平治の乱

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三条東殿 焼き討ち

ドカドカドカドカーーッ

平治元年(1159年)12月9日未明。

源義朝率いる一隊が院の御所三条東殿に押し寄せます。平清盛はじめ平家一門が熊野詣で都をはずしている留守を狙っての決起でした。

「なんじゃ?何事じゃ」

あわてふためく後白河上皇。三条東殿は義朝方の武士でたちまち占拠されます。

後白河上皇の御前に、義朝がかしこまります。

「上皇さま、お騒がせして申し訳ございません。
不貞の輩が上皇さまのお命を狙っております。しかしご安心を。
これより安全な場所までお連れいたします」

「無礼な…不貞とはそなたらのことであろうッ」

こうして義朝は後白河上皇を車に乗せて内裏に遷します。そして、

「火を放てッ」

ひょうひょう、どすどすっ、
メラメラメラ…

三条東殿跡あたり(現中京区 姉小路通))
三条東殿跡あたり(現中京区 姉小路通)

三条東殿焼き討ち
【三条東殿焼き討ち】

たちまち三条東殿は阿鼻叫喚の地獄絵図となります。隣接する姉小路西洞院の信西の舘にも火をかけます。逃げていく下級の役人や女房たちにも、容赦なく矢を浴びせかけました。

源頼朝はこの時13歳。父義朝とともに焼き討ちに加わっていました。

「父上、これはあまりに残酷です」
「頼朝。よく見ておけ。これが戦ぞ」

なんてやり取りもあったかもしれませんね。

ボストン美術館収蔵の『平治物語絵巻』三条殿夜討巻(さんじょうどのようちのまき)は今日にこの焼き討ちのすさまじさを伝えていきます。

信西の最期

「ひいい、殺されとうない」

この騒ぎの中、信西はほうほうのていで逃げ出します。従う者も一人去り二人去り…とうとう信西だけになってしまいました。京都南方山城国田原荘まで来た時、

「こ…ここに隠れよう」

一説によると信西は穴を掘って身を隠していたと言います。
そこへ、

「しーんぜーいさまーー!」
「ひいっ!!」

信頼方の武士が気づいて信西を掘り起し、首をはねました。自害したという説もあります。

信頼は信西の首をはねて大路にさらします。こうして藤原信頼のクーデターは成功しました。

平清盛動く

「なに!!信西殿が討たれた!?」

知らせが届いた時、清盛は熊野産経のため紀伊の田辺にいました。すぐに都に攻め上りたいところですが、その時従えていたのはわずか15騎。

「いったん九州に退いて様子を見ようか…」

清盛は躊躇します。その時、長男の重盛が、

「父上!何をおっしゃいますか!これぞ、天下の一大事!
すぐさま都に戻り、信頼と雌雄を決すべきです!!」

「わかった…重盛。そう大きな声を出すな。
お前の声は十分に聞こえておる」

なんて言ったかわかりませんが、清盛は熊野別当湛快や湯浅宗重らの協力を得て、京都を目指します。

はやる義平

『平治物語』によると、義朝の嫡子義平は、平清盛が都に戻ってくるときいて、「摂津阿倍野で迎え撃ちましょう」と主張するも、信頼が「馬を疲れさせてどうする。阿倍野まで進める必要は無い。都に取り込めてうち滅ぼせばいいのだ」と言ったため実現しなかったと書かれています。

清盛、信頼を油断させる

12月16日深夜京都に戻り六波羅の館に落ち着きます。

「ほっ。六波羅は無傷のようだ」

六波羅蜜寺
現 六波羅蜜寺

「我ら平家は信西殿とは親類関係にあったとはいえ、
別に信頼や義朝殿と敵対していたわけではありません。
それで標的にならなかったのでしょう」

「うむ。それで重盛、どうする」

「いったん信頼派に近づき、油断させるのはどうでしょう」

清盛は家人平家貞を信頼のもとに遣わし、名簿(みょうぶ)を提出します。

「我ら平家一門、信頼殿に従いまする」
「ほおっほっほ、あの清盛も俺に従うか。
嬉しくなっちゃうなあ。楽勝じゃないの」

名簿とは名前や官位を記したもので、名簿の提出は相手に全面的に従うことを意味していました。こうして清盛は信頼を油断させておいてから策を練ります。

信頼派にはクーデターを成功させた後に何をしようという絵図がありませんでした。信頼派は単に信西憎しで行動しただけなので、信西を殺した後はやることが無くなってしまいました。

