二・二六事件(一)蹶起

こんにちは。左大臣光永です。

本日から三日間にわたって「二・二六事件」について語ります。

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二・二六事件。昭和11年(1936)2月26日に起きた陸軍部隊の反乱事件。第1師団の歩兵第1・第3連隊を中心とした将校・下士官・兵1485名が決起し、総理大臣官邸はじめ政府要人宅、警視庁などを襲撃した。

岡田啓介首相は一命をとりとめたが、斎藤実(まこと)内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監が即死。鈴木貫太郎侍従長が重症を負った。

反乱軍の掲げた「蹶起趣意書」によると、目的は「君側の奸」たる元老・重臣・軍閥・官僚・政党などを打倒し、天皇親政による国家を建設する=昭和維新の断行にあった。

永田町・三宅坂の日本の政治・軍事の中枢部が四日間にわたって反乱軍に占拠され、戒厳令がしかれる事態となるが、29日午後に反乱軍は鎮圧され、帰順した。

犯人らは特設軍事法廷で裁かれ、首謀者17人に死刑判決が下り、決起に直接関与したわけではない北一輝・西田税(みつぎ)らも死刑となった。

事件後、軍部は事件にかかわった皇道派を一掃し、事件によって示された軍の力を無言の圧力として、しだいに政界における発言力を拡大させていった。

前回「国際連盟脱退」からのつづきです。
https://history.kaisetsuvoice.com/Syouwa12.html

蹶起

昭和11年(1936)2月25日夜半から東京ははげしい吹雪におそわれ、ついに三十年ぶりの大雪となりました。

午前0時、麻布の歩兵第一連隊、第三連隊、近衛歩兵第三連隊では非常招集がかかり、

午前2時から4時にかけて、下士官、兵士たちが軍装して整列しました。

大雪のふる営庭で、下士官、兵士たちはそれぞれの上官からの命令をききました。

この間、弾薬庫が開かれ、実弾がはこびだされ、兵士たちに手渡されます。

合言葉は「尊皇」「討奸」とし、下士官以上は目印として三銭郵便切手を持ち物などに貼りました。

午前4時頃、各隊は営門を出て、雪をけたてながら、それぞれの襲撃場所へ向かいました。

ニ・ニ六事件のはじまりです。

総理大臣官邸

各部隊にはそれぞれの攻撃目標(あるいは制圧目標)がありました。

総理大臣官邸襲撃組は、岡田啓助首相の殺害を目的とし、

歩兵第一連隊の栗原安秀(くりはら やすひで)中尉、池田俊彦少尉、林八郎少尉および豊橋教導隊(下士官養成学校)の教官対馬勝雄(つしま かつお)らが指揮する300名からなり、

重機関銃七、実包二千数百発、軽機関銃四、小銃百数十、実包一万数千発、拳銃二十挺、実包二千数十発、発煙筒三十などを備えていました。

午前0時、非常招集がかけられ、

午前2時30分、代表者10名を中隊事務室に招き、「蹶起趣意書(けっきしゅいしょ)」を読み上げ、昭和維新を断行するために総理大臣官邸を襲撃することをつげます。

蹶起趣意書

謹んで惟(おもんぱか)るに我神洲たる所以は、万世一神たる天皇陛下御統帥の下に、挙国一体生々化育を遂げ、終に八紘一宇を完ふするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国(ようこく)神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ、今や方(まさ)に万方(ばんぽう)に向って開顕進展を遂ぐべきの秋(とき)なり

然るに頃来(けいらい)遂に不足凶悪の徒簇出(そうしゅつ)して私心我欲を恣(ほしいまま)にし、至尊絶体の尊厳をビョウ視し僭上之れ働き、万民の生々化育を阻碍(そがい)して塗炭の痛苦に呻吟せしめ、随つて外侮外患日を逐ふて激化す

所謂元老重臣軍閥官僚政党等は比の国体破壊の元凶なり、倫敦海軍条約並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯、至尊兵馬大権の僭窃(せんせつ)を図りたる三月事件或は学匪共匪大逆教団等利害相結で陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にして、其の滔天の罪悪は流血憤怒真に譬(たと)へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の噴騰(ふんとう)、相沢中佐の閃発となる、寔(まこと)に故なきに非ず

