絵島生島事件
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絵島生島事件
九代家継の時代の有名な出来事として、「絵島生島(えじま・いくしま)事件」があります。
将軍家継の母・月光院に仕える大奥年寄・絵島(えじま)という女性がいました。大奥年寄とは大奥に仕える女性の中で中ボス的な、まあえらい立場のことです。
正徳4年(1714)絵島は下女を従えて月光院の代理として増上寺で前将軍家宣廟に参詣しました。
帰り道。絵島一行は江戸芝居四座(しざ)の一つ・木挽町の山村座で歌舞伎見物をしました。当時美男で人気をはくしていたのが生島(いくしま)新五郎です。ああ…いいわねえ。ほれぼれしちゃうと、生島新五郎の芝居に見入る、絵島はじめ大奥の侍女たち。芝居の後、生島新五郎を囲んで桟敷で宴会となりました。
「お前さん、ほんといい男だねえ。さすが役者。肌から違うもの。でも私は、もっと素のあんたも見てみたいよ…」
「そんな、姐さんよしてください。大奥の年寄と、変なことにでもなったりなんかしたって噂になったりなんかしたら、事ですからね…」
「あら?変なことってどんなこと?こんなこと?」
「あっ、あっ、姐さん…」
そんな場面があったか、なかったか…たぶん無かったと思うんですが、後日「あった」として報告されちゃうんですね。とにかく絵島一行は盛り上がりすぎたために、すっかり遅くなり、大奥の門限に遅刻してしまいます。
すると後日、
「絵島は役者の生島と密通しました。とんでもないことです」
そんなことを言われるハメになりました。
結果、絵島は信濃高遠藩へ島流しとなり27年間幽閉された挙句、死にました。役者の生島と山村座の座元・山村長太夫も流され、山村座は取り潰しとなりました。絵島づきの侍女はすべて大奥を追放されました。絵島の兄は斬首されました。関係者1500人あまりが処罰される大事件となりました。
後には江島が大奥に生島を招き入れて情事に及んだ、などという話もまことしやかに囁かれましたが、絵島と生島が男女の関係を持ったという証拠は何一つ挙がっていません。
事件の裏には大奥における女の争いがあったようです。当時権勢を握っていたのが将軍家継の母・月光院です。月光院派としては側用人の間部詮房や儒者の新井白石が実権を握っていました。
絵島生島事件
一方、前将軍・徳川家宣の正室である天英院もいまだ大奥で権力を握っていました。天英院はじめ譜代の家臣たちは、日に日に勢いをのばす月光院派を歯がゆく思っていたと。
そこで月光院つきの絵島が芝居見物で大奥の門限に遅れたのをこれ幸いと、密通事件をでっち上げた…という説もありますが、真相はわかりません。
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