信頼もせいぜい、御所で女性とたわむれる程度でした。

また方針の違いから信頼派内部ですでに分裂が起きていました。後白河上皇による院政を目指す信頼ら後白河院政派。二条天皇による親政を目指す藤原経宗・藤原惟方ら二条親政派。両者の主張は相いれないものでした。

清盛はこの後白河院政派と二条親政派の対立に目をつけ、ひそかに二条親政派と接触します。

「おお清盛殿…やはり信頼に心まで売り渡してはいませんでしたか」

「当然です。まずは主上と上皇さまをお救いしましょう」

経宗・惟方は信西憎しで挙兵に加わったものの、そもそも彼らは二条天皇親政派。対して信頼は後白河上皇院政派です。一時手を組んだといっても、本質的には経宗・惟方と信頼は敵対する立場なのです。経宗・惟方は信西打倒という目的は達成したことだし、次は清盛と組んで信頼打倒に方針を切り替えたものと思われます。

二条天皇脱出作戦

12月25日夜、計画は実行されます。藤原経宗・藤原惟方両名は二条天皇が監禁されている黒戸の御所…清涼殿の北の滝口の戸の西にある部屋に至り、声をかけます。

「主上、主上、」
「ぬ…おお!経宗、惟方も」
「お静かに。これより安全な場所へお連れいたします」
「なに助かるのか!」

藤原経宗・藤原惟方両名は二条天皇に女装させ、車に乗せてお供をします。

ガラガラガラガラ…

藻壁門から御所の外に出ようとします。門の外では義朝の郎党たちが番をしていました。その中に金子十郎家忠が声をかけます。

「何だその車は」

「さる高貴な女性が、熊野詣に行かれようとするのだ。
差し仕えあるまい」

ガラガラガラガラ…

車は金子の前を通り過ぎようとします。

その時金子が、

「待てッ」

ガラガラッ。

「どうもあやしいなあ。確かめてやる」

金子は弓で車の簾をかき上げ、松明で照らします。

中には女装した二条天皇以下、数名の女官が乗っていました。

車内をのぞきこむ金子の背後から藤原経宗が声をかけます。

「確認はできたであろう。もう通してくれぬか。
これ以上無礼を働くなら、
その方にも相応の処分が下ることになるが」

「ちっ…」

ガラガラガラガラ…

こうして金子は二条天皇の乗った車を逃してしまいました。
一方、後白河上皇は自力で仁和寺に逃亡していました。

25日深夜、二条天皇の乗った車は鴨川を越え、六波羅に入ります。

此付近平氏六波羅第跡 六波羅探題府
此付近平氏六波羅第跡 六波羅探題府

清盛の反撃

清盛は配下の武士たちを集め、号令をかけます。

「ただ今主上より
信頼追討の宣旨が下った。
これで我ら平家は官軍ぞ。
ぞんぶんに戦い、朝敵信頼を滅ぼすべし!!」

ウォーーーッ、ウォーーーッ!!

