大石内蔵助08 討ち入り前夜

本日は熊本市内の「ばってんの湯」に入ってきました。国道沿いの、大規模な温泉センターです。

露天風呂に出ると、ガンコそうなジイさんが一人で演説してました。正月のこと、健康の話に始まり、戦後の天草の悲惨な歴史まで、一人で延々と喋りまくってました。

ツレとおぼしき人が対面に座ってましたが、たまに目をあわせてヘラッと笑うくらいで、ほかは誰一人きいてないです。それでも一人で、延々と話し続ける。ジイさんたるもの、こうでなくてはと、たのもしく思いました。

熊本弁でしゃべるとどんな悲惨な話でも、どこかのんびりした、昔話めいてきこえるのも、よいです。

連続して「大石内蔵助・忠臣蔵」について語っています。

本日は第八回「討ち入り前夜」です。

※最終回「吉良邸討ち入り」はすでに配信済ですので、新規配信はこれが最後になります。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

https://roudokus.com/mp3/Oishi08.mp3

第九回(最終回)「吉良邸討ち入り」
https://history.kaisetsuvoice.com/Oishi09.html

内蔵助、江戸へ

元禄15年(1702)10月初旬、内蔵助は京四条の梅林庵を引き払い、三条の旅籠屋に移ります。いよいよ江戸に下る準備でした。

10月7日、大石内蔵助は京三条を出発し、同志9人と落ち合いました。三条大橋をわたり、のんびり東海道を下っていきます。

10月21日、箱根着。

一行は箱根権現に参拝し、曽我兄弟の墓に参ります。苦節17年を経て、ようやく親の敵を討ち取った、兄弟の武運にあやかろうとしてです。このとき墓の苔を削り取って、袋におさめてお守りとしました。

10月22日、鎌倉雪ノ下の大石陣屋に入ります。

大石陣屋は若宮大路に面した旅籠屋で、大石家の親類筋が経営していました。内蔵助は江戸から迎えにきた吉田忠左衛門とともに鶴岡八幡宮に参拝し、討ち入りの成功を願いました。

10月26日、川崎近くの平間村(神奈川県川崎市幸区)につきます。ここには同志のひとり富森助右衛門(とみのもり すけえもん)が農民から土地を借りて、仮屋を建てていました。

内蔵助はその仮屋に入ると、同志をあつめて、十箇条からなる訓令を出します。

討ち入る時の服装の指示、武器はそれぞれ好きなものを持つこと、同志一同で討ち入りしようと決めたのだから上野介の行列を見ても勝手に斬り込んではならないこと、討ち入りまでむだな金を使わないこと、言葉に気をつけること、討ち入った以上は、男女を問わずすべて殺すこと、吉良家の家臣は100人ほど。こちらは50人ほどだが、こちらは決死の覚悟である。必ず勝てるから安心して戦えということ。同志一同に誓書(誓いを記した書面)を出すので、近く文面を発表することが、記されました。

11月5日、江戸到着。日本橋の旅籠屋「小山屋」(日本橋石町三丁目)に入り、すでに江戸入りしていた主税と合流します。内蔵助は垣見(かけい)五郎兵衛と名乗り、主税の叔父という設定にしてありました。

以後、内蔵助は小山屋の奥座敷から同志たちに指示を出します。

討ち入りに向けて

討ち入りまで、内蔵助は多忙を極めました。

まず同志たちへの指示。

前原伊助、神埼与五郎の二人は吉良邸の隣に米屋を出して偵察していました。潮田又之丞は実際に吉良家の家老に奉公して、内情をさぐっていました。また同志たちは夜な夜な吉良邸や上杉の江戸屋敷のまわりを歩き、情報をさぐりました。

こうして得られた情報をもとに、吉良邸の地図をつくり、少しずつ修正を加えていきました。

その傍ら、世話になった方々や友人への暇乞状(遺言状)を書きます。討ち入り前日の12月13日まで、内蔵助は精力的に手紙を書き続けました。その手紙は現在ほとんどが公開されており、討ち入りまでの内蔵助の心の動きを、細かく知ることができます。