而も幾度か頸血(けいけつ)を濺(そそぎ)来つて今尚些も懺悔反省なく、然も依然として私権自慾に居つて尚且偸安(こうしょうとうあん)を事とせり。露支英米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕らしむるは火を睹(み)るよりも明かなり

内外真に重大危急、今にして国体破壊の不義不臣を誅戮して稜威(みいつ)を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除(せんじょ)するに非ずんば皇謨(こうぼ)を一空せん。恰(あたか)も第一師団出動の大命煥発(かんぱつ)せられ、年来御維新翼賛を誓ひ殉国捨身の奉公を期し来りし帝都衛戌(えいじゅ)の我等同志は、将に万里征途に上らんとして而も顧みて内の世状に憂心転々(うたた)禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して、彼の中枢を粉砕するは我等の任として能く為すべし。臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さざれば、破滅沈淪を翻(ひるが)へすに由なし

茲(ここ)に同憂同志機を一にして皺起し、奸賊を誅滅して大義を正し、国体の擁護開顕に肝脳を竭(つく)し、以て神洲赤子の微衷を献ぜんとす

皇祖皇宗の神霊冀(ねがわ)くば照覧冥助(しょうらんめいじょ)を垂れ給はんことを

昭和十一年二月二十六日

陸軍歩兵大尉野中四郎
外同志一同

日本が神州であるのは天皇陛下統帥の下の国体にある。しかし今、国体が破壊され国民は非常に苦しい生活をしている。それは元老・重臣・軍閥・官僚・政党らが元凶である。よってこれらを打倒し、国体を回復し、国民生活を救うのだ、と。

平たくいうと、日本は天皇一人によって統治されるべきなのに、元老・重臣・軍閥・官僚・政党らが政治をほしいままにしているのがけしからん。だからこれを討伐するのだ、と。

二文字に要約すると【斬奸】です。

午前4時30分。兵営出発。5時ごろ麹町区永田町の総理大臣官邸前に到着。

栗原中尉は小銃隊を率いて正面玄関から、林少尉は兵を率いて裏門から侵入。

官邸各部屋の非常ベルがいっせいに鳴り出すと、首相私設秘書官・予備陸軍大佐松尾伝蔵(岡田首相の妹の夫)は、邸内をはしりまわって電灯を消します。

反乱軍が次々と邸内に踏み込んでくる中、

村上巡査長、松尾大佐、土井巡査の三人が岡田首相を浴室にかくし、反乱軍に向けて飛び出していくも、村上巡査は軍刀で刺し殺され、

土井巡査が林少尉を背後からはがいじめにしたところに、その背後から、反乱軍一等兵のふるうまさかりが土井巡査の肩に打ち込まれ、

その間、反乱軍は首相官邸の中庭を占拠し、ここに重機関銃をすえ、首相のいる日本間に向けて、一斉射撃をあびせかけ、松尾伝蔵大佐は中庭の壁によりかかったまま、射殺されました。

この松尾伝蔵大佐を反乱軍は岡田啓助首相とおもいこみ、事はなしとげたとして、引き上げていきました。

ほんものの岡田啓助首相は女中部屋の押入れにかくれて辛き命を生き延び、27日の夕方、秘書官の迫水久常(さこみず ひさつね)らによって救出されました。

その後、岡田元首相は太平洋戦争中は東条英機内閣打倒のために活動し、戦後の昭和27年(1952)まで生きて天寿をまっとうしました。

斎藤実内大臣私邸

斎藤実(まこと)内大臣私邸襲撃組は、歩兵第三連隊坂井直(さかい なおし)中尉、同高橋太郎少尉、麦屋清済(むぎや きよすみ?)少尉、陸軍砲工学校学生安田優(やすだ ゆたか)少尉らの指揮する約150名からなりました。

