三代家光(五)春日局
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疱瘡にかかる
寛永6年(1629)2月末頃から、家光は体調を悪くします。顔じゅうにあばたが出来て、食事も取れないほどでした。
父秀忠は、たびたび本丸を訪れ家光を見舞います。
「家光、どうだ調子は…」
「父上…すぐれません」
見るからに悲惨なありさまでした。
家光が病の間、朝廷からは見舞いの勅使が派遣され、各地の大名からも見舞いの使者が訪れ、京都の寺寺では病気平癒の祈願が行われました。
「上様、上様…ああ、お痛ましや」
「福、そう悲しむでない」
「いいえ。これが悲しまずにおれましょうか。
ああ東照大権現さま!
もし上様の病が治るなら、私は一生、病にかかったとて
薬は飲まぬと誓いましょう」
福はこの誓いを生涯守り、後年病にかかった年、ガンとして薬を飲まなかった。家光が薬をすすめても、あの時の誓いがありますからと、薬を流して捨てた。そのために亡くなったという話もあります。
また家光が病に臥せっているとその夢の中に
「家光、家光」
「はてそこなるは」
「よーく見よ。この顔に見覚えがあろう」
「はっ…もしや、お祖父様…!いや、東照大権現さまではありませぬか!」
家光は夢の中で家康を拝み奉り、それからすぐ回復したという話もあります。
お福や家康の話がほんとかどうかわかりませんが、とにかく家光の病状はじょじょに回復していきました。4月にはすっかり元の生活ができるようになりました。
「ありがたいことよ。これも東照大権現様のおかげじゃ」
そこで家光は家臣を率いて日光に参詣し、返す返す病平癒を感謝した後、江戸に戻ってきました。
春日局
家光が病の間、乳母の福は病平癒のために伊勢神宮へ、山城国愛宕神社に参拝しました。福はその折りに、後水尾天皇に拝謁しています。一介の乳母にすぎない女性が天皇に拝謁するなど、本来できるはずもないのですが、伝奏(てんそう。天皇・上皇への報告役)の三条西実条(さねえだ)の妹ということにして、拝謁がかないました。
この時、お福は後水尾天皇より酒を賜り、「春日局」の号を賜りました。これは公家たちにとって屈辱であり驚愕すべきことでした。福は幕府においてはそれなりの影響力がある女性でしたが、まったくの無位無官。要するに一使用人に過ぎません。それが、よりにもよって天皇に謁見を申し出るなどと。官位にうるさい公家や朝廷には、受け入れがたい屈辱でした。
春日局の墓(東京都文京区 麟祥院)
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