たとえば三宅多中という人に当てた手紙では、山科で隠棲していた時に愛好していた牡丹を、自分の死後、育ててほしいとお願いしています。

浅野内匠家来口上

また討ち入りの指示書「人々心覚(ひとびとこころのおぼえ)」を作り、討ち入りの理由を書いた「浅野内匠家来口上(あさのたくみのけらいこうじょう)」を清書しました。

我々はこういう理由で討ち入った、という趣旨を書いた文書です。堀部弥兵衛が一族に書いた遺書をもとに、何度も修正を加えていきました。

口上書は討ち入りの時、幹部の何人かが懐に入れて持参し、吉良邸の内玄関に青竹に結びつけて、立てました。その全文が、今に伝わっています。

浅野内匠頭家来口上

去年三月 内匠《たくみ》の儀、伝奏御馳走《でんそうごちそう》の儀に付き、吉良上野介殿《きらこうずけのすけどの》へ意趣《いしゅ》を含み罷《まか》り在り候処《そうろうところ》、殿中《でんちゅう》に於いて当座忍び難き儀、御座候《ござそうろう》か。時節場所を辧《わきま》えざる働き、不調法至極に付き切腹仰せ付けられ、領地赤穂召し上げられ候儀《そうろうぎ》、家来共迄《けらいどもまで》畏れ入り存じ奉り候。上使の御下知《ごげち》を請《う》け、領地差し上げ、家中早速離散仕り候。右の喧嘩の節、御同席に御押留《おんおしとど》めの御方《おかた》これ有り。上野介殿《こうずけのすけどの》討ち留め申さず。内匠頭《たくみのかみ》末期残念の心底《しんてい》、家来共《けらいども》忍び難き仕合せに御座候《ござそうろう》。高家御歴々《こうけおれきれき》に対し、家来共《けらいども》鬱憤を挟《さしはさ》み候段《そうろうだん》、憚《はがか》りに存じ候らえ共、君父《くんぷ》の讎《あだ》、共に天を戴くべからざるの儀、默《もだ》し難く、今日上野介殿《こうずけのすけどの》御宅《おんたく》へ推参仕り候。偏《ひとえ》に亡主《ぼうしゅ》の意趣を継ぐの志《こころざし》迄《まで》に御座候《ござそうろう》。私共死後、若《も》し御見分《ごけんぶん》の御方《おんかた》御座候《ござそーら》はば、御披見《ごひけん》願い奉り、是《かく》の如くに御座候《ござうろう》。以上。

元禄十五年十二月 日

浅野内匠頭長矩家来
四十七名

現代語訳

去年三月、浅野内匠頭が勅使接待役を務めるうちに、吉良上野介殿へ恨みを抱いてございましたところに、殿中で、どうしてもその時がまんできないことがあったのでしょうか。刃傷に及びました。時と場所をわきまえない働き、不調法の極みであるということで切腹を仰せ付けられ、領地赤穂が召し上げられましたことは、家来たちまで恐れ入った次第でございます。幕府からの使いの命令を受けて、我々は領地を差し上げ、すぐに散り散りとなって別れたのでございます。

ところが、右の喧嘩の時、同席されていた方に内匠頭をおしとどめた者があり、上野介殿を討ち取ることができませんでした。内匠頭の残念な心の底を思うと、家来たちはがまんならないことでございました。高家の身分の高い方々に対して家来たちが不満を抱くことは、畏れ多いことではありますが、君父の敵とは共に天を戴くことはできぬことから、黙っていられず、今日、上野介殿のお宅へ参上したのでございます。ひとえに亡き主君の無念を晴らす志のみでございます。私共の死後、もし調べてくださるお方がございましたら、この書状をご覧いただきたく、このようにしたためました。以上。

元禄十五年十二月

浅野内匠頭長矩家来
四十七名

深川会議

浪士たちは町人や商人の姿になり、ねばり強く吉良邸を捜索していました。そんな中、12月5日に吉良邸で茶会が開かれるという情報が入ってきました。その日、吉良は確実に屋敷にいるわけです。それで、討ち入りは5日と決まりました。

12月2日、内蔵助は深川八幡前の料理屋で、頼母子講を開くという名目で同志全員を集めます。頼母子講とは互いに助け合ってお金の貸し借りをする会合のことです。

「すべて準備は整った。あとは討ち入るばかりである」

吉田忠左衛門が一人ひとりに指示を出し、どこから討ち入るのか、どういう役割をになうのか、細かく説明します。

会合は夜におよび、最後に13箇条からなる「人々心得の覚」が読み上げられました。

討ち入り前日の夜、三箇所(堀部弥兵衛宅、堀部安兵衛仮宅、杉野十平次仮宅)に集まること。合言葉は山と川。それぞれ得意の武器を使うこと。上野介を見つけたら笛をふいて知らせること。引き上げの時はドラを鳴らすこと、検分の役人との応対の仕方まで書かれていました。最後の最後まで、武士の面目を保とうとする内蔵助の意思が読み取れました。

さらに内蔵助は言いました。

「討ち入り前に同志の一人でも捕まったら、全員で自首して、ここまでの事の次第をすべて話す」

これ以上脱落者を出さないための方便でした。自首、ということになれば逃げた者の名も出て、捕まえられます。つまり、この先ついてくる者には、もう逃げることは許さんぞ、というわけです。

しかし、12月5日は将軍綱吉が柳沢邸を訪れるので、ひとまず12月5日の討ち入りはなしとなりました。

今度は12月14日に茶会が行われるらしい、との情報が入ってきました。吉良邸出入りの茶人から裏を取ると、たしかな情報でした。

「12月14日、吉良邸にて茶会」

もうこれは確実でした。それで内蔵助は、

「本日、寅の上刻(午前3時半頃)、討ち入り」

との伝令を、江戸のあちこちに潜伏している浪士たちに回します。

大石内蔵助・忠臣蔵(九)吉良邸討ち入り」は、すでに配信済ですので、新規の配信はここまでとなります。

次回から、大正時代について語っていきます。

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解説:左大臣光永

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