殖産興業と文明開化

殖産興業

政府は旧幕府時代に藩によって運営されていた工場や造船所をひきついで官営の工場とし、また自ら工場をつくって産業の育成につとめました。特に生糸は当時最大の輸出品で、国のカナメでした。そこで政府は明治5年(1872)群馬県の富岡製糸場ほか官営の工場を全国につくり、外国人技術者を招き入れ、全国から優秀な娘を集めて技術を学ばせました。こうした動きを殖産興業といいます。

貨幣制度

政府はまた貨幣制度の改革をはかりました。明治4年(1871)新貨条例発布され、貨幣の単位を円(えん)・銭(せん)・厘(りん)に統一しました。また、明治5年(1872)渋沢栄一を中心に国立銀行条例を制定し、紙幣を発行できる国立銀行を全国に造らせました。

北海道開拓使

蝦夷地は明治2年(1869)、北海道とあらためられ、開拓使という役所が置かれました。職を失った元幕臣や武士などが北海道に来て、屯田兵となりました。屯田兵はふだんは農業にいそしみ、非常時には武器をもって戦う、というものです。後に起こった西南戦争や、日清・日露の戦いで戦いました。

また札幌農学校が創設され、農業技術と経営の向上をはかりました。

鉄道の開通

明治5年(1872)新橋~横浜間の鉄道が開通し、横浜に明治天皇を迎えて開通式が行われました。明治7年(1874)大阪~神戸間が、明治10年(1877)大阪~京都間の鉄道が開通。さらに明治13年(1880)京都~大津間が開通し、大津から神戸まで鉄道でつながることになりました。

文明開化

明治4年(1871)廃藩置県で世の中の仕組みが大きく変わったのにつれて、思想・学問の分野でも新しい動きが起こりました。何でも西洋文明を手本とし、日本風を西洋風にあらためようというもので、これを「文明開化」とよびます。

ちょんまげを切ってざんぎり頭になり、洋服を着て、牛鍋を食い、レンガ造の建物を建て、ガス灯が夜の町を照らし、馬車や人力車が行き交いました。暦も太陰暦から太陽暦に改められました。明治5年12月3日が、明治6年=1873年正月1日となりました。ただし地方では依然として旧暦で行事などが行われました。

「最近は何でも西洋、西洋だ」
「そんなに西洋がいいのか!西洋かぶれめッ」

そんな批判もありましたが、文明開化のめざすところは不平等条約を改正し、国際社会の仲間入りをし、国家としての独立を勝ち取ることにありました。福沢諭吉は『文明論之概略』の中で、

国の独立は目的なり、今の我文明はこの目的に達するの術なり

目的は国の独立達成であって、今の文明開化はその手段なのだと説いています。

また福沢は『学問のススメ』を書き、人は生まれながらに貴賤の別があるわけではなく、学問によって変わってくること、個人の独立が国の独立につながることなどを説きました。『学問のスヽメ』は80万部を超える大ベストセラーになりました。

それだけ多くの出版物を印刷できるようになったのは、本木昌造(もとき しょうぞう)が鋳造した鉛製活字により、活版印刷術が進歩したためでした。

学制改革

教育制度にも改革が行われました。明治5年(1872)政府は学制を発布。全国に2万校以上の小学校が設立されました。江戸時代は藩校や寺小屋で、それぞれ独自に学問を教えていましたが、それを一律基準で教育するのです。明治政府が全国支配を進めるためでした。

しかし農村では反発も起こりました。農村では子供は貴重な労働力だったため、学校なんてモンに時間を取られるなんて、たまったもんじゃないと。授業料や学校設立費用も取り立てられるので、やってられねーと小学校反対一揆が起こりました。

次回「岩倉米欧使節(一)アメリカ」に続きます。

解説:左大臣光永

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