日蓮の生涯(四)蒙古の使者

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こんにちは。左大臣光永です。じめじめと鬱陶しい天気が続きますが、
心はカラッと楽しく、明るくお過ごしでしょうか!!

私は昨日、キーボードがいかれたので、量販店に新しいキーボードを買いに行きました。実にいろいろなキーボードがありますね。値段もピンキリです。惜しむらくは説明不十分ということです。4000円のキーボードは1000円のキーボードと比べて何が優れているのか?1000円のキーボードはなぜ安いのか?わざわざ店員に聴く人は少ないでしょう。一言、説明を書いておけばまったく売上が違ってくると思うんですが。

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さて。

本日のメルマガは「日蓮の生涯(四)蒙古の使者」です。

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http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Nichiren04.mp3

東京都大田区・池上本門寺 日蓮像
東京都大田区・池上本門寺 日蓮像

東京都大田区・池上本門寺 日蓮像
東京都大田区・池上本門寺 日蓮像

蒙古の使者

文永5年(1268年)正月、モンゴル帝国・フビライの使者が対馬を経て大宰府に到着。国書は約40日後、鎌倉に到着します。

「ううむ…これはいったい、どうしたものか」

時の執権北条政村は、迷ってしまいました。

国書の内容は、ようするに「仲良くやりましょう」ということでした。この時の国書の写しは、東大寺に残っています。みずからを「蒙古国皇帝」とし日本国王を「小国の君」とする高慢さはありますが、ハツキリ侵略の意図が読み取れるような内容ではありません。

フビライは南宋を孤立させる作戦のうちに日本、高麗を組みこもうと考えていたのであり、当初、侵略の意図は無かったと思われます。

末尾にはこう結んでありました。

「兵を用いることは、誰が望むであろうか」

執権北条政村は、

「まあ、とにかく…鎌倉では何とも判断しずらいから、
朝廷の判断を仰ごう」

国書を京都に送ります。京都では、後嵯峨上皇のもと、院の評定が行われます。

「『兵を用いることは、誰が望むであろうか』…
これは威嚇ではないですか!なんたる破廉恥!
こんなもの、相手にすることは、ありません」

こう主張したのは関白近衛基平です。

「しかし…それでは蒙古が攻め込んでくるのではないか」
「ならば迎え撃つまでです!」

ざわざわ…

恐れおののく公卿たち。

ただし、これは日本側の過剰反応だったという見方が現在では主流です。国書を送った段階では、フビライはあくまで南宋の孤立化を目的としており、侵略の意図は無かったと思われます。

幕府では西国の御家人たちに、蒙古襲来に備えるようにお達しを出します。同年3月5日。高齢の北条政村にかわり、18歳の北条時宗が連署から格上げされて執権となります。

「さあ、これでいつでも蒙古を迎え撃てるぞ」
「私は連署として、誠心誠意補佐いたしまする」
「うむ、頼むぞ政村」

時宗の執権就任に際し、それまで執権だった64歳の北条政村は、連署として時宗の補佐に当たることとなります。

「やはり外国が攻めてきた!私が予言した通りになったぞ!!」

日蓮は、『安国論御勘由来(あんこくろんごかんゆらい)』を書きあらわして幕府要人に奉ります。『立正安国論』を奉った理由から文永元年の彗星のことに触れ、日蓮が予言した通り、外国が侵略してきた。この国難を切り抜けるすべを知っているのは、叡山を除いては日蓮ただ一人である。今こそ日蓮の言を用いよという内容です。もちろん、無視されました。

十一通書状

ならばと日蓮は、執権北条時宗はじめ幕府要人、鎌倉の大寺社建長寺や極楽寺に向けて、計十一通の書状を送ります。いわゆる十一通書状です。その内容は、

「日蓮の予言通り、外国が侵略してきた。念仏や禅といった間違った宗教を信じるからこうなったのだ。蒙古に国を奪われようとしているのだ。その解決策を知るのは日蓮のみ。反論があるなら、公の場で討論しようではないか」

だいたい、そんな内容でした。特に建長寺の蘭渓道隆にあてた手紙には「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」という文言が見えます。いわゆる四箇格言(しこのかくげん)です。それまで日蓮は主に念仏衆を敵と見ていましたが、ここに至り、真言宗・禅宗・律宗も敵とみなしたわけです。敵だらけです。もちろん、無視されました。

再度 蒙古の使者

翌文永6年(1269年)3月、モンゴルの使者がふたたび対馬に到着します。この時同行していた高麗人がよからぬことを思いつきます。

「島民をさらっちまいましょう。交渉に有利です」

二人の島民を拉致し、使者はそのまま高麗に戻りモンゴルに向かい、フビライに二人の島民を差し出します。

フビライは二人の島民を手厚くもてなしました。モンゴルの国力を見せつけて、日本に伝えさせようしたのです。モンゴルと戦っても損だぞと。

同年7月、国書を持った使者に同行させ、二人の島民を日本に戻します。一行は対馬を経て大宰府に到着しました。

後嵯峨上皇以下、院の評定が行われます。

「今度こそ返書を送りましょう」
「うむ。何と書く」
「日本は神国だから、威しには屈しないと!」
「な!」

一方、幕府の判断は…

「返書など必要ない。あくまで、無視を貫くのだ!」

幕府にこう言われると、幕府の力で即位した後嵯峨上皇は何も言い返せませんでした。

こうして二通目の国書も無視されました。

「やはり蒙古は襲来してきたではないか!」

ふたたび日蓮は執権時宗はじめ幕府要人に書状を送りました。内容は以前と大差なく、ようするに法華経を信じよ。日蓮を用いよということですが、今度は二度目のモンゴルの使者が到着したことでもあり、日蓮の予言に耳を傾ける者がいくらかありました。

ここで注意すべきは、日蓮は法華経の力で蒙古を撃退しようと考えていたわけでは、無いということです。むしろ蒙古によって日本が一度滅ぼされ、焼け野原になった後にこそ、正法である法華経を広めるチャンスだと日蓮は考えていました。

蒙古はむしろ日本の法華経を広めるために遣わされた「隣国の聖人」とまで書いています。もちろん日蓮も人並みに愛国心はあったはずで、日本国が滅びることに心苦しさはあったはずですが、法華経による仏国土を築くということこそ、日蓮にとっては最優先でした。

その後モンゴルからの使者は途絶え、世の中の緊張感はふたたび緩んでいきました。

次回「竜口の法難」です。お楽しみに。

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解説:左大臣光永

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