流され日和見しているうちに、結果としてそうなってしまったのか?評価が分かれます。
十月宣旨
寿永2年(1183年)10月。
朝廷から宣旨が出されます。その内容は、
□東海道・東山道における荘園と国衙領の支配を、旧来のものに戻す
□これに従わない者の追討を頼朝に命ず
というものでした。寿永二年十月宣旨(じゅえいにねんじゅうがつのせんじ)です。
これは、頼朝が東国における軍事警察権を握ることを朝廷が実質認めたことでした。頼朝は東国の内乱を通して「鎌倉殿」としての権威を築き上げました。しかし中央政府から見れば、あくまで「反逆者」でした。しかし今回、十月宣旨で認められることによって、頼朝の軍事力は国家の中に取り込まれたのでした。
さてこの「十月の宣旨」、はじめのプランは頼朝の側から示されました。そこには「東海道、東山道」に加えて「北陸道」と書かれていました。
東海道・東山道・北陸道
これが義仲の怒りを買いました。
「北陸道は我々が戦いぬいて、実力で勝ち取ったのだ!
それを頼朝に与えるなど、認められぬ!」
義仲はしきりに院に抗議し、北陸道を頼朝の支配地域からはずさせました。
(たたじ十月宣旨の原文は残っておらず、『百練抄』『延慶本平家物語』などに見えるのみ)
ようするに「十月宣旨」は、源頼朝と後白河法皇が手を組んで、義仲を排除しようとした結果でした。
法住寺合戦
「おのれ法皇…頼朝などと結びおって」
義仲の怒りはおさまりませんでした。
その上、東からは法皇の院宣を受けて源義経軍が迫り、西からは平家が迫り、そして平安京は相変わらずの食糧難でした。義仲は追い詰められていました。
寿永二年(1183年)11月19日、
法住寺合戦
現 法住寺
ヒュン、ヒュン、ヒュン
「法皇とて、もう容赦せぬ!!」
ごおおおおぉぉぉぉーーー
義仲は後白河法皇の御所・法住寺殿を焼き討ちにしました。
わあああああ
きゃああああああ
逃げ惑う女房たち。
義仲軍の攻撃は激しく、院方の武士630人余が戦死しました。合戦のさなか、園城寺長吏(統括者)・円恵法親王(後白河法皇の第5子)、天台座主明雲も戦死しました。
後白河、三度幽閉される
後白河法皇は捕らえられ、摂政基通の五条東洞院の館に幽閉されました。
「三度…捕らわれるか。つくづく…我が身の業の深さよ」
そんなこともつぶやいたでしょうか…。
後白河は23年前の平治の乱では藤原信頼によって幽閉され、4年前の「治承三年の政変」では平清盛によって幽閉され、いままた、木曽義仲によって幽閉されるのです。
ピーチ姫かよ!ってくらい、たびたび捕まるんですね…。
義仲は摂政基通を廃し、かわって前関白基房の子、師家を摂政とします。これはつまり、義仲が天下を握ったということでした。
義仲の滅亡
しかし後白河は前々から鎌倉に使いを送り、頼朝との連絡を密にしていました。
義仲のクーデターが勃発すると、使いが伊勢に飛びます。伊勢には鎌倉から進出していた義経がいました。義経から鎌倉の頼朝に事の次第がすぐに伝えられると、
頼朝は弟範頼を大手の大将軍、義経をからめ手の大将軍とし、京都をめざして出撃させます。時に寿永3年(1184)正月。
範頼軍と義経軍は尾張で合流すると、範頼軍は瀬田方面から、義経軍は宇治方面から、京都を囲い込むように進撃します。
義仲はこれを迎え撃つべく、瀬田方面には乳母子の今井四郎兼平を、宇治方面には根井行親・楯親忠らを差し向けますが、いずれも破られ、義仲は琵琶湖のほとり粟津が原にて討ち死にしました。
木曽義仲、滅亡
大津 義仲寺 木曽義仲の墓
平家を追い落として都入りしてから粟津で討ち死にするまで、義仲はまったく後白河法皇によっていいように操られているように見えます。
はじめ平家の対抗馬として義仲の入京を望み、義仲との関係が悪化すると、今度は義仲を討伐するために頼朝とむすびついたのです。「毒をもって毒を制する」「敵と敵を戦わせる」後白河の戦略とも見れます。
しかしこれらを後白河が計算してやっていたのか、単に日和見していて、結果的にこうなっただけなのか?評価が分かれます。
そして次の一幕でも、後白河は非常にクセのある、独特な動きをします。
次回「後白河法皇(十五)一の谷の合戦」に続きます。
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