新選組 第08回「壬生浪士結成」

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近藤・芹沢 清河と袂を分かつ

清河八郎は、新徳寺に浪士組の主だった者を集め、告げました。

壬生 新徳寺
壬生 新徳寺

「関白さまの命である。われら江戸へ下って、
攘夷の急先方をつとめることとなった」

ざわざわ…ざわざわ…

誰も彼も、納得できないような、できるような、
複雑な表情をします。それでも、清河八郎の一種独特の勢いに
飲まれてしまい、反論する者は無いかと見えました中、

「待てい清河」

するどい声が上がります。一同ざあっとそっちを見ると、
近藤勇が清河をにらみつけていました。

「われ等は幕府の募集に応じて集まったもの。
関白が何を言おうがこの際知ったことではない。
将軍家よりのご沙汰なくば、われらは京を一歩も動かぬ」

「な、なに!おのれそのほう、何様のつもりだ」

「貴下こそ何様だ。事々に指図しおって。 もう貴下の指図は受けぬ」

ざわざわっ…

浪士一同、こう喉につまってうまく言葉にできなかったことを、
よくぞ言ってくれたという雰囲気な中、

「近藤君に同意である」

声がしたほうを一同がざあっと注目すると、
例のわがまま男・芹沢鴨でした。
芹沢は鉄扇をぱちぱちさせながら、

「われら、京に花見をしに来たわけではござらぬ。
尽忠報国。攘夷の目的もいまだ成らぬに、
江戸へ帰る?ばかな。とうてい同意しかねる」

「なっ…ななな…!」

浪士組は皆、自分の言いなりだと思っていた清河八郎は、
むっとして顔が真っ赤になり、刀の柄に手をかけます。
なにをと近藤・芹沢も刀の柄に手をかけます。
まあまあまあまあ…周囲がなだめます。

「勝手にせよ」

ドタン!

清河は畳を蹴って、出て行きました。

その夜、近藤と芹沢が、

「いやはや近藤君、ああビシッと言ってやったのは
実に愉快だ。清河の真っ赤になった顔を見たかね。
胸のすく思いがしたよ」

「はあ、芹沢先生、恐縮です」

「おいおい先生は無いだろう。中仙道での遺恨は水に流そうじゃないか。
今日からは、近藤君、芹沢君でいこう。ささ、一献」

などと杯を酌み交わしたかどうかはわかりませんが、
芹沢先生はお酒はそうとうに召し上がったそうで、
いつも朝から酒のニオイを漂わせていたと伝えられています。

一方、近藤は酒は飲むには飲むが、酔ったところを
人に見せることは、一度もなかったそうです。

会津藩預かりとなる

3月13日、清河八郎に同意した浪士組は江戸に引き上げていきました。
一方、近藤・芹沢一派13名は、京都に残ります。

しかし、残ったとはいえ、まったく後ろ盾がなく、
この先どうなっていくのか。さっぱりわかりませんでした。

そこで13名は鵜殿鳩翁をたずねて、わけを話します。
こういうわけで、京都に残ることになったが、
いかんせん後ろ盾が無い。どうしたものでしょうと。

「貴君らの志。よくわかった。拙者から
会津公に伝えておこう」

会津公は、前年から京都守護職をつとめている会津藩主・
松平肥後守容保(かたもり)のことです。
黒谷の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)に屯所がありました。

黒谷 金戒光明寺
黒谷 金戒光明寺

黒谷 金戒光明寺
黒谷 金戒光明寺

黒谷 金戒光明寺
黒谷 金戒光明寺

3月10日、鵜殿鳩翁を通して松平容保に、
せめて将軍家茂が京都に滞在中だけでも
警護させてほしいと嘆願書を出します。

「ダメだったらどうする?」
「それでも、私は京都で攘夷をやります!」

などと言っていましたが、3月12日深夜、
浪士組を正式に会津藩の預かりにすると通告がありました。

しかも、将軍の京都滞在中と希望していたのに、
時期を定めず預かるとのことでした。

「うおーー、会津の殿様!
ありがたいのう」

一同は、祝宴を上げました。

松平容保が浪士組を預かったのは、いくつか理由があります。

尊皇攘夷派の志士たちが「天誅」と称して
殺人事件を起こしており、京都守護職だけでは
人手が足りなかったこと。

京都守護職は強力な武力を持つものの、
大所帯であり、いざという時
小回りがきかず、いつでも動ける小規模な機動部隊が必要だったこと、
などがあります。

とにかく、浪士組は正式に会津藩預かりとなったのです。
待遇として一人あたり月3両が支給されました。
宿所は会津藩から用意されなかったので、
引き続き壬生村の八木邸や前川邸を宿所としました。

壬生に宿所があったので、「壬生村浪士」
もしくは「壬生浪士(みぶろうし)」と隊の名称も決まります。

壬生村の屯所

その日、八木邸の前で、隊員たちが見守る中、
隊士の一人がガタガタっと
「松平肥後守御預
壬生村浪士屯所」と書かれた大きな看板を掲げます。

壬生 八木邸跡
壬生 八木邸跡

「ああ…なんだか、熱くなりますねえ」

しみじみ、感激する沖田総司。

「沖田くん、今日が我々の独立の日だ」

熱っぽく語る原田佐之助。

最初、残留組は13名だったのが、
この頃には人数が増えていました。

その中には、かつて近藤勇と試衛館で
一緒だった斉藤一の姿もありました。

斉藤一は先年からわけあって京都に暮らしていましたが、
近藤らが上洛したと聞いて合流したのでした。

次回「新選組 第09回「清河八郎の暗殺」」につづきます。お楽しみに。

解説:左大臣光永

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