最後の将軍・徳川慶喜(三)戊午の密勅と尊王攘夷運動の高まり

13代将軍・徳川家定の後継として一橋慶喜を推す「一橋派」と、紀州徳川家の徳川慶福(よしとみ)を推す南紀派(なんきは)の対立が深まっていました。

安政5年(1854)6月23日、一橋派が江戸城に押しかけ、天皇の勅許なき条約調印について、井伊直弼に抗議します。

しかし井伊直弼はこれをきっかけに一橋派の大名をいっせいに処罰。

さらに一橋派にたいする大規模な弾圧をくわえます。

「安政の大獄」です。

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一橋派の処罰

一橋派vs南紀派のつづき…

同日(安政五年6月23日)、一橋派の老中二名(堀田正睦、松平忠固(上田藩主))を罷免
老中をすべて南紀派で埋める

一橋派「井伊を斬れ!」

6月25日、
井伊直弼「将軍継嗣は紀伊の慶福公に決まった」

7月5日
松平春嶽以下、一橋派が一斉に処分される
「不時登城」のため。

徳川斉昭→謹慎
徳川慶篤、一橋慶喜→登城差し控え
徳川慶勝、松平慶永→隠居謹慎

「徳川にかけそこなった一ツ橋」

7月6日
家定死去。35歳
慶福が将軍となり家茂と改める
一橋派「ぐぬぬ許せん!」
井伊直弼「ふん」

孝明天皇、勅許なしの通商条約調印を知り激怒
「言語に絶する」
「譲位する」
関白九条忠尚(ただひさ)「あうあう…」

戊午の密勅

梅田雲浜、頼三樹三郎、梁川星巌ら朝廷に働きかけ
8月8日「戊午の密勅」が水戸藩・幕府に下る
「条約調印はけしからん。よく話し合って外国に侮られないよう方針を立てよ」
写しが諸藩に送られる
天皇の御璽がない

井伊直弼「けしからん!!」
幕府は朝廷と藩の直接のつながりを禁じているのに
「偽書を返せ!」

7月、オランダ・ロシア・イギリスと
9月、フランスと通商条約むすぶ
朝廷無視

安政の大獄

井伊直弼による一橋派への弾圧。70名以上
京都六角獄はいっぱいに

橋本左内「人間自ずから用に適する所あり。天下何ぞ為すべき時なからん」
吉田松陰「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」

斉昭は永蟄居
慶喜の謹慎生活も三年半におよぶことに。

慶喜、
昼間も雨戸を閉めて徹底した謹慎生活
心身両面で問題は生じていない
・健康
・孤独に強い

違勅問題の影響……
幕府が暴走して朝廷をないがしろにした、と世間は見た。
幕府への反発
尊皇攘夷運動がさかんになる。

水戸の内紛

幕府「水戸藩は偽書を返納せよ」
水戸「チェッしぶしぶ…」
天狗党「ゆるしがたい!」
斉昭「妥協していったんは返す」
天狗党、追放

水戸藩、荒れる。
元治元年(1864)3月、天狗党の藤田小四郎ら、筑波山で挙兵

桜田門外の変

安政七(1860)3月3日、江戸城桜田門外
雪の日。井伊直弼の供回りは26名+足軽、駕籠かき
襲撃側 水戸藩十七名と元薩摩藩一名。
井伊直弼享年46

江戸で狂歌
「井伊掃部と雪の寒さに首をしめ」
「井伊掃部と網で捕らずに駕籠でとり」

幕府の力の衰えを天下実感。
この件や江戸城火災のため万延と改元

井伊直弼なき後

久世広周(くぜひろちか)・安藤信正政権
・諸大名に低姿勢
・朝廷の力を借りて幕府再建をはかる

物価の高騰、コレラの流行
…外国と条約など結ぶからだ!
→尊王攘夷運動の高まり

「攘夷」とは?

なぜ「攘夷」に「尊王」がむすびついたか?
→孝明天皇が大の外国嫌いであった
庶民は「尊王」意識は低かった
尊王=倒幕ではない

次回「徳川慶喜(四)開国か?攘夷か?」につづきます。

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