二代秀忠(ニ)お江与との結婚

小田原攻めで活躍無し

天正18年(1589)4月3日小田原城攻めが始まります。そのまでに北条方は小田原城と城下町をふくむ広大なエリアを、全長9キロにわたっる土塁「惣構え」で囲んでいました。しかし、役には立ちませんでした。

天正18年 小田原攻め
天正18年 小田原攻め

秀吉は長期にわたり小田原城を包囲し、約80日間かけて小田原城正面の笠懸山(かさがけやま)に城を築き、北条方を心理的においつめました。

「もはや、これ以上はムリ…」

天正18年(1590)7月5日。北条氏直は秀吉に降伏し、小田原城は無血開城されました。

この小田原攻めが、徳川秀忠の初陣となりました。初陣といっても、遠巻きに包囲しているだけで、実際の戦闘はほとんど起こりませんでした。

「なんだ…これは戦といえるのか」

拍子抜けした感じだったんじゃないでしょうか。時に秀忠13歳。

駿府から江戸へ

北条氏直が降伏し小田原城は接収されました。ここに秀吉の天下統一は成し遂げられました。天正18年(1590)7月13日、接収したばかりの小田原城内で、論功行賞が行われます。

第一の功労者とされたのは徳川家康でした。

「北条の領土は、すべて家康殿に与える。
かわりに、これまでの領土は没収する」

家康としては予想外のことでした。

家康の東海地方の経営はうまく進んでおり、しかも都に近い。それが、すべて取り上げられ、何の開発も進んでいない関東に飛ばされるとは、家康にとっては痛いことでした。

家康はこれが実質上の左遷であることを重々承知の上で、しかし…断れば秀吉に睨まれることになる。苦しい決断を迫られます。しかし結局、家康は受け入れました。

天正18年(1590)8月1日、家康は跡取りの秀忠はじめ家臣団を引き連れて江戸に入りました。以後、江戸時代を通じて8月1日は「八朔の祝」が持たれることとなります。

秀康、結城氏の養子となる

ところで小田原攻めの直後、家康の次男秀康の身の上にも大きな変化がありました。あの家康から実の子でないと疑われ、秀吉の人質に出されていた秀康です。

常陸の結城城(茨城県結城市結城)を本拠地とする結城氏の養子となることが決まったのです。

秀吉としては秀康を養子としたのは家康との同盟関係のためでした。しかし今や家康は秀吉門下に下っています。秀康の役目は終わりました。用無しです。

こうして秀康は結城家の養子に出され、以後、結城秀康と名乗ります。

そして秀康が追い出されたということは、秀忠の家康後継者としての地位がいよいよ固まったことをもさしていました。

結婚

文禄4年(1595)9月、秀忠は秀吉のすすめにより、浅井三姉妹の三女・お江与と婚約します。時に秀忠17歳。お江与23歳。6歳年上の妻です。

お江与は浅井長政とお市の方との間に生まれた「浅井三姉妹」の三女です。浅井長政が信長に滅ぼされた後は、お市は柴田勝家と再婚しました。

浅井三姉妹
浅井三姉妹

しかし天正11年(1583)4月、越前北ノ庄城の戦いで柴田勝家が討たれ、お市も自害しました。お市の三人の娘・浅井三姉妹は救い出され、秀吉の養女として養われることとなりました。

秀吉は三姉妹のうち長女の茶々(淀殿)を側室とし、次女の初を近江の京極高次に嫁がせました。そして三女のお江与の結婚の世話もしてやりましたが、

はじめの夫・佐治一成は秀吉に敵対した織田信雄に味方したので別れさせ、次の夫羽柴秀勝は、朝鮮出兵中に病死しました。お江与はまたも秀吉のもとに戻ってきていました。

そこで秀吉が考えたのが、お江与を家康の跡取りである秀忠に嫁がせることです。ますます羽柴と徳川の結びつきを強めようという政略結婚でした。

こうして、文禄4年(1595)9月、お江与は秀忠に嫁ぐこととなりました。時に秀忠17歳。お江与23歳。6歳年上の姐さん女房です。

しかも当時、お江与は徳川より圧倒的に上の立場であった羽柴の身内ですので、秀忠ははじめからお江与に頭が上がりませんでした。

男子に恵まれず

慶長2年(1597)秀忠とお江与の間に待望の第一子が生まれます。千姫です。後に豊臣秀頼に嫁ぎ、大阪城の落城を目の当たりにするのは、よく知られている通りです。

ついで次女の子々姫(ねねひめ)が、ついで勝姫(かつひめ)が生まれました。子々姫は加賀の前田利常に。勝姫は松平忠直に嫁ぐこととなります。

慶長8年(1603)家康が征夷大将軍になった年には、四女の初が生まれています。

ところが、秀忠・お江与夫婦の間には男子が生まれませんでした。跡取りたる男子が生まれないと、話にならないです。秀忠は焦って侍女に手を出して懐妊させたこともあったようですが、お江与にバレたら大変です。

「えらいことになった」

困り果てた秀忠は父家康に相談します。家康は、まったくお前たち夫婦は何をやっておるのだぶつぶつ…秀忠が懐妊させた女を、家臣に妻として与えました。与えられた家臣は秀忠の子を自分の子として育てるハメになったと…、そんな話も伝わっています。

解説:左大臣光永