杉田玄白(三) 『ターヘル・アナトミア』

『ターヘル・アナトミア』

明和8年(1771)春のある日、杉田玄白は友人中川淳庵が持ち込んだ書物に見入っていました。一ページ一ページ丁寧にめくっては、食い入るように見入ります。文字は一文字もわかりません。しかし。そこに描かれた精密な人体画は、これが実際の腑分けをもとに描かれたことを雄弁に語っていました。

書物の名は『ターヘル・アナトミア』および『カスパリュス・アナトミア』。中川淳庵がオランダ通詞の定宿・長崎屋に通っていた所、ここにオランダから持ち込んだ二冊の医学書がある。ほしい人には譲るというので、ひとまず借りてきたものでした。

杉田玄白はすぐに小浜藩に事情を説明し、これは将来有用な書物だからと説得し、藩の経費で『ターヘル・アナトミア』『カスパリュス・アナトミア』を購入することができました。

初腑分け

明和8年(1771)3月3日の暮れ方、町奉行家臣・得能某のもとから、杉田玄白に一通の書状が届きます。明日、千住骨(こつ)ケ原(=小塚原刑場)で罪人の腑分けをやるから、ご希望であらば来られよと。

かねてから玄白が出していた希望が通ったのでした。玄白は胸を高鳴らせます。いよいよ実地で観察できるのだ。オランダ医学と、漢方と、どちらが正しいのか?この目で確かめることができるのだと。

しかしこの幸いを、独り占めにするのは忍びない。玄白はその夜のうちに中川淳庵、前野良沢らに手紙を出し、腑分けに立ち会おうと誘いました。

明けて3月4日。あいにくの雨でしたが、浅草三谷町出口の茶屋に行ってみるとすでに集まっていました。

前野良沢は杉田玄白より10歳年上で、以前は一緒に長崎屋に行ったりもしましたが、この頃はオランダ語に対する熱意の違いからか、疎遠になっていたようです。それでも、杉田玄白は前野良沢に声をかけました。茶屋で朝茶も一段落した頃、前野良沢が懐から一冊の書物を取り出します。

「これが何かわかりますかな」

「これは…アッ!」

杉田玄白は驚きました。それは『ターヘル・アナトミア』つい先日、苦労して小浜藩から買い入れてもらった、あの『ターヘル・アナトミア』のまったく同じものでした。

きくと、長崎遊学中に前野良沢がオランダ通詞の斡旋を受けて手に入れたということです。一同は不思議な運命を感じずにはいられませんでした。

そこで前野良沢は『ターヘル・アナトミア』を開き、長崎遊学中にちょっと学んだのですと言って、これはロング=肺。これはハルト=心臓。これはマーグ=胃…

杉田玄白・中川淳庵らは、あっけに取られて聞き入りました。それにしても『ターヘル・アナトミア』の解剖図は、古くから馴染んできた五臓六腑の形とまるでかけ離れていました。やはり実物を見るまでは信じられませでんした。

いよいよ茶屋を後に、骨ケ原刑場に行ってみると、この日執刀するはずだった医師は病気のため、90歳にもなるその祖父が執刀することになっていました。

死体は、50歳くらいの老婆で、青茶婆という渾名のある大罪人でした。

腑分けが始まります。

刀を入れ、胸を切り開き、やがて臓器を一つ一つ取り出しては、これはなに、これはなに…簡単なコメントだけで腑分けは粛々と行われました。

そして彼らが初めて生で見る人間の臓器は…、『ターヘル・アナトミア』にある臓器図と、完全に一致していました。

すっかり腑分けが終わった後、野ざらしになった骨を拾って『ターヘル・アナトミア』と照合すると、やはり寸分たがわず、あってました。

立志

帰り道。

杉田玄白・前野良沢・中川淳庵の三人は興奮して語り合いました。

「すごい…!我々は今まで医者でございといって主君に仕えてきたが…人体の真の姿も知らずして、よくもやってこれたものだ」

「やはり医学というものは、実物を見て、基礎から積み上げていかないとダメですな」

そこで杉田玄白が提案します。

「いかがでしょう。『ターヘル・アナトミア』をまるごと翻訳できれば、人体の構造もわかり、今日の医療にも大いに役立ちますよ」

すると前野良沢は、

「私もかねてからオランダ語の書物を読みたいと思っていました。しかし志を同じくする友がいないことを常々嘆いていたのです。皆さんがお望みなら、私は前年長崎へ行き、蘭語も少々は記憶していますので、それを手がかりにご一緒に読んでいきませんか」

