日蓮の生涯(七)身延隠棲

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こんにちは。左大臣光永です。最近、月曜のコンビニに不思議に思うことがあります。少年ジャンプを立ち読みしているのがサラリーマンばかりで、子供がまったく立ち読みしていないということです。都内だけの現象でしょうか?本当に子供は少年ジャンプを読んでるのかなと不安になりました。

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さて本日のメルマガは、
「日蓮の生涯(七)身延隠棲」です。

▼音声が再生されます▼

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Nichiren07.mp3

佐渡に島流しになった日蓮でしたが、三年目の文永11年(1274)無罪放免となり、鎌倉に戻されます。


鎌倉 妙本寺の日蓮像

赦免・鎌倉帰還

文永11年(1274年)2月。執権北条時宗は日蓮の罪を許します。もともと時宗は日蓮に反感は無かった上に、蒙古や高麗の使者が訪れ、また北条一門家に内紛が起こり(二月騒動)、幕府関係者の中にも日蓮に一目置く声が高くなっていたのです。日蓮という者、ただ者ではないのではないか。今後の蒙古対策について、日蓮に予言させてはどうかと。

3月。

日蓮は佐渡を後にし、柏崎(新潟県柏崎市)、国府(新潟県上越市国府)、信濃の善光寺を通って3月26日、鎌倉に着きました。途中、念仏信者たちが日蓮を逃がしてはならぬと襲撃を試みましたが、警護の武士が目を光らせていたため、襲撃は起こりませんでした。

鎌倉帰還

文永11年(1274)、日蓮は鎌倉の評定所に招かれます。平頼綱は、三年前に日蓮を取り調べた時とは打って変わった態度で、日蓮に尋ねます。

「どう思うか。蒙古は、襲撃してくるであろうか」

「今年を過ぎることは無いでしょう」

「なんと!ではどうすれば」

「その対策を知るのは日蓮だけですから、日蓮を用いられよ。もし真言宗の僧などに調伏の祈祷をさせるなら、事態はますます悪くなりましょう」

(ぐぬぬ…こやつ、三年前と何も変わっていない!いやむしろ思い込みが激しくなっている)

平頼綱は内心はがいく思ったかもしれません。しかし蒙古の使者はいよいよ態度が高圧的になり、近く襲撃してくるのではないか?危機感が増していました。

そこで執権北条時宗は、日蓮に襲撃の時期を予言させ、蒙古調伏の祈祷もさせようと、これを平頼綱に命じたのでした。そのため平頼綱は日蓮が何を言っても反論はできませんでした。

しかし幕府は日蓮の予言をいちおう参考にはしたものの、「日蓮を用いて真言を破折せよ」という提案は無視しました。

身延入山

日蓮はこれまで幕府に三度意見を奉り、三度とも無視されました。

一度目は文応年(1260)『立正安国論』を前執権北条時頼奉ったこと。二度目は文永8年(1271)評定所で「日蓮を用いよ」と提言したこと。そして文永11年(1274)、ふたたび評定所での「日蓮を用いよ」との訴え。

「三たび諌めて聴かれずば、則ちこれを去る」

その言葉に従って、日蓮は鎌倉を去る決意を固めました。甲斐の波木井(はきり)郷の地頭である波木井実長は日蓮の熱心な弟子であり、日蓮を招いてくれました。それで甲斐山中・身延に隠棲することにします。

甲斐の身延山は四方を山と河に囲まれ、俗世間と隔絶された場所です。ここに日蓮は小さな庵を建てて暮らし始めました。

「まるで天竺の霊山、中国の天台山の風情よ。わが身は釈尊でも天台大師でも無いが、朝夕に法華経を読んでいると、霊山や天台山にいる心地がしてくる」

しかし、日蓮は隠棲しながらも、蒙古襲来をはじめ、世の中の情勢に常に目を光らせていました。

「蒙古は必ず来る」

日蓮は確信していました。蒙古が来れば、京鎌倉はじめ日本全土が破壊し尽くされる。そうして一度日本が徹底して破壊し尽くされた上で、念仏や禅、真言といった邪法が滅びつくされた所に、日蓮と弟子たちが正法である法華経を説き、日本を仏国土とするのだ。そのための拠点が、ここ身延山である。…どうやら日蓮は、このように考えていたようです。

生活は非常に貧しく、衣類・食料にも事欠きました。また冬の寒さは強烈でした。10月にはもう雪が降り、4月まで若草が生えないというありさまです。その上、56歳の暮れから冷え込みによる下痢を起こし、それが慢性化して、やせ衰えていきました。

さすがの日蓮も、年老い、衰えてきました。つい、涙もろくなる場面もありました。弟子があま海苔を送ってきた時は、故郷安房の小湊を思い出し、ああ…なつかしい故郷、父上、母上と、涙を流しました。

そんな中にも弟子たちがたびたび日蓮を訪ねてきてくれました。佐渡で弟子となった国府入道、阿仏房夫婦、在家信者である下総の富木胤継、駿河の南条時光、鎌倉の四条金吾…弟子たちは日蓮の病気を見舞い、日蓮の説法を聴くために集まりました。身延山の庵には少ない時で40人、多い時で60人もの人があったと日蓮は手紙に書いています。

そのため、日蓮の庵も最初の小さいまま、というわけにはいかず、順次増築していきます。弘安4年(1281年)には波木井重長の願いを受け入れて、十間四面の本堂が完成しました。後の久遠寺です。

次回「日蓮の生涯(八)入寂」に続きます。

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

発売中です。

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7月20日までの早期特典です。お申込みはお早目にどうぞ。

本日も左大臣光永がお話ししました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

解説:左大臣光永

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