新選組 第18回「七卿落ち」
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「八月十八日の政変」によって長州は御所から締め出され、長州兵は堺町御門の警護の任を解かれます。これを不服とする長州兵と、薩摩・会津の間でにらみ合いが続く中、壬生浪士組の屯所に急ぎ御所へ警護に向かえとの指令が届きます。芹沢鴨、近藤勇以下、すぐさま鎧具足に身を固め、御所に駆けつけます。
会津藩兵と衝突する
壬生浪士組一行が蛤御門に到着すると、門のところではすでに長州藩兵と薩摩・会津藩兵がにらみ合い、一瞬即発の空気がただよっていました。
「われわれも、早く持ち場につこう」
門内に入ろうとする壬生浪士組一向。そこへ、
「何者だ。名乗れ」
ガチャ、ガチャガチャッ
警護の会津藩兵が槍や鉄砲を、芹沢の鼻先まで突き立てました。イラッとする芹沢。
「拙者どもは会津公御預り、壬生浪士組である。まかり通る」
目と鼻の先まで突き立てられている槍をものともせず、ふところから鉄扇を出して、ばっと開いて、バタバタと扇ぎました。さすが隊長。酒飲んで暴れるだけじゃない。あの堂々たる態度。これでこそ隊長だと、芹沢を認めなおします浪士たち。しかし会津藩兵も、
「なに壬生浪士組。そんな者は知らん。こら待て、勝手に通るな」
「会津公御預かりであると言っておろう。ほかに言うことはない」
押し合いになったところへ、
「待て待て待てーーッ」
幕府公用方西郷十郎衛門が飛んできました。
「芹沢先生、私の落ち度で、とんだ無礼をいたしました。お前たち、こちらは会津公御預だ。早くどかんか。…よく来てくださいました芹沢先生」
「それで、長州の動きは?」
「すぐにも暴発しそうです」
御所を守る薩摩・会津。
今にも御所に発砲しそうな長州。
敵味方固唾をのんで、にらみ合うことまる一日。一触即発の空気がありました。
七卿落ち
しかし結局、衝突には至りませんでした。
午後五時頃、わらわらと長州藩兵の引き上げがはじまります。2400名余りが四陣に分かれて撤収していきます。ついに、戦には至らなかったのでした。ほっと胸をなでおろす警護の武士たち。そして長州藩兵は東山の妙本院に移動し軍議を開きます。
「本国に戻りましょう。今は是非もございません」
翌19日の朝、一行は出発します。その場に七人の尊王攘夷派の公卿の姿がありました。三条実美(さんじょうさねとみ)、三条西季知(さんじょうにしすえとも)、四条隆謌(しじょうたかうた)、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)、壬生基修(みぶもとなが)、錦小路頼徳(にしきこうじよりとみ)、澤宣嘉(さわのぶよし)の七名です。小雨降りしきる中、七人の尊王攘夷派公卿たちは長州兵に警護されながら、まず大和の十津川に入り、はるか西の方長州を目指します。いわゆる七卿落ちです。
「ううう…また都へ戻ってこれるのであろうか…」
心細さに涙する公卿たち。この時、長州藩士久坂 玄瑞(くさか げんずい)は甲冑に身を固め、公卿たちの護衛にあたっていましたが、都落ちの様子を今様の名文に残しています。
世はかりこもと乱れつゝ、茜さす日のいと暗く、瀬見の小川に霧立ちて、へだての雲とはなりにけり。うら痛ましやたまきはる、内裏に明暮れとのゐせし、実美朝臣(さねとみあそん)に季知卿(すえともきょう)、壬生、沢、四条、東久世(ひがしくぜ)、そのほか錦の小路殿、いまうき草のさだめなき、旅にしあれば駒さへも、進みかねてはいばへつゝ、降りしく雨の絶間なく、涙に袖の濡れ果てゝ、これより海山浅茅が原、露霜わきて葦がちる、難波の海にたく塩の、辛き浮世はものかはと、ゆかむとすれば東山、峰の秋風身にしみて、朝な夕なに聞馴れし、妙法院の鐘の音も、なんと今宵は哀れなる、いつしか暗き雲霧を、払ひ尽くして百敷の都の月をめで給ふらむ
次回「新選組 第19回「芹沢鴨の暗殺」」です。お楽しみに。本日も左大臣光永がお話いたしました。ありがとうございます。