二条天皇を六波羅へ
【二条天皇を六波羅へ】

ドカドカドカドカーー

清盛率いる平家軍は信頼・義朝のたてこもる内裏に押し寄せます。

一方、信頼は二条天皇と後白河上皇がいなくなったこと気づき、大騒ぎしていました。

「なんということ!あれほど監視を命じておいたのに!!」

「その監視役が…主上を連れ出したのです」

「むぎいいいいぃぃぃ」

とにかく敵の襲撃に備えて、信頼以下、甲冑をまといます。そうこうしている内に清盛率いる平家軍が押し寄せ、内裏を取り囲んで鬨の声を上げます。

ワーーーッ、ワーーーッ

「こ…こ…これが戦…」

はじめて体験する戦の圧倒的な迫力に、信頼は真っ青になってしまいました。

平家方、御所を取り囲む
【平家方、御所を取り囲む】

「信頼さま、そろそろ御馬にお乗りになりませんと」
「はっ…馬?」

信頼は馬に乗ろうとするも、気が動転していてサッパリ乗れませんでした。その間にも、

ワーーーッ、ワーーーッ

鬨の声は大きくなっていきます。家臣の者に馬の背に押し上げてもらうも足をすべらせて、

「ぎゃああ」

地面に投げ出されます。顔は鼻血と砂まみれになり、見るもぶざまでした。義朝は信頼の醜態を見て、吐き捨てるように言いました。

「日比(ひごろ)は大将とて恐れけるが、
あの信頼といふ不覚仁は、臆したるな」

六条河原の戦い

源義朝が、平家軍を迎えて討って出ます。

「我こそは左馬頭義朝なりーーッ」

キン、カン、ズバア!

さすがに戦慣れした源氏の棟梁だけあって、鬼神のごとき戦いぶり。平家軍は苦戦を強いられます。

清盛が長男重盛に言います。

「義朝殿とまともにやり合うのは愚の極み」

「私も父上に同意です。それに、
このまま戦えば内裏が燃えてしまいます。
少しずつ退却するふりをして、敵をおびき出しましょう」

こうして平家方は後退を始めます。

平家方、一時撤退
【平家方、一時撤退】

「退け、退けーーッ」

「よし、敵は弱っているぞ。一気に斬りこめーーッ」

退く平家方。押す源氏方。

しかし、信頼が賊軍になったことを知り信頼・源氏方からは脱落者が多く出ました。

「この戦いに正義は無い」
「朝敵になるのはゴメンだ」

六条河原に至る頃には源氏方は十数騎にまで減っていました。

六条河原
六条河原

六条河原の戦い
【六条河原の戦い】

「ここにて討死せん」

ドカドカドカ

駆けだそうとする源義朝を部下が引きとどめます。

「なりません!御屋形さまが討たれてしまっては
われら源氏の将来はどうなりますか。
生きて、東国で再起をはかりましょう」

「くっ…東国での再起。そうだな。
命は無駄にすべきではない」

義朝に見捨てられる信頼

義朝一行が八瀬の松原(比叡山の西麓)に至った時、背後から呼びかける声がありました。

源義朝 敗走ルート1
源義朝 敗走ルート1

「おおーい、おおーい」
「ぬ?」

振り返ると、とっくにどこかに行ったと思っていた信頼が、五十騎ほどひきつれて必死になって追いかけてきます。

「はあ。はあ。その方、ひどいじゃないか。
逃げる時は、私も連れていくと言ったじゃないか。
今になって心変わりをしたのか!」

そして信頼は堰を切ったように恨み言をまくし立てます。

義朝はムカムカしてきました。

「黙れッ。この日本一の不覚人がッ」

ピシィィーーーッ!!