重機関銃四、軽機関銃八、それぞれ実包二千数百発、小銃百三~四十挺、実包約六千発、拳銃十数挺、実包約五百発、発煙筒若干を備え、

4時20分、兵営出発。5時、四谷区仲町の斎藤邸到着。

坂井中尉は表門から、安田少尉は裏門から侵入し、軽機関銃で女中部屋の雨戸を破壊し、屋内にふみこむと、

斎藤実内大臣が寝室から出てきたところを、拳銃、機関銃を撃ちまくりました。

この時、春子夫人が夫の体におおいかぶさり、反乱軍に手をあわせ、

「殺すなら私を殺してください。できないならいっしょに殺してください」

と言うので、内大臣から引き離して夫人に二発撃ち込みました。

内大臣は47箇所に弾を撃ちまれ、さらに軍刀で十数箇所を斬られ、遺体はもはや流れる血もなかったといいます。

その後、反乱軍の将校は裏門に出て、裏門前で警戒中の下士官・兵たちに、自分の腕についた内大臣の血をみせて、

「見よ国賊の血を!」

と叫びました。

渡辺錠太郎教育総監私邸

斎藤邸襲撃をおえた高橋少尉、安田少尉は、下士官・兵三十名を率いて赤坂離宮前にいたり、ここで同志があらかじめ用意しておいた軍用トラック一両にのりこみ、6時ごろ杉並区上荻窪の渡辺錠太郎教育総監私邸に到着。

玄関に機関銃を乱射すると、警備にあたっていた巡査ニ名が拳銃で応戦してきたので、裏手にまわりると、雨戸が開けてあったので屋内に乱入。

すず夫人が、「軍人として乱暴ではないか」というのにかまわず、将校は拳銃を乱射。下士官は縁側に軽機関銃をすえて、室内に向けて乱射。

渡辺錠太郎教育総監は拳銃で応戦するも、全身十数箇所に拳銃・機関銃で撃ち込まれ軍刀で斬りつけられ、殺害されました。

高橋是清大蔵大臣私邸

高橋是清大蔵大臣私邸襲撃組は、近衛歩兵第三連隊中橋基明(なかはし もとあき)中尉、砲工学校学生中島莞爾(なかじま かんじ)中尉が指揮をとり人数は約100名。

小銃約100挺、実包千数百発、拳銃数挺、実包百発を備え、4時30分、兵営を出発。

5時ごろ赤坂区表町の高橋邸に到着。邸宅前の電車通りに軽機関銃を設置し、中橋大尉は表門から、中島少尉は東側の塀を乗り越えて敷地内に侵入し、内玄関から中に入り、家人に高橋歳相の部屋まで案内させると、二階の寝室で、高橋歳相はねむっていたので、

「天誅!」

と叫んで毛布をはぎ、拳銃・小銃を撃ち込み、さらに軍刀でさんざんに斬りつけ殺害しました。

鈴木貫太郎侍従長官邸

鈴木貫太郎侍従長官邸襲撃組は歩兵第三連隊安藤輝三(あんどう てるぞう)大尉に率いられた約200名からなり、重機関銃四、実包約二千発。軽機関銃五、実包千数百発。小銃約百三十挺、実包九千発。拳銃十数挺、実包約五百発をそなえ、

午前3時30分、兵営を出発。5時ころ麹町区三番町の侍従長官邸に到着。表門、裏門に機関銃二台ずつすえて、安藤輝三大尉と、堂込喜市(どうこみ きいち)曹長率いる部隊が表門から、永田露曹長率いる部隊は裏門から侵入しました。

やがて鈴木侍従長とおぼしき人物が寝室に休んでいるのをみつけ、兵士たちが取り囲みました。隣の部屋には夫人がいて、

「あなたがたはなんですか、土足で人の家に入って、どこの部隊ですか」

とたずねるが、堂込曹長は兵士たちを下がらせ、「閣下は俺が撃つ」といって銃を構える。

侍従長が「やめろ」というふうに手をあげる。堂込は、

「閣下、昭和維新のために、一命を頂戴します」

といって二発、撃ちこみました。つづけて永田曹長が二発。侍従長がうつぶせに倒れたところに、二階からもどってきた安藤大尉が、侍従長の前で膝をついて一礼し、

夫人に向かって、侍従長殺害の趣旨をのべて立ち去ろうとすると、堂込曹長が、「中隊長殿、武士としての、とどめを」というので、安藤大尉が見ると、まだ侍従長は息がある。そこで軍刀を抜きかけると夫人が中に入って、

「それだけはどうかやめてください」

と訴えました。安藤大尉はその熱意の前に思いとどまり、全員で撤収していきました。

この安藤大尉は朝夕の点呼で部下を集めるたびに紙芝居をみせて、天皇の現人神としての素晴らしさを教育したというほどの、天皇に対する信仰心篤い人物でした。

最終日の2月29日、最後まで山王ホテルにふみとどまって投降しなかったのも、安藤大尉率いる中隊です。

次回「二・二六事件(二)説得と戒厳令」につつぎます。

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解説:左大臣光永