以仁王の乱(二)園城寺と延暦寺

こんにちは。左大臣光永です。土曜日の午後をゆったり
充実してお過ごしでしょうか?

最近昼飯は定食屋「大戸屋」で食べているんですが、
メニューが素晴らしいです!詳しいです。わかりやすいです。
親切です。

ぜひ大戸屋に行ったらメニューを
すみずみまで読んでください。勉強になります。

さて本日は、「以仁王の乱(二)園城寺と延暦寺」です。

▼音声が再生されます▼

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前回のお話

専横を極める平家一門に対する不満は、
全国で高まっていました。

治承4年(1180年)4月。

後白河法皇第三皇子以仁王(もちひとおう)は
打倒平家の令旨(檄文)を発し、
源行家をもって、これを全国の源氏に届けさせます。

やがて伊豆の源頼朝、信濃の木曽義仲など
全国の源氏たちが打倒平家に立ち上がるわけですが…

以仁王の動きはすぐに平清盛にばれます。
怒った清盛は隠居先の福原から上京すると、
すぐさま以仁王の三条高倉の御所に武士をさしむけます。

以仁王はいち早く清盛の動きを察知。
夜中、ひそかに三条高倉の御所を抜け出し、
京都を出て、夜通し如意ケ岳を越え、
翌5月16日早朝、大津の三井寺(園城寺)に逃げ込みました。

以仁王、三井寺へ
以仁王、三井寺へ

紛糾する園城寺(=三井寺)

以仁王が平家の追跡を逃れ、三井寺に逃げ込むと、
僧たちが集まって、大騒ぎとなります。

「平清盛の悪逆をいましめるは、
今よりほかは無いッ!」

「そうだそうだ!」

「ここ数年の平家のおごり高ぶり!
朝家を軽んじ、仏法をふみにじり!」
目に余るものがある!」

「その通ーーり!!」

「そこへ!われらのもとへ法皇さまの王子が助けを求めてこられた!
これが新羅明神のお導きでなくて何であろう!」

「しかしッ!強大な平家の軍事力の前で
われらはあまりに無力!」

「おお…」「あああ…」

「そこで!延暦寺、興福寺に協力を求めようと思う」

がやがやがやっ…皆の中に動揺が走ります。

山門・寺門の争い

三井寺と比叡山延暦寺との間には、長い争いの歴史がありました。

園城寺は滋賀県大津にあり、天智・天武・持統三代の天皇の
産湯をくんだことから「御井」が転じて「三井寺」となったと
伝えられます。

壬申の乱で敗れた大友皇子の息子・与多王(よたのおおきみ)が、
父の菩提を弔うために建立したと伝えられますが、一時すたれます。

その後、都では最澄により天台宗が起こり
延暦寺が建立されます。

最澄から数えて五代目の円珍が、長らくすたれていた
園城寺を再興させます。いわゆる中興の祖です。

(ちなみに延暦寺の住職を座主といい、天台宗の相元締めです。
現在のお座主さまは、256代目の半田孝淳座主です)

しかし円珍が亡くなると、延暦寺は二派に分裂します。
第三代座主慈覚大師円仁を信奉する円仁派と
第五代智証大師円珍を信奉する円珍派。

両者の争いは、ついに武力衝突に至ります。
(本人はどっちもこの時点で亡くなってるんですが)

円仁派が円珍派の僧坊をたたきこわすに及んで、
壊されたほうの円珍派は

「もうガマンできん!比叡山を下りよう」

山を下り、園城寺に身を寄せます。

以来、「山門」とよばれる比叡山延暦寺と、
「寺門」とよばれる園城寺の間で「山門寺門の争い」といって
長い争いが繰り広げられてきました。

延暦寺はたびたび園城寺を焼き討ちにし、
かの武蔵坊弁慶も、延暦寺から三井寺焼き討ちに
派遣された一人だという説があります。

延暦寺の反応

「しかし!もとはといえば延暦寺と園城寺は同じ天台宗の徒。
言わば鳥の左右の翼、車の両輪のようなもの。
今、平家という強大な敵を前に、
いつまでも過去の遺恨にとらわれ、
いがみあっていてよいのであろうか?
よくない!!」

こうして三井寺は延暦寺・興福寺に助力を求めますが…
興福寺は三井寺に助力を約束したものの、
延暦寺はもともと寺社勢力の中では平家よりであり、
座主明雲は個人的にも平清盛と親しくしていました。

加えて、清盛はさかんに延暦寺に賄賂を贈ります。

「どうか今度の園城寺との戦、
延暦寺にはご助力願いたい。明雲さまと私との、
長年のよしみに、甘えさせてくだされ」

「ううむ…」

脱出

5月21日夜半。

頼政は嫡男仲綱・次男兼綱とともに
50騎あまりの手勢を率いて園城寺に入りました。

「殿下、御無事でしたか!」
「おお頼政、よく来てくれた」

平家軍の園城寺に対する攻撃は、まさに始まろうとしていました。

5月23日。

平清盛は園城寺に向けて、軍勢を差し向けます。

大将平宗盛以下・頼盛・教盛・経盛・知盛・重衡・維盛・資盛など
平家一門の主だった面々は、皆攻撃軍に加わっていました。

しかも、以仁王に味方した源三位入道頼政も、
当初攻撃軍の中に加えられていました。

清盛はこの段階に至っても、頼政が以仁王についたことを
知らずにいました。それくらい、清盛と頼政のよしみは深いものであり、
まさかあれほど世話をした頼政が、平家を裏切るまいという気持ちが
清盛にはありました。

期待した延暦寺の助力は得られず、興福寺は助力を約束したものの、
奈良から駆けつけてもらうのは時間がかかります。

「殿下、こうなったら園城寺を出て、
奈良で興福寺と合流した上で、平家を討ちましょう」

「うむ。そちに任せる」

5月25日深夜。

以仁王、源三位入道頼政以下、
三井寺の僧兵たちは、ひそかに三井寺を出ます。

「目指すは南都!!」

バカカッ、バカカッ、バカカッ、バカカッ…

源三位入道頼政、南都へ
源三位入道頼政、南都へ

平家軍、南都へ

翌26日早朝。

「源三位入道頼政そむく」の報告が、
平清盛のもとに届きました。

「おのれッ…あの老人め、恩を仇で返しおって!」

地団太をふむ平清盛。

すぐさま追討軍として藤原景家、藤原忠清以下、
300騎あまりを奈良へ向かわせます。

次回「以仁王の乱(三)宇治合戦」に続きます。

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聴いて・わかる。日本の歴史
飛鳥・奈良篇
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「語り」による「聴く」日本史です。学校で昔習った
あの人物、あの出来事が、すーーーっと一本の線でつながります。
生涯学習の一環として、またお子さんやお孫さんに
歴史に興味を持たせる入口としても、どうぞ。

続篇「院政と武士の時代」も近日発売予定です。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。                             

解説:左大臣光永

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