近江屋事件 坂本龍馬の最期

関東大震災(20分)

伊藤博文暗殺事件(9分)

韓国併合(32分)

清少納言と紫式部(15分)

「歴史とは何か?」(15分)

こんにちは。左大臣光永です。

残暑キビシイ折ですが、いかがお過ごしでしょうか?

私は10日ぶりに実家の熊本から京都に戻ったら、町並みの美しさに感動しました。整然と整えられた道路。夜がつややかに照り輝いていること。なにげない路地の一筋一筋が絵になること。ああ京都はすばらしい。さすが桓武天皇が開いた王城の地と、うれしくなりました。

本日は「近江屋事件」について語ります。

慶応3年(1867)11月15日午後8時すぎ、京都河原町の近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が襲撃され、後日、命を落としました。大政奉還の偉業を成し遂げてから、わずか1ヶ月後の出来事でした。

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潜伏する坂本龍馬

慶応2年(1866)正月23日の寺田屋事件で、坂本龍馬は幕府捕り方の一人を射殺し、逃亡しました。そのため龍馬は殺人犯として指名手配されていました。

土佐稲荷 坂本龍馬像
土佐稲荷 坂本龍馬像

京都守護職松平容保は、見廻組に坂本龍馬の逮捕を命じました。抵抗した場合は殺害もやむなしとしました。

その後大政奉還がなったため、坂本龍馬の逮捕は見送りとなりました。しかし逮捕見送りの知らせが届く前に見廻組は動き出しました。

坂本龍馬は海援隊京都本部を、木屋町通の材木商「酢屋」の二階に置いていました。しかし幕府の監視が強くなっているため、いつまでも酢屋にいるわけにいきませんでした。

龍馬は酢屋を出て、土佐藩御用達の醤油商、河原町三条下ル蛸薬師角の近江屋の二階に潜伏しました。いざという時には裏手の稱名寺(しょうみょうじ)の墓地に逃げ出せるようハシゴをかけていたともいいます。

「にしても、ヒマじゃのう…」

龍馬はジッとしていられないタチです。近江屋にたびたび客人を迎えました。

「坂本さん、いいものを持ってきましたよ」

勤王家で絵師の板倉槐堂(いたくら かいどう)が取り出したのは、梅椿図でした。

「ほう、こりゃあ、あんたが描いたんか。たいしたもんじゃのう!」

龍馬は大喜びで、二階の床の間にを飾りました。

襲撃前

慶応3年(1867)11月15日夕刻。

坂本龍馬は近江屋二階の八畳間にいました。龍馬は二日前から風邪気味でした。越前への旅から戻ってくるや、冷たい比叡下ろしに吹かれたため、南国育ちの龍馬にはこたえたのかもしません。

午後6時頃、中岡慎太郎が訪ねてきます。ついで7時頃、貸本屋の倅の峰吉、やや遅れて土佐藩下横目(したよこめ。身分の低い警察官)の岡本健三郎が訪ねてきます。龍馬の下僕の藤吉(とうきち)が、隣の部屋に控えていました。

おぼろ月が出て、氷雨が降っていました。

話が終わり、岡本健三郎が峰吉とともに帰ろうとすると、坂本龍馬が峰吉を呼びとめます。

「腹が減った。軍鶏を買うてきてくれ。どうです、岡本さんもご一緒に」

「私は、他に用がございます」

「ははあ、女の元にでも行くんでしょう」

坂本龍馬はそう言って岡本を冷やかしながら、岡本と峰吉を見送りました。

峰吉は四条小橋の「鳥新(とりしん)」まで行って、軍鶏を求めますが、切らしていたので、店の手代が九条あたりまで取りに行きました。峰吉は軍鶏がとどくまで「鳥新」で待つことにしました。

(ただし岡本と峰吉は別室に移っただけで近江屋二階にいたという説もあります)

