鑑真和上(ニ)苦難の航海

こんにちは。左大臣光永です。

確定申告終わりました。会計ソフトがあれば作業はカンタンですね。しかし昭和の昔はこのメンドくさい作業をすべて人間がやってたんですね。神がかってると思います。

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本日は「鑑真和上(ニ)苦難の航海」です。

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五度の渡航計画

742年、日本からの留学僧・栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)の要請に応じて、日本へ渡ることに決めた鑑真一行。

しかし。

その航海は困難をきわめました。

そもそも唐の法律では国境を超えることを禁じていますので、密出国ということになります。

それでも第一回の渡航計画は、時の宰相李林甫(りりんぽ)の兄・李林宗(りりんそう)の口添えがあったのでうまく進んでいました。一行の中に加わっている道航という僧が李林宗の家に出入りしている縁で、つまりコネがあったのです。

天台宗国清寺に供養の品を届けるという名目で、船を準備して乾飯(乾燥食物)も積み込んだところ、仲間割れが起きます。

道航が、一行の中の新羅人の僧、如海に対して、お前のような修行の足りないものは来るなと非難したのです。如海はこれを深く恨みます。それで頭を頭巾で包んで僧であることを隠し、役所にウソの密告をします。道航という者が海賊と結託して悪さをしようとしていますと。

如海のウソにより道航・栄叡・普照は逮捕されました。しかし李林甫の口利きで密告はウソであることがわかると釈放されます。かえって密告した如海のほうが処罰されました。

第二回の渡航計画は鑑真の出した銅銭八十貫を元手に船と食料・物資を買い集め、出発しました。長江河口まで出たところで波に襲われ、なかなか船はすすまない。

なんとか外海に出たものの、船は破損してしまいます。船を修理し、下嶼山(かしょざん)という島(所在地不明)にとどまること一ヶ月。ついで桑石山(そうせきざん?)という島に向かったところ、船は座礁しました。一行は飢えと渇きにあえぎながら救出を待つほかありませんでした。

ようやく救出された一行は明州の阿育王寺(あいくおうじ)に保護されました。阿育王寺は日本ともゆかりの深い寺です。臨済宗の栄西が訪れていますし、鎌倉幕府の三代将軍実朝は渡来僧の陳和卿が「あなたは前世に明州阿育王寺の僧でした」といったので、中国に渡ると言い出して由比ヶ浜に船を造らせました。室町時代には雪舟が訪れて阿育王寺の絵を描いています。

第三回の渡航計画は、事前につぶされます。栄叡が鑑真和上を連れ去ろうとしているという訴えが役所にとどき、けしからんということで、栄叡は身柄を拘束されました。杭州で病死したということにして官憲の目をあざむき、ようやく逃げ出すことができました。

栄叡は間もなく阿育王寺にもどってきて、鑑真・普照とともに渡航の計画を練りました。

第四回は福州(福建省)からの渡航を目指します。あらかじめ弟子を福州に派遣して船や物資を調達させ、天台山に巡礼するのだと偽って、出発しました。

しかし険しい山々と吹雪にはばまれ、その道は容易ではありませんでした。しかも、やっと福州についたと思ったら、すぐに捕まってしまいます。鑑真が日本にわたることを惜しんだ弟子が、密告していたのです。

この間、鑑真一行は各地で律の講義をしたり、授戒式を精力的に行っています。おそらくこうした働きで得られたお布施を、渡航費用に当てていたのでしょう。

第五回の渡航計画は前回から五年後の749年に実行されました。揚州を出発し長江を下り、ようやく外洋に出ましたが、海蛇や飛魚、海鳥にはばまれ、流れ流れて海南島にまで至りました。

5回にわたる渡航はいずれも失敗しました。この間の苦労話は『唐大和上東征伝』や、それに基づく井上靖氏の小説『天平の甍』に詳しく書かれています。

栄叡の死と鑑真の失明

その間、栄叡は病にかかってしまいます。

栄叡「普照。俺はこれまでのようだ。鑑真さまを必ず日本へ」
普照「栄叡…栄叡ッ…!!」

749年、栄叡は端州(今の広東省西部)龍興寺で没しました。鑑真和上は「慟哭した」と書かれています。。

その間、鑑真はあまりに炎熱の地を通ったために目が見えにくくなっていました。西域出身の医者がいて目の治療をよくするというのでみせたところ、失明してしまいました。

程なく、一番弟子の祥彦も死にました。祥彦は一声念仏を唱え、姿勢をただして座ったまま、動かなくなりました。鑑真は「彦、彦」といって慟哭しました。

長旅の間、多くの弟子が亡くなったり、諦めて鑑真のもとを去っていきます。そんな中にも鑑真は各地で仏教の教えを説いてまわりました。

海南島を後にした一行は長旅を経て、揚州にもどり、前のように竜興寺に住むことになりました。

次回は「鑑真和上(三)日本へ」です。

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86番西行法師~100番順徳院。最終回です。

解説:左大臣光永