「異議なし!」

「では我ら三人は同志ですな」

前野良沢は満悦の様子で、

「善は急げと申します。明日から、私の家でやりましょう」

そう言ってその日は別れました。

翻訳事業の始まり

明和8年(1771)3月5日。骨ケ原刑場で腑分けを見学した翌日。杉田玄白・前野良沢・中川淳庵は、築地鉄砲洲にある豊前中津藩邸内の前野良沢の宿所に集まります。

この場所は現在、聖路可(ろか)国際病院の敷地内になっており、「蘭学創始の記念碑」が立っています。

一同は『ターヘル・アナトミア』を机の上に置きました。置いたが、さあどうしていいやらサッパリわからない。後年杉田玄白は『蘭学事始』の中で『ターヘル・アナトミア』に向かった時の実感をのべて、

誠に艫舵なき船の大海に乗り出せしか如く、茫洋として寄るべきかたなく、ただあきれにあきれて居たるまでなり。

何しろ、当時江戸にオランダ語のできる者はまったくいなかったのです。まず習うべき師がありませんでした。辞書もありませんでした。

時に前野良沢49歳。杉田玄白39歳。中川淳庵33歳。

前野良沢は最年長である上、前年長崎に遊学しており多少のオランダ語を記憶していましたので、この翻訳事業の盟主となりました。杉田玄白らはオランダ語のアルファベット26文字の勉強からはじめます。

翻訳の苦労

それにしても、どこから手につけていいか、サッパリわかりませんでした。しばらく彼らは呆然とするばかりでした。いろいろ試行錯誤した結果、彼らはこういう方針を取ることにしました。

『ターヘル・アナトミア』の冒頭に、男女の全身図がある。そこにいちいちアルファベットや数字が記してある。

これは体の各部位と、それを説明したページ数を示しているに違いない。体の各部位の日本語名はわかる。だから、たとえば「耳」に相当する説明箇所を開いて、その中に耳の機能と説明に関する説明のうち、なんとかわかる単語を探す、というやり方でした。

まさに手探りです。

しかも「わかる単語」といってもせいぜい名詞がわかるだけで、定冠詞・不定冠詞や動詞の活用については、その規則すらわかっていませんでした。それでも、彼らは手探りでやりました。

たとえば「眉」のページを開く。「眉は目の上に生えている毛である」この一文をさまざまに推理して試行錯誤しながら、ようやく訳した頃には春の一日が暮れていたというありさまでした。

また、「鼻」のページを開くと、「フルヘツヘンドしたものである」とある。このフルヘツヘンドという単語がわからない。辞書が無いから調べようが無いのです。

そこで前野良沢が長崎で買ってきた本から「フルヘツヘンド」という単語を探す。すると、「木の枝を断ち切ればその跡がフルヘツヘンドする」とあり、「庭を掃除すればその塵が集まってフルヘツヘンドする」とある。

「うーん…どういう意味なんだ?」

「木の枝を断ち切ればその跡フルヘツヘンド、庭を掃除すればその塵が集まってフルヘツヘンド…」

それぞれ智恵をしぼっていろいろこじつけて考える。そのうちに杉田玄白が、

「あっ!木の枝を断ち切れば、その切り跡が盛り上がる。庭を掃除して塵が集まればこれも盛り上がる。鼻がフルヘツヘンドしたものであるというのは…」

「なるほど!鼻は顔の中で盛り上がった部位である、という意味か!」

「ああ!なるほどそれです!フルヘツヘンド=盛り上がっている!やりましたよ!我々の辞書に、一つ単語が増えました!」

杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らは大喜びで、笑いあいました。その時の嬉しさを「何にたとへんかたもなし」と後年杉田玄白は回想しています。

全編、この調子で訳していったようです。

しかし鼻だの耳だの形のあるものは割とわかりやすいのですが、抽象的な言葉や形容詞はお手上げでした。

Zinnne(精神)という言葉が何度も出てくるが、これにはほとほと困り果てました。

さまざまにこじつけ、ああでもない、こうでもないと議論を尽くす。それでもわからない時は、とりあえず保留にして、○に十文字を書いておきました。彼らはこれを「轡十文字」と名付けました。

あれこれ議論してもわからない時は、あれも轡十文字、これも轡十文字と、轡十文字だらけになります。

また、訳そうにもそれに対応する日本語そのものが無い場合があります。そんな時は言葉そのものを作りました。たとえばオランダ語のkraakbeenは骨のうち軟らかいもののことで、kraakはネズミが器を噛むようなカリカリという音をさすと。しかしこれに対応する日本語が存在しないので、「軟骨」という言葉を作り出しました。

翻訳の会は月に6-7回持たれます。それぞれ主君に仕える本業のある身で、それだけの時間を工面するのは大変だったでしょう。しかも翻訳事業と並行してオランダ語そのものの勉強も進めていきました。

解説:左大臣光永