岩倉米欧使節団(一)アメリカ

こんにちは。左大臣光永です。

今回のコロナ騒動が一段落すれば、全世界から中国に対して謝罪請求・賠償請求が殺到するでしょう。おそらく中国共産党は、もう持たないと思います。

中国共産党がチベットで、ウイグルで行ってきたこと、生きた人間の臓器をえぐり出すなどの蛮行を見れば、中国共産党は人類共通の敵であり、滅ぼすべき絶対悪と言えます。

しかし中国共産党が瓦解すれば一般の中国人もバブルに浮かれ、爆買とか何とか、バカ騒ぎはできなくなるでしょう。日本も、インバウンド需要などというタワ言はやめて、一刻も早く中国を見捨てるべきです。

今、京都はとても静かです。飲食店は軒並み、ガラーーンとしてます。客が入ってません。今後はインバウンドに頼り切ったボッタクリ価格をやめて、まじめで正直な商売に切り替えていくべきです。でなければ京都に先は無いと思います。

本日から三回にわたって「岩倉米欧使節団」について語ります。

明治4年(1871)から明治6年まで、岩倉具視、木戸孝允はじめ明治政府の首脳部がアメリカ・イギリスはじめ全12ヵ国を巡察しました。長く鎖国体制下にあった日本にとっては、大きなカルチャーショックとなりました。

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明治4年(1871)11月12日、米欧使節団(岩倉具視使節団)が、アメリカおよびヨーロッパ各国に向けて出発しました。

4ヶ月前に廃藩置県が終わり、国内のことがいちおう片付いたので、海外に目を向ける余裕も出てきたことによってでてした。

全権大使は岩倉具視(右大臣)、副使は木戸孝允(参議)、大久保利通(大蔵卿)、伊藤博文(工部大輔)、留学生をふくめ総勢百七名からなりました。

書記官に、後の新聞記者福地源一郎、留学生の中には後に津田塾大学を開く津田梅子、同志社大学を開く新島襄、女子教育に力を入れた山川(やまかわ)捨松(後の大山捨松)、自由民権運動の理論的指導者となった中江兆民らの姿がありました。

平均年齢32歳の精鋭たちでした。

使節団の目的は第一に不平等条約改正のための予備交渉。

安政5年(1858)に締結された修好条約の改定時期が迫っているため、これを期に領事裁判権、関税自主権が無いという不利な条件を、あらためてもらいたい。そのための下交渉を行うことが第一の目的でした。

第ニの目的は、西洋の近代的社会制度、産業技術などを視察することでした。

使節団の滞在期間は当初10ヶ月の予定でしたが、最終的には明治4年(1871)11月から明治6年(1873)9月まで一年九ヶ月間に及びました。これほど長い間、政府の主要メンバーが外遊したことは、日本の歴史上、はじめてのことでした。

留守を預かるのは西郷隆盛、三条実美、江藤新平らでした。木戸孝允は特に西郷隆盛を警戒しました。我らが外遊している間に、西郷が勝手なことをしでかすんじゃないかと。そこで、出発前に西郷や三条実美に誓約させました。

「岩倉具視・木戸孝允・大久保利通らが不在中は、廃藩置県の後始末につとめ、大きな改革は行わないこと」

しかし「廃藩置県の後始末につとめろ」「大きな改革をするな」といっても、具体性に欠けました。実際、岩倉らの外遊中に国内では征韓論紛争が起こることになります。

出発

明治4年(1871)11月10日、使節団は東京を出発。11月12日、横浜から外輪船「アメリカ号」に乗り込み、船出しました。砲台から19発の大砲が撃たれ、使節団の出発を祝しました。

この日、房総湾を出て伊豆、相模の洋上を走るにつれ夕日の下に富士の雪、箱根足柄の峰々などが緑にかすむ眺めの美しく、名残惜しく見送るかと思えば、夜も月の輝きが冴え渡り、海上の眺めはこれ以上ないものだったが、これを日本との別れとして十一時には皆、客室に入った。

『米欧回覧実記』 久米邦武編著、大久保喬樹訳註 角川ソフィア文庫

11月17日、明治天皇の大嘗祭を祝して、乗員にシャンパンが振るまわれ、岩倉具視が直垂姿で口上を述べました。

サンフランシスコ

海上24日、使節団一行は12月6日早朝、最初の訪問地サンフランシスコに入港。15発の礼砲で迎えられ、グランドホテルに荷をおろしました。

「なんという…!」

一行はホテルの豪華さに絶句します。

五階建ての石造りの建物で、120坪の食堂があり、300人が同時に食事できました。

客室は日本の八畳間くらいあり、寝床は鉄のスプリングで浮くようにしてあり、布団はやわらか。水盤があり顔を洗えるようになっており、蛇口をひねれば水が出ることも一行には新鮮な驚きでした。

