豊臣秀吉(十四) 大坂城築城

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天正11年(1583)賤ヶ岳の合戦に柴田勝家を破った羽柴秀吉は、いったん長浜城に戻り、明智光秀の坂本城に移ると、賤ヶ岳の合戦の論功行賞を行います。

その中で、秀吉は摂津の大坂城をわが者としました。

大坂は奈良・京都に近く大坂湾に面し陸上交通・海上交通の要衝です。

かつて大坂城の場所には石山本願寺がありました。石山本願寺撤退後は、信長が城を置き、清須会議の後は、池田恒興の城となっていました。

秀吉は今回、池田恒興を美濃に移し、念願の大坂城を手に入れたのでした。

ただし信長時代・池田恒興時代の大坂城にはほとんど資料がなく、築城工事をした記録も残っていません。おそらく石山本願寺時代のままで使われていたと思われます。だからおそらく秀吉は、石山本願寺時代の石垣や区割りを参考に、大坂城を築いたと思われます。

二年後、大坂城はいちおうの完成を見ます。城下町もじょじょに整えられていきます。秀吉は天皇も大坂に遷し「大坂遷都」を考えていたようです。大坂城から淀川をはさんで西北の天満(てんま)に内裏を作る予定で、その地割りまで始めていました。そのまま行けば平安京の歴史は終わり、大坂が日本の都になっていたかもしれません!

ところが、思わぬ方向から秀吉の「大坂遷都計画」は阻まれることになります。

解説:左大臣光永

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