藤原道長の生涯(十九)望月の歌

こんにちは。左大臣光永です。

『源氏物語』の登場人物に雲居の雁(くもいのかり)というお姫さまがいるんですが、その雲居の雁が先日、夢に出てきました。なぜか、金魚の姿をしてました。実体は雲居の雁というお姫さまなんだけれど、姿形は空中をふわふわ飛ぶ金魚なんですね。

その雲居の雁の金魚と、サッカーをして遊ぶ夢でした。金魚は空中にふわふわ浮かんで、口先でボールをつついて、飛ばすのです。楽しい夢でした。

本日は、藤原道長の生涯(十九)「望月の歌」です。

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三女・威子の入内

寛仁二年(1018)3月7日、藤原道長の三女・威子(いし)が、後一条天皇に入内します。このとき後一条天皇11歳。威子20歳。

威子の入内は道長が前々から準備を進めていたことでした。道長は威子入内に先駆け、法性寺に二度参詣し、その成功を祈っています。威子の入内は、長女彰子が故・一条天皇に入内した時と同じく女房40人、女童6人を伴っての入内でした。

ちなみにこれは甥と叔母の結婚であり、現在は法律で禁じられています。

六男・長家の結婚

3月13日、道長の六男・長家と藤原行成の娘が結婚します。この長家の血統を御子左家(みこひだりけ)といい、子孫に藤原俊成・藤原定家らが出ます。

新造内裏

4月28日、長和4年(1015)の焼失以来、2年あまりも再建をすすめていた内裏がようやく完成しました。後一条天皇は母である太皇太后彰子とともに鳳輦にお乗りになり、一条院内裏を後に、新造内裏に入ります。

内裏の再建。それ自体は嬉しいことでした。しかし太皇太后彰子にとって一条院内裏は亡き夫・一条天皇の思い出のつまった御所です。離れるにあたって、やはりさまざまな感慨があったことでしょう。

その後、東宮・敦良(あつなが)親王と、後一条天皇女御・威子も内裏へ移ってきました。

土御門邸再建

6月26日、新造土御門邸が完成しました。土御門邸は長和5年(1016)7月の火事で焼けた後、再建を進めていたのです。それがようやく完成したのです。

家具や調度品の一切は、伊予守・源頼光(みなもとの よりみつ)が献上しました。大江山の酒呑童子退治で知られる、あの頼光です。

一条堀川の頼光の屋敷から、土御門邸まで1キロあまりの道のりを何日もかけて荷物は運ばれました。それを一目見ようと野次馬が殺到しました。中にはいちいち調度品のメモを取って、目録を作るものもありました。

道長は6月27日、新造土御門邸に移ってきました。新造土御門邸では三日間にわたって落成供養の宴が開かれました。

「道長の徳は帝王の如し、世の興亡は只我が心にあり」

「連日、京中の人彼の第に到り、風流を見る」と書かれています(『小右記』)。

道長がそこまで新造土御門邸を豪華に整えたのは、間近に計画している三女威子の立后、および後一条天皇行幸に備えてのものでした。

威子立后

三女威子の立后はスムーズに進みました。7月28日、太皇太后彰子より、道長・頼通にお言葉がありました。威子の立后を進めてくださいと。

これは彰子が、父道長の意向を汲み取って、気を遣って自分から言い出したものでしょう。道長は太皇太后のお墨付きを受けて、遠慮なく威子の立后をおしすすめました。

こうして。

寛仁二年(1018)10月16日、道長の三女威子が女御から中宮に格上げとなります。同じ日に次女妍子は皇太后となりました。長女彰子はすでに正月7日に太皇太后となっていたので、ここに道長は三人の娘を天皇の后として並び立てる形となりました。

望月の歌

寛仁二年(1018)10月16日、威子立后の儀は、新造内裏の紫宸殿でおごそかに行われました。儀式を取り仕切ったのは左大臣藤原顕光ですが、遅刻した上、手順にまずいところがあり、道長に罵倒されるという一幕もありました。

それでも立后の式はおおかた問題なく終わりました。

その後、道長はじめ大臣公卿らは土御門邸に移動し、華やかな宴が行われます。

「今日、女御藤原威子を以て皇后に立つるの日也。前太政大臣第三娘、一家三后立つは未曾有」(『小右記』)

一家から三人の后を出したのは、今日に至るまで道長の他に例がありません。

管弦の音が、歌声が鳴り響きます。宴は夜に及びます。空には十六夜の月がこうこうと輝いていました。

道長の『御堂関白記』には宴の様子が書かれています。

「また階下に伶人(楽人)を召して数曲。数献の後、禄を給う。大掛一重。ここに於て余和歌を詠む。人々これを詠ず。事了りて分散す」

さらっと書いてあるだけですね。一方、藤原実資の『小右記』には実に詳しく書いてあります。いわく…

道長はいい感じに酔ってきました。

「いやあ目出度い!右大将殿、こんな嬉しいことってありますか!夢のようだ」

「はあ…」

「我が子頼通も、今や摂政さまですぞ!
どうか右大将殿、頼通に酌をしてくだされ」

「は…はあ…では」

実資が盃を頼通にすすめると、頼通はくっと飲んだ後、左大臣顕光に渡しました。左大臣顕光は道長に渡しました、道長は右大臣公季へわたしました。

道長は上機嫌で実資に話しかけます。

「うーい…すっかり酔いました…これから歌を詠みますので、必ず唱和してくだされよ。これは前々から用意していたものではないので、そう褒められた歌でもないのですが…」

そこであの有名な歌を詠みました。

此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

(な…なんたるうぬぼれ!)

あまりの詠みっぷりに、実資は絶句します。

「返歌をしたいところですが、これほどの歌に返すなど、私にはとてもムリです。ここにいる全員でこの素晴らしい歌を唱和いたしましょう」

「そうですか?照れくさいですなあ」

「では皆様、ご一緒に!」

此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば
此の世をば我世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば

そこにいる全員で数回、吟じました。それから

「夜深く月明らかなり、酔いを扶けて各々退出す」と。

以上の話は藤原実資の『小右記』に書かれています。

10月22日、後一条天皇が土御門邸に行幸します。太皇太后彰子、皇太后妍子、東宮敦良(あつなが)親王も行啓しました。

池に浮かべた舟からは楽人たちが管弦を奏し、馬場殿では馳せ馬が行われ、作文の会、童舞(わらわまい)などが行われました。

暮れから夜に入ると小雨がぱらついてきました。そんな中、太皇太后彰子、皇太后妍子、中宮威子は土御門邸の東の泉の渡殿で一同に会しました。妍子の娘・偵子内親王、道長の妻倫子、道長四女・嬉子も同席しました。泉のまわりでは楽人たちが管弦の音を響かせます。

道長は「言語に尽くし難し、未曾有の事也」と日記に書いています。

後一条天皇より道長へ杯が与えられます。道長は飲み干した後、左大臣顕光に杯を渡し、庭におりて舞を披露した後、もとの席にもどりました。

道長にとって、まさに生涯最高の一日でした。後一条天皇は夜10時ころ、土御門邸を後にされました。

次回「無量寿院」に続きます。お楽しみに。

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