「ぎゃひいいい」

義朝はいきなり鞭を振り上げ、信頼の頬をしたたかに打ちました。

「な、な、なにをするか下郎の分際でーーッ。
我を誰と思うてか。わ、我は、藤原北家の、この血筋は、
ふ、古くは、ふ、房前公につながり」

「だったら、
そのありがた~い血筋に助けてもらえ!!」

ビシィィィーーー!!
「ぎゃああああ!!」

血をほとばしらせて吹き飛ぶ信頼。
そこで信頼配下の者が義朝をとがめます。

「やめろ!もとはと言えば、お前が戦に負けたせいじゃないか!」

「なんだとこの野郎!!踏み殺してやる!!」

いきり立つ義朝を配下の者が止めます。

「こんな者どもを殺して何になるのです!
ぐずぐずしていると平家軍に追いつかれますぞ!」

そこで義朝も冷静さを取り戻し、先を急ぐことにしました。

信頼の最期

義朝に見捨てられた信頼は、仕方なく京都に戻ってきました。そして後白河上皇を頼って仁和寺を訪ねます。

途中、僧兵たちに身ぐるみはがされ、必死の思いで仁和寺にたどりついた時には全身ボロボロで白衣のみまとっていました。

「うおおおぉぉぉぉおおおん上皇さまぁぁぁあ!
なぜ私がこんな目にいいいいぃぃぃぃぃ」

「おお、おお…信頼…なんと哀れな」

寵愛していた信頼のあわれな様を見て、後白河上皇は涙を流しました。後白河上皇はわが子二条天皇に申し入れます。

「どうか、信頼への処置、寛大に頼む」

しかし、無駄でした。信頼は六条河原で斬首されました。

義朝の息子たち

バカラッ、バラカッ、バカラッ

平家の追跡をのがれた義朝一行は、片田の浦(滋賀県堅田)から琵琶湖を渡ろうとしますが風が強いため出航してくれる舟が見つかりませんでした。

源義朝 敗走ルート1
源義朝 敗走ルート1

義朝一行は仕方なく坂本から大津を経て瀬田に至ります。「ここからは敵に見つからないように分かれよう」こうして義朝は長男義平、次男朝長・三男頼朝以下数騎となって東国へ落ち延びていきました。


途中、何度も落ち武者狩りにあいます。三男頼朝は疲れ果てて馬の上で寝ていたところ一行とはぐれてしまい、関ヶ原をさまよっている所で平宗清に捕えられます。

次男朝長は落ち武者狩りで受けた傷がもとで亡くなります。

長男義平は別行動を取り北陸道を目指しましたが、ふたたび京へ戻り清盛暗殺を試みます。しかし失敗して六条河原で斬首されました。

義朝の最期

義朝はどうにか尾張国知多まで逃げ延び、代々の家人長田忠致(おさだただむね)の屋敷に入ります。

源義朝 敗走ルート2
源義朝 敗走ルート2"

「ようやく安心できる。忠致、この恩は忘れぬぞ」
「御屋形さま、もったいない…。御用があれば何なりとおっしゃってください」

その夜、長田忠致はひそかに息子景致を呼び、言いました。

「もはや義朝公が平家の追跡を振り切ることは不可能。
ならば我らの手で義朝公を打ち、清盛公から恩賞をいただこう」

「父上…主を裏切るのですか」

「裏切りではない!裏切りではないが…生き延びるには、
こうするしか無いではないか」
「……」

「合戦でお疲れでしょう。ゆっくり湯あみしてください」
「おお…生き返るようだ」

長田忠致は義朝に風呂をすすめます。そして湯から上がってきた所を、

「きえええーーーっ」

とびかかってきた長田忠致の家人橘七五郎に羽交い絞めにされます。

「ぬっ、おのれ、謀ったなーーッ」

義朝はとっさに橘七五郎を組み伏せますが、続いて飛び掛かってきた二人によって、

スプッ、スプッ、スプッ、スプッ、

左右から脇の下をメッタ刺しに刺されます。

「我に木太刀の一本なりともあれば…」

こうして義朝は息絶えました。平治二年(1160年)正月三日のことでした。

「我に木立の一本なりともあれば…」

義朝は最後にそう言ったと伝えられます。そのため義朝の墓のある知多半島の野間大坊(のまだいぼう)では、今日なお、木立の奉納が絶えません。

戦後の論功行賞により、清盛は正三位に叙せられ、ついで参議に列しました。重盛は伊予守に、頼盛は尾張守に、教盛は越中守、経盛は伊賀守となりました。

つづき「平清盛 太政大臣に至る

解説:左大臣光永

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