宇都宮城の戦い

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大鳥隊の進撃

慶應4年(1868)4月11日、江戸城は新政府に明け渡されました。旧幕臣の中にはこれに不満を抱く者たちがありました。彼らは江戸を脱し、新政府軍への抵抗を続けていきます。

旧幕府歩兵頭・大鳥圭介率いる伝習歩兵隊に、会津藩兵・新撰組も加わり、2000人を数えました。彼らは徳川氏の聖地である日光を目指しました。日光を拠点に、新政府軍と対決するつもりでした。

4月11日、大鳥隊は宇都宮に向けて進撃を開始。北関東の要衝・宇都宮をまずは奪い、日光への足がかりにしようと。

これに対し新政府軍は軍監・平川和太郎率いる一隊を古河(こが)方面に差し向けます。

4月16日、大鳥隊は武井付近で新政府軍と衝突。これを退けます。翌17日も新政府軍と旧幕府軍の間で二度にわたり戦いが起こりますが、いずれも旧幕府軍大鳥隊が勝利します。

小山宿を占領した大鳥隊は敵将の首をさらし高札を掲げ、「徳川の300年の恩を忘れた大逆人に、天罰が下った」としるしました。

宇都宮城攻撃

一方、秋月登之助(あきづき のぼりのすけ)・土方歳三らは下妻(しもつま)・下館(しもだて)を経て、慶應4年(1868)4月19日早朝、宇都宮城に攻撃をかけます。宇都宮城の守りは固く、土方隊にも多くの被害が出ました。

宇都宮城 富士見櫓
宇都宮城 富士見櫓

「ひいっ、もうダメだ」

「貴様、どこへ行くかーーーッ」

ずばっ

ぎゃひいい

土方は逃げようとする味方を斬り殺して、全軍を鼓舞しました。

6時間にわたる戦いの末、宇都宮城は落ちました。しかし守備兵が二の丸に火を放ったため、城下町一隊に火が回ります。秋月・土方らはいったん蓼沼(たでぬま)の陣営に引き返しました。

せっかく手に入れた宇都宮城ですが、4月23日、新政府軍の援軍が駆けつけ、奪われてしまいます。土方歳三はこの時、足指に負傷しました。

「仕方がない。宇都宮は捨てましょう」

大鳥圭介はそう判断し、日光へ撤退。後、板垣退助率いる新政府軍が今市まで進撃してきたので、大鳥は日光から会津に向かい、再起をはかります。

閏4月5日、会津国境の田島(福島県南会津町)にて会津藩山川大蔵(やまかわ おおくら)に歓迎されます。

「会津と我々が手を結べば敵なしです」
「まったくです」

などと、組織を再編成します。全軍を4つの大隊に分け、各国境に配備。新政府軍の攻撃に備えます。

また閏4月21日、5月6日の両日、旧幕府軍は宇都宮奪還を目指し今市を攻撃するも、いずれも新政府軍に撃退され、果たせませんでした。

次回「彰義隊(一)結成」に続きます。

解説:左大臣光永

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