七尾城の戦い

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織田信長 北陸制覇に乗り出す

天正3年(1575年)8月、

織田信長は越前一向一揆衆を殲滅すると、
柴田勝家を北陸方面軍総司令官に命じ、
加賀へ、そして越中へ侵攻させます。

これにより、それまで信長と同盟関係にあった
上杉謙信との間に対立が生じます。

上杉謙信 石山本願寺と和睦

「人が、人にやれることでは無い!!」

数万人ともいわれる一向宗門徒を虐殺した信長に、
上杉謙信は怒りと、脅威を感じていました。

翌 天正4年(1576年)、

上杉謙信は、反信長包囲網の形成をもくろむ
将軍・足利義昭の仲介で石山本願寺の顕如と和睦します。

「今、信長という脅威を前に、
過去の恨みにこだわり、いがみあっている場合でしょうか。
ここは手を取り合い、ともに信長と戦いましょう」

「謙信公!」

謙信と石山本願寺との間には
長い争いの歴史がありました。

謙信の祖父長尾能景(ながおよしかげ)は
一向一揆を討つため越中に侵攻しましたが、
越中守護代・神保慶宗(じんぼうよしむね)の裏切りにより
般若野で討たれています。

また謙信の父為景(ためかげ)も一向一揆には
さんざん手を焼かされてきました。

謙信と石山本願寺との間には、
争いの歴史があったのです。

しかし、過去は過去として
手を取り合い、信長の脅威に備えようということで、

謙信と石山本願寺の同盟がなりました。

能登 七尾城

能登の七尾城。

七尾湾に臨む山頂にあり、
七つの尾根にわたって城を築いたので
「七尾城」といい、。日本五大山城の一つに数えられます。

応永年間、畠山満則(はたけやまみつのり)によって築かれ、
以来180年間、能登畠山家の居城として機能してきました。

能登畠山家 信長につく

しかし、信長の時代には能登畠山家は
乱れに乱れていました。

永禄9年(1566年)、
当主畠山義綱(はたけやまよしつな)が
家臣により追放され、

跡を継いだ義慶(よしのり)、
義隆(よしたか)も次々と亡くなり…、

わずか5歳の春王丸が当主の座についていました。

もちろん、5歳の子供に何ができるわけでもなく、
家臣の長続連(ちょうつぐつら)らが実権を握っていました。

信長の北陸侵攻が始まると、
七尾城内は意見が割れます。

「織田につくべきだ!」

「いやいや、謙信公こそ信ずるに足る!!」

しかし結局、長続連以下が主張する
親信長派が勝ち、能登畠山家は信長と同盟。

結果として上杉と敵対することになりました。

一方、
「上杉につくべし」と主張していた
家老・遊佐続光(ゆさつぐみつ)らは
不満をたぎらせていました。

「信長と手を組む?ばかな。
もはや能登畠山家はおしまいじゃ…」

謙信 七尾城へ侵攻

天正4年(1576年)11月、

謙信は
信長と同盟した能登畠山家を討つため
七尾城に侵攻してきます。

長続連は、

「徹底して、籠城戦を行う。よいな」
「ははーっ」

籠城戦を決め込みます。

こうして戦が始まりますが…

さしもの軍神謙信も
堅牢な七尾城には苦戦を強いられます。

12月に入っても城は落ちず、年改まって天正5年。

謙信 七尾城の孤立化をはかる

「これではキリが無い。
からめ手から七尾城を孤立させよう」

謙信は七尾城の直接攻撃を断念。
周囲の小城を落とし、
七尾城を孤立させる作戦に切り替えます。

熊木城、黒滝城、周囲の城は
次々と謙信に落とされていきます。

「ああ…やはり開城する他無いのか…」

籠城を続ける七尾城内に
重い空気が漂いはじめていました。

その時、

背後から思わぬ動きがありました。

北条氏政の侵攻

「なに!相模の北条氏政が攻め込んできた!」

長年上杉と敵対関係にあった相模の北条氏政が
上杉家の領土上野に侵攻してきました。

謙信は背後を突かれた形です。

謙信は北条氏政を討つべく、
いったん能登を離れ、
天正5年(1577年)4月、越後春日山城に戻ります。

第二次 七尾城攻略

「た…たすかった!
越後の虎は退いたぞ!」

包囲を解かれた七尾城がほっと息をつく暇も与えず
同年閏7月、

北条氏政を撃退した謙信は、
再び能登に侵攻、七尾城を包囲します。

城内の長続連らは再度、籠城戦を決め込みます。

しかし、今度の籠城は
前回のそれとはまるで状況が違っていました。

夏、まっさかりです。

照りつける太陽。

不足する飲み水。

食糧は腐り、城内には糞尿のニオイが立ち込め、
不衛生極まりないことになります。

ついに疫病が発生し、、
当主春王丸も病死してしまいます。

信長への援軍要請

「このままでは七尾城は落ちる…
信長殿に後詰めを要請しよう…」

長続連は子の連龍(つらたつ)を使者として
信長のもとに送ります。

しかし信長のほうでもすぐに援軍を送れる状況では無く、
いたずらに日数が経つばかり。

季節は夏から秋へと移っていきます。

内通者

一方、
謙信も焦っていました。

「これ以上 戦が長引くのはまずい…
将兵たちの体力も気力も、限界に来ている…」

そこで謙信は
城内に間者を送り込み、遊佐続光(ゆさつぐみつ)・
温井景隆(ぬくいかげたか)らに
寝返りを持ちかけます。

「お味方していただけるなら、能登畠山家の旧領と
七尾城を差し上げましょう」

もともと遊佐続光・温井景隆らは親謙信派であり、
反信長派でした。その上、
長きにわたる籠城戦で疲れ切っていました。

「わかりました。内部からお力添えすると、
謙信公にお伝えください」

九月十三夜

遊佐続光からの書状が
謙信のもとに届いたのが九月十三日の夜。

「よし!!」

勝利を確信した謙信は、
陣営の中で杯を傾け、高らかに朗詠しました。

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霜は軍営に満ちて 秋気清し
数行の過雁 月三更
越山 併せ得たり能州の景
遮莫(さもあらばあれ) 家郷 遠征を憶う
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●意味●

霜は軍営に満ちて、秋気が清清しい

雁がいくつかの列を成して飛んでいき、
月は真夜中の空に冴えわたる。

越中・加賀に加えて、今は能登の景色まで目の前にしている。
家族が私のことを心配しているだろうが…
ええい、そんなことはどうでもよいのだ。

七尾城 開城

遊佐続光は温井景隆、三宅長盛兄弟とともに
長続連・綱連(つなつら)親子を襲撃し、
一族100人余りを皆殺しにします。

そして九月十五日。

約1年間に渡る籠城戦の果てに
七尾城は開城しました。

こうして謙信は加賀・越中に加え
能登も支配下に置くこととなり、

「西へ…さらに西へ!」

信長との直接対決とばかりに
新たな遠征を計画しますが…

解説:左大臣光永

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