最後の将軍・徳川慶喜(二)黒船来航

前回から「最後の将軍 徳川慶喜」について語っています。

本日は、嘉永六年(1853)ペリー来航から安政五年(1858)日米修好通商条約の締結まで。徳川慶喜は17歳から22歳です。

まだ若いので積極的に時勢にかかわるというものではなく、歴史の傍観者的な立場にとどまりますが、

本人の置かれた立場から、やがて否応なしに歴史の渦中に巻き込まれていくことになります。

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ぺリー来航と将軍継嗣問題

嘉永六年(1853)6月3日、ペリー来航。四隻。
フィルモアの国書を久里浜で手渡す。
ペリー「来年またくる」

同時期、将軍家慶死去。家定が13代に。

翌安政元年(1854)正月14日、ペリー再来。九隻。
幕府「どうすれば!?」

和親条約締結。

ついでイギリス・ロシア・オランダとも。

和親条約により下田・函館開港。
安政三年(1856)タウンゼント・ハリス、下田に来航。
領事館開設。
ハリス「江戸で将軍に会わせろ」

家定「あうあう…」

越前藩主松平慶永「慶喜を将軍にして危機をのりきろう!」
・慶喜は英明で、年も適当。

薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)、老中阿部正弘、尾張の徳川慶勝、宇和島の伊達宗城、水戸斉昭ら支持。
岩瀬忠震(ただなり)・永井尚志(なおゆき)ら旗本をくわえ…、
↓↓
「一橋派」の形成。

ペリー来航について意見を求められ、
慶喜(17歳)「アメリカの要求を拒否し防衛強化」
側近の草案をもとに
後には反省

将軍職を継ぐことについて、
「天下を取る程気骨の折るゝ事はなく候」。

安政四年(1857)ハリス、将軍家定に謁見。大統領の親書をわたし、通商条約締結をもとめる。

老中首座堀田正睦(まさよし)、謁見を許すも規定の作法を要求。
ハリス、従わず。

ハリス「将軍家定は大広間に登場すると、頭を後方にぐいっと反らして、右足を踏みならした」(ハリス『日本滞在記』)。

首を振り、体を震わせるクセ。


幕府内には開国論も。
世論は幕府に批判的。「なんたる弱腰!」

朝廷「神国日本が異教に蹂躙される!」

大老井伊直弼

幕府、朝廷の説得に苦慮。
安政五年(1858)2月、筆頭老中堀田正睦(まさよし)上洛。
朝廷からの勅許をえようと。→失敗。
孝明天皇「神国日本を汚すなど!」
→堀田、失意の帰還。

一橋派(松平慶永)、将軍継嗣を画策

幕府内、守旧派が井伊直弼を大老に推す。

守旧派の立場
・開国には反対だが現実として条約批准は避けられない。
・慶喜を推す一橋派に対して徳川慶福を推す


安政五年(1858)4月23日、井伊直弼、大老就任。
家定も承知。

家定は慶喜を嫌った。
自分が将軍の位にあるのに…
健康でイケメンだから?

大奥も慶喜を嫌っていた。
斉昭の改革を警戒。
(慶喜が将軍になれば水戸斉昭がしゃしゃり出てくるかも…)
大奥も潰されるかも

安政五年(1858)6月、ハリス、ポーハタン号で横浜沖へ。
「アメリカと、急いで、通商条約を結びなさい」

イギリスとフランスが中国との戦争(アロー戦争)を終え、去る5月に天津条約が結ばれた。

イギリスとフランスは、今度は日本に来て通商条約の締結を迫るという噂。

日本は、アメリカよりも酷い条件を飲まされる?

ハリス「アメリカと通商条約を結べば、イギリス・フランスにはアメリカから言ってやる」


6月19日、勅許がないままポーハタン号上で調印。
不平等条約。
一、領事裁判権を認めること。
ニ、協定関税制(関税自主権がない)。

6月22日、江戸城にて。「もう条約結んじゃった」

一橋派・慶喜「な!」

6月23日、慶喜、登城。大老井伊直弼へ面会をもとめる。

慶喜「朝廷に無断で調印した件」
直弼「それはやむをえず…」
慶喜「違勅となるがどう思うか」
直弼「私も反対だった。多勢に無勢で仕方なく賛成したのだ」

余が思ふところは、条約調印の事、強に許すべからずとにはあらず、…何故に即日にも御使を上京せしめざるぞ、ただ一片の宿次奉書にて、届け放しの有様なるは、何たる不敬ぞや、天朝を軽蔑し奉ること、その罪重大なり

『徳川慶喜公伝』


「仕方なく」の調印だった。

将軍継嗣についても質問。
慶喜「御養君のことは?」
直弼「恐れ入り奉り候」
慶喜「決まったのか!」
直弼「紀州公と内定」
慶喜「そはめでたき事なり」

紀州の徳川慶福(後の家茂)
慶喜は好感。

直弼「紀州の跡には思し召しあらせられずや」
慶喜「ふふん」

次回「徳川慶喜(三)戊午の密勅と尊王攘夷運動の高まり」につづきます。

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解説:左大臣光永