刺客来たる

午後8時すぎ、階下から声がしました。

「たのもう」

「ん?誰でしょうこんな時間に」

龍馬の下僕、藤吉が部屋を出て、とんとんとんと階下におりていきます。

部屋には坂本龍馬と中岡慎太郎の二人が残されました。

藤吉が玄関口まで出ると、

「坂本先生に、火急にお目にかかりたい。我々は十津川郷士である」

「はい。ただいま」

十津川郷士には龍馬の知り合いが多かったため藤吉はすっかり信用しました。開けてみると、7人ばかりいました。

先頭に立ったリーダー格の男が、札名刺を差し出しました。

「どうぞこちらへ」

藤吉は二階にのぼっていきます。その後に男たちが続きます。

藤吉は坂本と中岡のいる八畳間に入り、

「お客様です。十津川郷士と言ってます」

「誰じゃ…とにかく通してくれ」

「はい」

藤吉が部屋から出たところ、

ざんッ

「ぐはっ…」

どさっ。

いきなり斬られました。

その物音に、坂本龍馬は、宿の者が騒いでいるのだと思い、

「ホタエナ(騒ぐな)」と、怒鳴ったといいます。

襲撃

二人の男が部屋に入ってきました。

「ややっ、坂本さん、お久しぶりです」

「…?はて、どなたじゃったか」

「いやですね坂本さん、我らをお忘れですか」

一人は松代藩士某、一人は十津川藩士某を名乗り、札名刺を差し出しました。

「…?」

龍馬と中岡が名札を覗き込んだ、そのスキを見逃さず二人は、

じゃきん、じゃきん、

いっせいに抜刀。

一人が抜き放った、その切っ先が龍馬の額をすぱっと切り飛び散った鮮血が、

ぴぴっ、

板倉槐堂(いたくら かいどう)の描いた掛け軸の上に走り、

(この掛軸は現在、京都国立博物館に所蔵されています)

ああっ!

龍馬は気が動転して、懐の鉄砲のことも忘れ、床の間の刀に右手を延ばす。その後ろからニ太刀目が、

ずばあ

右肩から背中まで、大袈裟に叩き込まれる。龍馬は必死に刀を取り、抜こうとするも、敵は三太刀目を振り下ろし、龍馬は鞘のままガチンと受け止めた。しかし、力まかせに押し通され、ずばっと、額を深々と割られました。

「慎の字、刀は無いか」

しかし中岡慎太郎も突然の襲撃に気が動転しており、屏風の後ろの刀を取ることも出来ず、腰の短刀を抜いて応戦。もう一人の敵を払い斬るも、頭を斬られたのをはじめ、全身に11箇所の傷を負いました。

敵は龍馬の足に斬りつけ、動かないのを確認すると、「もうよい」と言って立ち去りました。

後には血まみれの龍馬と中岡が残されました。

龍馬は刀を杖とつき、行灯のところまで這っていき、刀を抜いて行灯の光に当て、「残念じゃ。なぜこの刀で敵を斬らなかったんじゃ…。慎の字、手は利くか」中岡は「手は利かぬ」

龍馬はよろめきながら隣の六畳の手すりまで行ってよりかかり、

「医者をよべ」

と近江屋主人・井口新助に呼びかけるも、返事はない。

「わしは脳をやられた。もうダメじゃ…」

倒れる龍馬。

中岡慎太郎は明かり障子から物干し台に出て、主人をよぶも、やはり返事はない。

近江屋主人・井口新助は敵が去るのを待って、妻子を残したまま裏木戸から表に出て、土佐藩邸に駆け込み、事の次第を告げていました。

すぐに土佐藩士や海援隊隊士が近江屋へ大勢やってきます。しかし龍馬はすでに虫の息でした。中岡は救出され、襲撃のようすを語りました。

龍馬は翌11月16日に亡くなりました(15日説も)。享年33。くしくも11月15日は、龍馬の誕生日でした。中岡慎太郎と藤吉は翌17日に亡くなりました。中岡慎太郎享年30。

暗殺は新選組のしわざと噂されました。

坂本龍馬暗殺のひと月前に新選組から分離した伊藤甲子太郎が中岡慎太郎をたずねて「新選組や見廻組が坂本さんを狙っています」と忠告しています。

このことからも新選組への疑いが高まりました。しかし結局のところ証拠は何もなく、「新選組はたくさん殺しているから、坂本龍馬も殺したに違いない」という単なる印象論です。

そのほか、薩摩藩説、土佐藩説、岩倉具視説、御陵衛士説などさまざまな説が出ましたが、佐々木只三郎率いる見廻り組のしわざというのが現在では定説になっています。

見廻組は幕府の命令のもと、殺人犯坂本龍馬を逮捕に向かった。しかし抵抗されたので、やむなく殺害したと。龍馬だけを殺したのであれば、それは命令の下に行った公務であり、やましいことは無かったはずですが、行きがかり上、何の罪もない中岡慎太郎を殺したことにより、見廻組では発表を控えたようです。

次回「ええじゃないかと幕末の新興宗教」に続きます。

告知

京都講演のお知らせ~歴史人物講座「行基と鑑真」
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8/24(土)開催。京都で学ぶ歴史人物講座。今回は奈良時代を代表する僧侶・仏教者である「行基」と「鑑真」について語ります。

新選組 結成篇・激闘編
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上巻「結成篇」は近藤勇・土方歳三・沖田総司らの少年時代から始まり、試衛館道場時代、そして浪士組募集に応じての上洛した壬生浪士組がやがて新選組となる中で、八月十八日の政変。初代局長芹沢鴨の暗殺といった事件を経て池田屋事に至るまでを語ります。

下巻「激闘編」は禁門の変から第一次・第二次長州征伐から大政奉還へと時代が大きく動く中、新選組内部では山南敬助の処刑、伊東甲子太郎一派との対立、鳥羽伏見の戦いと続き、新選組は江戸へ下り、甲州勝沼、下総流山の戦いと転戦するも、ついに近藤勇が板橋で捕らえられ、処刑されるまでを語ります。

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解説:左大臣光永