以仁王の乱

こんにちは。左大臣光永です。じめじめした雨が多い毎日ですが、
いかがお過ごしですか?私は本日、『孫子』のスタジオ録音を
してきました。『孫子』の録音はもう5回目くらいですかねえ…
回を重ねるごとに『孫子』精神が、私の中にすーーっと染み渡る感じがします。

以前はうまく発音できなかった部分が、
発音できるようになっているのは嬉しいですね。
「前はここの語尾、苦労したなあ」とか。

さて本日は、「以仁王の乱」です。

『平家物語』では前半のクライマックス的な扱いで
描かれています。(『平家物語』に懸れていることは、かなり脚色されていますが)


http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Mochihito.mp3

スポンサーリンク

平家一門への反動

繁栄をきわめる平家一門に対する不満の声は
全国で高まっていました。

治承元年(1177年)、

京都東山の俊寛僧都の山荘では、
夜な夜な不平分子が集まり、打倒平家の計画が
話し合われていました。

しかし、内部告発によりあっけなく平清盛に知られ、
清盛は大納言藤原成親を島流しとし、
西光法師を処刑しました。

鹿谷事件です。

ついで治承三年(1179年)、

後白河法皇が反平家路線を取ったことに怒りを燃やした清盛は、
突如、隠居先の福原から上京し、
後白河法皇を鳥羽の離宮に幽閉。

法皇の院政を停止してしまいます。

その上清盛は後白河法皇とその近臣たちの領土を没収し
平家の領土としました。

治承三年の政変、と呼ばれるこの出来事によって
全国の平家知行国は30か国まで膨れ上がり、
平家一門は軍事独裁政権ともいうべき、
巨大な権力を手に入れることになりました。

政変後、清盛は孫である言仁親王の即位を急ぎ、
翌年治承4年(1180年)2月、安徳天皇が即位します。

以仁王(もちひとおう)

そしてこの年。

後白河法皇第三皇子・以仁王は御歳30歳。

三条高倉の御所で、夜な夜な笛をふいては、
無聊をなぐさめておられました。

「ハア…。30歳にもなって何らなすことも無い…。
月をながめて笛を吹くくらいしか私には能が無いのか…」

学識すぐれ、詩歌・管弦に通じ、書も達者でしたが、
継母・建春門院滋子に厭われ、
30過ぎても親王宣下を受けられずにいました。

以仁王
以仁王

現在の皇室典範では、皇族に男子が生まれると、
生れた段階で「親王」となりますが、

この時代、皇族でも「親王宣下」を受けるまでは
「親王」でなく単に「王」と称されていました。

「親王」にならないと、いろいろ不利があります。

国家から支給される土地が少なかったり、
官位に制限があることなどですが、決定的なことは、

親王にならないと春宮(皇太子)になれず、
したがって天皇になれる可能性がとても低くなることでした・

以仁王は幼少から秀才のほまれ高く、笛や書をたしなみました。
いつかは天皇の位について、民のための政治をするぞ、
いい世の中を作るぞ、そんなお気持ちもあったことでしょう。

しかし父後白河天皇の退位後、兄二条天皇の崩御後と、
その子六条天皇の崩御後と、
何度も即位のチャンスがあったのに
肩すかしを食らっていました。

さらに平清盛によるクーデターで
父後白河法皇が鳥羽離宮に幽閉され、
以仁王自身も所有していた城興寺とその所領地を
平家に没収されてしまいます。

きわめつけに、わずか3歳の言仁親王(ときひとしんのう)が
清盛によって安徳天皇として即位したのでした。

もはや以仁王が天皇になれる可能性は
完全に絶たれたといえます。

まさに不遇の王というべき人物です。

源頼政

そしてもう一人、不遇をかこつ人物がありました。

源頼政。源三位入道頼政。

摂津守・源頼光の五代の孫で、長治元年(1104年)生まれ。
この年77歳です。

頼政は保元の乱・平治の乱では、
ともに勝利者の側にいました。

平治の乱の後、源義朝の河内源氏は、
ほぼ壊滅状態になったのに対し、

頼政は平家に味方したこともあって、
源氏でありながら中央政界に残されました。

とはいえ出世からは見放され、平家一門の繁栄をよそ目に見ながら、
ほそぼそと内裏の守護をしつつ年を取っていきました。

正四位(しょうしい)に上がったときはもう68歳です。

しかし頼政は、なんとかもう一声。強く出世を望みます。

正四位(しょうしい)の上は従三位(じゅさんみ)。
このナントカ位というのは、位階といって、ようは
官僚のエラさのランクづけです。

中でも正四位と従三位の間には待遇に大きな差がありました。
従三位以上は「公卿」とよばれ、上級貴族とされました。

そこで平清盛が気をつかって頼政の昇進のために口利きをします。

「御心中お察しします。世が世なら、
たいへんな位に上がって方ですあなた」

こうして清盛の口利きで、治承2年(1178年)12月、
頼政74歳にして従三位に上ることができました。

平家政権の中にあって、源氏でありながら三位にのぼるというのは
大変な出世です。まもなく頼政は出家し、
「源三位入道頼政」と呼ばれるようになります。

つまり、頼政にとって清盛は大恩人です。
すごく気をつかってくれて、昇進の口利きをしてくれたんです。

「アア清盛さまはすばらしい、
こんな老いぼれに気をつかってくださって!」
そりゃもう感謝したはずです。

その大恩人の清盛を、頼政はなぜ?裏切ることにしたのか?
わかりません。
おそらく清盛が後白河法皇を幽閉し、
反対派を次々と捕縛していく中で、じょじょに
気持ちが変わっていったものでしょう。

