行基の生涯(一)出家から民間伝道へ

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こんにちは。左大臣光永です。

今日はこれから百人一首講演に行ってきます。さっきまで配布資料をばちばちホチキスで留めてました。いつも単純作業はなるべくプログラムを組んで自動化しているので、単純作業をやる機会そのものがほとんど無いのです。たまにこういうホチキスを留めるなどという作業があると、かえって楽しいですね。

本日から「行基の生涯」をお届けします。奈良時代に各地を遊行しながら池や橋や灌漑施設をつくり、東大寺の大仏建立にも貢献した、行基菩薩。その生涯にせまります。

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近鉄奈良駅の行基像
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出生

行基は天智天皇7年(668)、天智天皇が大津京で即位した年に、河内国(後、和泉国に編入)大鳥郡蜂田里(はちたのさと)(現堺市・高石市)に生まれました。父は高志才智(こしのさいち)。母は蜂田古爾比売(はちたのこにひめ)。

父母ともに渡来人の家系です。父は百済から渡来した王仁氏の一派・書首氏(ふみのおびとし)のさらに一派である高志氏。書首氏は蘇我氏のもと、代々の朝廷に政治・財政などで仕えました。

母は百済渡来の蜂田薬師(はちたのくすし)に連なる家系といわれます。生まれたのは母方の実家・蜂田郷で、後に行基がこの地に寺を建て家原寺(えばらじ)としました。

出家

壬申の乱の時、行基は五歳でした。何の記憶もありません(たぶん)。壬申の乱に勝利して天武天皇が即位すると、天皇中心の律令制国家の礎を築いていきました。

天武天皇11年(682)行基は15歳で出家しました。場所は大和の元興寺(飛鳥寺)と思われます。持統天皇5年(691)24歳で葛城山(かづらぎさん)の高宮寺(たかみやでら)で徳光禅師より受戒。それに前後して元興寺(飛鳥寺)の道昭のもとで法相教学を学びました。

道昭は宇治橋をかけたことで知られ、仏教の伝道と社会事業を結びつけて考えた人でした。後年、行基が橋や池をつくったり社会事業を通して伝道したのは、師の道昭の影響と思われます。

民間伝道へ

文武天皇4年(700)師の道昭が飛鳥寺の禅院で亡くなりました。道昭の死後も行基はしばらく山にこって修行していたようですが、

慶雲2年(705)山を下りました。はじめ大和国添下郡(そえじもぐん)、その後平群(へぐり)郡生駒(いこま)に住むようになりました。

そこで行基は重税や労役に苦しむ庶民の姿を見ます。

大宝元年(701)には大宝律令が制定され、律令国家のいしずえが作られていました。その一方で民は税を搾り取られ、飢饉や疫病、貧困に苦しんでいました。税をおさめるには自腹を切って都(この頃は藤原京)まで往復しないといけないので、その途中で食料が尽きて、餓死する者もありました。

行基は高志氏という中流豪族の出であり、師の道昭を通じて、学問や仏教に造詣がありました。国家に伝える公務員僧侶となることもできました。しかし行基が選んだ道は違いました。行基は民間伝道をえらびます。その様子は『続日本紀』にあります。

都邑に周遊して衆生を教化(きょうけ)す。道俗、化(おもぶけ)を慕ひて追従(ついじゅ)する者、動(やや)もすれば千を以て数ふ。所以(ゆく)の処、和尚(わじょう)来るを聞けば、巷に居(お)る人なく、争い来たりて礼拝(らいはい)す。器に随ひて誘導し、ことごとく善に趣かしむ。


時の人、号して行基菩薩と曰ふ。留止する処に皆道場を建つ。其の畿内に凡そ四十九処、諸道にもまた往々にして在り。

『続日本紀』行基菩薩伝

都市を歩き回って衆生を教え導く。出家している人もしていない人も、行基をしたって追従する者は、どうかすると千人にもなる。行く所、行基が来るのを聞くと、巷に家にいる人はなく、争い来て礼拝する。その人の素質・性質にしたがって教え導き、だれもを善におもむかせる。

当時の人は、号して行基菩薩とよんだ。行基はとどまった処に皆道場を建てた。その数は畿内におよそ四十九箇所、全国にもまたあちこちにある。

『日本霊異記』には、行基の説法としてこんな話があります。

元興寺の村で法会が開かれ、行基が招かれて説法した時、聴衆の中に、猪の油を髪に塗っている者があった。はためにはふつうの油と区別がつかないが、行基はそれを見抜いて、殺生の罪であると戒めたと(中巻29)。

社会事業

また行基は有名なことに、各地で社会事業を行いました。

橋をかけ、池・堀・溝を掘り、道路を作り、布施屋…旅人に食料などをふるまう施設を築き、道場…寺を築きました。行基の説法をききに集まった人たちは積極的にこれら社会事業に手を貸しました。

「行基さまがおっしゃるなら」
「そうだよ。俺たち、世話になってるんだから」

…というふうに。

みずから弟子らを率ゐて諸(もろもろ)の要害の処に於いて橋を造り堤を築くに、聞見の及ぶ所は、ことごとく来りて功を加え、不日にして成る。

『続日本紀』行基菩薩伝

行基はおそらく、師の道昭から土木工事の技術を学んで身につけていたと思われます。

次回「平城京から恭仁京へ」に続きます。お楽しみに。

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月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。

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第一部「飛鳥時代篇」は、蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱まで。

第二部「奈良時代篇」は、長屋王の変・聖武天皇の大仏建立・鑑真和尚の来日・藤原仲麻呂の乱・桓武天皇の即位から長岡京遷都の直前まで。

解説:左大臣光永

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