応天門の変

ゴオオオーー、ゴオオオオオーー…

「おお~…よく燃えるなあ」
「恐ろしい。放火かしら?」
「大変なことですわねえ」

平安神宮に再現された応天門
平安神宮に再現された応天門

平安神宮に再現された応天門
平安神宮に再現された応天門

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貞観8年(866年)閏3月10日夜、朝堂院の南の応天門が炎上します。すぐさま犯人の捜査が行われます。そこへ、右大臣藤原良相(ふじわらのよしみ)と大納言伴善男(とものよしお)の両名が訴えてきました。

「犯人はわかっています!左大臣源信(みなもとのまこと)です。
即刻、源信をつかまえてください」

右大臣藤原良相・大納言伴義男の両名は参議藤原基経に源信のことを訴えます。基経は養父である太政大臣藤原良房にこれを知らせます。太政大臣藤原良房はしかし慎重でした。

「さしたる証拠も無いのに簡単に捕縛するわけにはいかぬ…」

藤原良房が捜査を行わせていたところ、今度は大宅鷹取(おおやけのたかとり)が訴えてきます。

「犯人は伴善男です。
最初に訴えてきた伴善男こそ真犯人なんです!!」

捜査するほうは、困ってしまいます。

「うーむ…どっちの言っていることが本当なんだ?」

ここで事件が起こります。

捜査が行われている最中、告発された伴善男の従者、生江恒山(いくえのつねやま)、伴清縄(とものきよただ)の二人が、告発した大宅鷹取の娘に襲い掛かります。

「われらの主人を密告するとは」
「思い知らせてやる!」

「きゃああああ!!」

こうして、大宅鷹取の娘の娘は無残な姿で殺されてしまいました。

生江恒山・伴清縄の二人はすぐに逮捕され、これにより伴善男に対する疑いはいよいよ深まりました。

「白状せい。主人の伴善男が犯人なのだろう」
「応天門を燃やしたのは伴善男なのだな?」

「ううう…」

厳しい尋問の末、二人はついに自白します。

「その通りでございます。応天門に放火したのは
主人の伴善男と、その息子の中庸(なかつね)です」

「動機は?」

「政敵の源信に罪をなすりつけて、
失脚させることでした…」

「やはりな…」

すぐに伴善男の館に捕縛の役人が押し寄せます。

「伴善男。観念せい。すでに自白は取れておる」

「くっ…。はめられた…」

ガックリと肩を落とす伴善男。

9月22日、伴善男・中庸父子は大逆罪に問われるも罪一等を減じて善男は伊豆へ中庸は隠岐島へ遠流、紀夏井ら関係者8人も配流の処分を受けます。善男の有していた土地や家屋もすべて没収されました。

2年後の貞観10年(868年)、善男は配所伊豆で失意のうちに亡くなりました。この事件によって古来の名族大伴氏と紀氏の勢力は没落しました。

最初に告発してきた者が実は犯人だったという事件の概要ですが、犯人が伴善男ということには疑問が持たれています。

この事件で一番得をしたのは藤原良房です。藤原氏の有力な競争相手であった大伴氏・紀氏を排除し、事件後、清和天皇の摂政に就任。姪の高子(たかいこ)を清和天皇に入内させ、また嗣子(跡取り)の基経を中納言に特進させています。

この結果から見るに、すべて競争相手の排除をもくろむ藤原良房が仕組んだことと見れなくもないですが…真相は今日に至るまで不明です。

「伴大納言絵詞(ばんだいなごんえことば)」は応天門の変を題材に平安時代後期に描かれた絵巻物です。

「宇治拾遺物語」114「伴大納言応天門を焼く事」と内容がほぼ重なります。

次回「藤原基経 関白太政大臣に就任」に続きます。

解説:左大臣光永

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