「徳川慶喜(五)慶喜、幕府と朝廷の間で苦労する」

こんにちは。左大臣光永です。おすまいの地域では桜はいかがですか?今年はだいぶ後れているみたいですが…京都では現在、六分咲き?くらいです。咲くのが遅かったぶん、今年は長く桜を楽しみたいものです。

本日は、「徳川慶喜(五)慶喜、幕府と朝廷の間で苦労する」です。

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今回はタイトルどおり、慶喜さんが幕府と朝廷の板挟みになって苦労する、という話です。

初上洛

文久三年(1863)1月5日、慶喜上洛
東本願寺渉成園を宿所とする
2月4日、松平春嶽上洛

朝廷「攘夷やれ!!」
三条実美
長州藩の政局進出
土佐も長州と連携。「攘夷やれ!」

朝廷と幕府がすれちがいがちな件
→あらためて政務委任を

家茂の上洛

文久三年2月13日、将軍家茂一行、江戸を出発

昨年の生麦事件の賠償を求めて英仏蘭米の艦隊、横浜入
→海路でなく東海道を

3月4日、家茂上洛。三代家光以来、229年ぶり
5日、慶喜、将軍の名代として参内。【将軍への政務委任】を請う

7日、家茂・慶喜参内。再度将軍への政務委任を請う
朝廷「政務委任を認める。ただし…朝廷が直接諸藩に命令することも」
不十分!

行幸に同行

孝明天皇の攘夷祈願
下鴨神社・上賀茂(3月11日)

「その御行粧の優美なる、実に皇国の御威徳有難くもあるかな。近国近在よりもきき伝えて、行幸を拝せんと貴賤の老若男女加茂川原に伏して感拝感涙を催し、拍手を打って拝見せり」(『元治夢物語』)

・石清水八幡宮(4月11日)

節刀を授ける儀式
家茂は風邪。慶喜が代理
慶喜は腹を痛めて山下の寺院で休憩
儀式は中止

松平春嶽辞職

3月9日、松平春嶽、政治総裁職辞任の願書提出
3月21日、勝手に京都を去り帰国
→罷免・逼塞

帰府

公家たち「攘夷!」
家茂一行を格下に扱う

文久3年4月20日
慶喜「5月10日を攘夷の期限とする!」
オランダ・清とさえ条約破約する内容
いったん朝廷の意見にしたがい幕府を存続させるため
すぐに辞任するつもり

幕閣・公卿「一橋公は狂ったのではないか」

22日、離京
だらだらと江戸へ向かう。よほどウンザリ

幕府、生麦事件の賠償金を支払う決定
5月8日、慶喜、神奈川で賠償金支払い知る。
神奈川奉行二名を旅宿に呼び、
・賠償金不払い
・横浜一港鎖港
→通らず

5月9日、江戸城登城
慶喜「朝廷は攘夷やれと言ってます。受け入れるしかない」
幕臣「とんでもない!」
慶喜(デスヨネ…)

攘夷派「やった!攘夷の許可がおりた!」

長州による攘夷
5月10日下関でアメリカ商船を砲撃

7月2日、薩英戦争

京都「やった!攘夷!」
久留米藩士真木和泉
長州藩士

天皇を御所外へ連れ出し
全国に攘夷を命じてもらう
京都市中に火をはなつ計画

将軍後見職辞任

慶喜、辞表を提出

6月24日、江戸に戻った家茂、慶喜の辞表を返す
「ひきつづき将軍後見職をたのむ」
慶喜「ええーっ…」
しぶじふ承知

横浜鎖港問題

慶喜「横浜一港だけ鎖港を条件に外国と交渉しましょう」
孝明天皇と攘夷派の顔も立てる妥協案
老中板倉勝静を再登城させる
反対派(浅野氏佑、小栗忠順)を罷免

8月12日
慶喜「横浜鎖港でいく」於江戸城

八月十八日の政変

文久三年(1863)8月18日
中川宮と孝明天皇の承諾により
京都から長州はじめ尊王攘夷派が一掃された。
攘夷親征は中止、三条実美ら追放。七卿落ち

幕府「ほっ。もう攘夷やらなくていいんだ」

幕府「全開港」
朝廷「バカな!さっさと横浜を鎖港せよ」

於江戸
慶喜「やはり横浜一港鎖港しましょう。【天皇の顔も立つ】」
vs
老中ら「全開港しなければ戦争になる!」

◯将軍家茂の再上洛問題
天皇・会津・薩摩ほか「将軍は再上洛せよ!」

幕府「難しいです」財政・家茂の立場
グズグズ…

11月、将軍再上洛の布告

今回のまとめ
「慶喜さん、幕府と朝廷の板挟みで苦しんだ」

次回「徳川慶喜(六)慶喜、京都に地盤をきずく」につづきます。

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解説:左大臣光永