翌12月7日から、一行のサンフランシスコ見学が始まります。知事・軍士官・各国領事などに挨拶し、ホテルに帰ってからも路上に集まった市民たちから歓迎されました。

12月14日夜、市民主催の300人参加のパーティーが開かれ、伊藤博文が英語でスピーチして感謝の意をあらわしました。

大陸横断鉄道

最初の滞在地サンフランシスコで二週間ほど過ごした後、一行は大陸横断鉄道に乗り込みます。使節団・留学生100人あまりが五車両に分乗して、首都ワシントンまで5000キロの道のりを一ヶ月ほどかけて行きました。

寒い季節のことで雪や霙が降りしきり、ことにシエラネバダからロッキーまでの山岳地帯は過酷でした。雪のため、二週間以上も足止めをくらいました。途中、インディアンの集落や清国からの移民の居住区があり、アメリカにおける社会格差について考えさせらることでした。

オマハからシカゴまでは今までとうってかわって、穏やかでした。シカゴの大都会っぷりに一同は目を見張ります。

ワシントン

雪で予定より遅れましたが、1872年2月29日、無事ワシントンにつきました。駅前にはアメリカ政府接待役と駐米弁務官森有礼(もり ありのり)が出迎えました。

一行はホワイトハウスでグラント大統領に謁見し、明治天皇の国書をわたしました。ついで幕末に結んだ不平等条約の改定について予備交渉を行おうとしました。領事裁判権の撤廃と、関税自主権の回復。この2つこそ日本にとって大きな課題でした。ところが、

「あなた方は天皇からの全権委任状をお持ちですか?」

「は?え、委任状…」

「全権委任状がなければ、あなた方には何の権限もありません」

「ちょ、ちょっとまってください!」

岩倉具視はすぐさま大久保利通、伊藤博文の両副使を日本に送り、天皇陛下の全権委任状を取りにやらせます。とはいえアメリカに両名がもどってくるには少なくとも20日はかかります。予定していたワシントン滞在を、大幅に延長せざるをえなくなりました。

国際社会でのルールを知らず、委任状の必要さえ知らなかった使節団。つくづく自分たちの未熟さを実感します。

「こうなったら今回は条約改正は諦めて、西欧の文物を吸収することにしぼりましょう」
「そうですとも」

大久保利通・伊藤博文が戻ってくるのを待つ間、使節団はワシントンの各地を精力的に視察しました。

ワシントン近郊アナポリスの海軍兵学校では、使節団を迎える歓迎レセプションが開かれ、300人もの男女がダンスなどをしました。それを見て一行は驚きます。

公共の場に婦人が出入りし、しかも敬意をもって遇されていることに。

日本では妻が夫に仕えているのに、欧米では夫が妻に仕えている。婦人が乗り物などに乗る時には男性は必ず譲って、婦人は遠慮なく席につく。婦人の地位の高いことは、日本とまるで違っていました。

アーリントン墓地では戦没将兵追討記念日の式典に参加し、南北戦争の故事などをきき、一行は感動をおぼえます。

ニューヨークではブロードウェーに面したホテルに宿をとり、繁華街の喧騒に驚き、ウォール街、セントラルパーク、ウェストポイントの陸軍士官学校など三日間にわたり見学。

その後ナイアガラの滝を見て、サラトガでリゾートホテルに泊まり、バーモント州の山中を抜けて、大西洋岸に南下しボストンに到着しました。

ボストンでは南北戦争終結十周年記念音楽会に招かれました。その感動をしるして、

楽団が奏する調べは流れる雲もとどめるような喨々(りょうりょう)たる響きで、万を越す合唱団が一斉に声をあわせると白雪を思わせるような美しさである。

『米欧回覧実記』 久米邦武編著、大久保喬樹訳註 角川ソフィア文庫

その後、イギリス近衛兵軍楽隊が独立戦争当時のアメリカ愛国歌を演奏すると、満場が手拍子、足拍子であわせました。書記官の久米邦武久米はつくづく感動して、記します。

どの国民にも人情の根本に愛国心がある。文明開化もそこから発する。欧米諸国ではまず自国の歴史を教えるところから教育がはじまる。そこから愛国心が養われるのだと。

6月17日、大久保利通たちが戻ってきましたが、条約改正の交渉はうまくいかず、中止となりました。6月22日、使節団一行はワシントンを後にします。

フィラデルフィアではイギリスからの独立宣言を起草した最初の連邦議会議事堂、インディペンデンス・ホール、蒸気機関車製造工場、刑務所を見学し、

ニューヨークでは聖書教会、YMCA(キリスト教青年会)を見学し、西欧社会における宗教のありかたについて、日本人の宗教観との違いについて考察しました。

ボストンでは綿糸紡績工場を訪れ、詳しく記録をとり、7月3日、一行はアメリカでの日程を終え、ボストン港でイギリス客船オリンパス号に乗り、イギリスに向けて出港しました。

礼砲が鳴り、数百人の市民が使節団を見送ってくれました。その様子をしるして、

アメリカ人は外国人に対しても家族のように接し、同国人のように親しむ。ことにボストン到着以来、五日の間、市中からも近郊からもこれまでにない厚いもてなしをうけた。

『米欧回覧実記』 久米邦武編著、大久保喬樹訳註 角川ソフィア文庫

次回「岩倉米欧使節(ニ) イギリス」に続きます。

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解説:左大臣光永