以仁王の令旨

治承4年(1180年)4月はじめ。

源頼政は、息子仲綱とともに三条高倉の
以仁王の御所を訪れ、ひそかに語らいます。

「殿下、全国には平治の乱以来、
平家によってしいたげられている源氏が多くございます。
また、寺社勢力も多くは平家に不満を持っています。
必ずや、殿下とともにに立ち上がってくれます」

「しかし平家を倒すといっても、どうすればよいのじゃ」

「まずは御令旨をお書きください」

「令旨」とは、天皇以外の皇族が出す公式文書のことです。
ちなみに天皇が出す公式文書を「宣旨」といいます。
現在この以仁王の令旨は、実物は残っていないのですが、
『源平盛衰記』の中に本文の引用があります。

それによると、以仁王は壬申の乱に勝利した
天武天皇(大海人皇子に自分をなぞらえています。

つまり、大海人皇子が正当性の無い大友皇子の
政権を打倒し、天武天皇となったように、

自分も、平清盛によって樹立された
安徳天皇の政権はニセモノだから、打倒するのだ、という話です。

もっとも『源平盛衰記』の作者の創作とも思われ、
本当の内容はどうだったかは、わかりません。

源頼政は、源行家なる人物に以仁王の令旨をたくし、
全国の源氏に届けさせます。

「では行家殿、くれぐれも頼みますぞ」
「お任せください」

源行家は平治の乱で処刑された源為義の末子にあたる人物で、
平治の乱に敗れた後は、熊野に身を隠していました。

地方のようすにも明るく、全国の源氏に
令旨を届けさせる役としては、うってつけでした。

発覚

しかし、
わずか1か月でこの計画は平家に発覚してしまいます。

源行家は熊野で以仁王の令旨を触れ回りましたが、
その時以仁王方と平家方で争いとなります。

平家方の熊野別当湛増が、これはけしからんということで
六波羅に使者をとばしたことで発覚しました。

「おのれッ高倉宮を土佐へ流せッ」

すぐさま清盛は福原から上京。三条高倉に武士を差し向けます。

以仁王の御所
以仁王の御所

以仁王は三条高倉に御所があったので「高倉宮」と呼ばれていました。
現在、京都三条のマンションの脇に、ぽつんと
以仁王の御所の跡をしめす石碑が立っています。

高倉宮碑
高倉宮碑

高倉宮碑
高倉宮碑

六波羅から捕縛の手が、三条高倉の以仁王の御所に向かいます。

その捕縛の手の中には頼政の次男、源大夫判官兼綱の姿もありました。
この時点では頼政が謀反に関係していることを
平家は知らなかったということです。

以仁王、三井寺へ

「なに?六波羅にバレたと」

源三位入道頼政の内報によって、平清盛が捕縛の検非違使を
差し向けたことを知った以仁王は、真っ青になります。

「とにかく、お逃げください」

警護の武士、長谷部信連の提案で、女装して逃げることになります。

市女笠をかぶり、カズキをかぶって、
夜の高倉通りを北へ走る以仁王。

途中大きな溝があったのでヒラッと飛び越えると、
見ていた人が「なんとはしたない女子じゃ」なんて
言いました。(『平家物語』)

近衛通りを東へ、
鴨川を超え、夜通し如意ケ岳を歩き続けます。

知らぬ山路を夜もすがらわけいらせ給ふに、
いつならはしの御事なれば、
御あしより出づる血は、いさごをそめて紅の如し。
夏草のしげみがなかの露けさも、
さこそはところせうおぼしめされけめ。
かくして暁方に三井寺へいらせおはします。

そして翌朝早くに大津の三井寺に到着します。

三井寺の円恵法親王は以仁王の弟でした。また、
三井寺は平家と対立路線を取っていました。
だから三井寺であれば保護してくれるだろうと、
源頼政と以仁王は考えたのでした。

次回「以仁王の乱(二)延暦寺と園城寺」に続きます。

発売中です。

はじめての平家物語~平清盛篇
http://sirdaizine.com/HeikeCD/

平氏と源氏の起こり、保元の乱・平治の乱・
平家一門の繁栄を経て、以仁王の令旨によって
全国の源氏が立ち上がる中、平清盛が倒れるまで。
『平家物語』について、わかりやすく語っています。
リンク先で無料のサンプル音声を公開中です。
ぜひ聴きにいらしてください。
http://sirdaizine.com/HeikeCD/

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

解説:左大臣光永

音声つきメールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」のご案内

現在18000人以上が購読中。

メールアドレスを入力すると、日本の歴史・古典について、楽しくわかりやすい解説音声を無料で定期的に受け取ることができます。毎回10分程度の短い解説で、時間を取りません。楽しんで聴いているうちに、日本の歴史・古典について、広く、立体的な知識が身につきます。スマートフォン・Androidでもお聴きになれます。不要な場合はいつでも購読解除できます。

いつも使っているメールアドレスを入力して、 「無料メルマガを受け取る」ボタンをクリックしてください。次回からお使いのメールアドレスにメルマガが届きます。

≫詳しくはこちら



スポンサーリンク