前九年合戦(二)安倍貞任と源頼義

襲撃

さて頼義が鎮守府での執務を終えて陸奥の国庁に戻っていく途中、一向は阿久利川(あくとがわ)のほとりで野宿をしていました。そこへ

きりきりきりきり…

ひゅん、ひゅんひゅん、ひゅん

ぐはっ、があっ、…ひひーーん

闇の中、何者かが矢を放ち、数人と馬数頭が射殺されてました。

翌朝。

「なぜ、こんなことになったのだ。敵はだれだ!!」

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部下が言います。

「安倍頼時の息子・安倍貞任(あべのさだとう)に違いありません。
先年、やつは身分もわきまえず、私の娘を嫁にほしいなどと
思い上がったことを言ってきたのです。当然私は断りました。
貞任はそれを怨みに思って、矢を射かけてきたに違いありません」

「おのれ阿部貞任…許し難い」

源頼義は怒りを募らせ、大軍を率いて衣川関に押し寄せたので、国中が頼義になびきました。

藤原経清・平永衡 義父を見限り源頼義につく

さて阿部氏の軍勢の中に、藤原経清という男がいました。今回のお話のキーとなる人物です。

藤原経清は都で権勢をほこった藤原氏ですが、政争に敗れて奥州に流されていました。しかし腐っても藤原氏。地方に行けばたいへん尊敬されます。え、あの藤原氏ですか。スゴいですねと。

だんだん居心地がよくなってきます。ここ奥州に骨を埋めようという気になり、土地の有力者・阿部頼時の娘を妻としていました。男子が生まれます。名を清衡(きよひら)と名付けました。

そんな中、国司源頼義と、阿部頼時との間で戦になったのです。

藤原経清としては、身を引き裂かれる思いがあったことでしょう。

安倍頼時は藤原経清にとっては義理の父です。義父さんと戦うわけにはいかない。 かといって、国司に逆らうということは、朝敵になることだ…

悩んだ挙句、藤原経清はやっぱり朝敵にはなれないと、阿部頼義の陣へ駆け込みました。

しかし、同じく阿部氏の陣営を抜け出して源頼義についていた平永衡(たいらのながひら)が、たいへん疑われていました。お前阿部氏のスパイだろうと。

とうとう、平永衡は一族四人ともども首をはねられてしまいます。

藤原経清 ふたたび阿部陣営へ

もう一人の娘婿・藤原経清はこの出来事を見て真っ青になります。

「ぶるぶる。源氏は容赦ない。疑わしいだけで首をはねるのか!
殺される。わしもいつか殺される!ここにいてはダメだ。すぐに逃げ出そう」

こうして藤原経清は源頼義の陣を抜け出し、ふたたび阿部頼時の陣へ戻りました。

源頼義 再任

その頃朝廷では、任期の切れた源頼義にかわって、高階経重(たかしなつねしげ)を新国守に任じました。しかし高階経重は、赴任先の陸奥国で内乱が起こっているときき、「そんな面倒なところに赴任するなんて、まっぴらだ」と、なかなか任地に下ろうとしません。

そのため、ふたたび源頼義を国司に任ずることとなりました。

「ふはは。これで安倍を一掃できるぞ。高階殿の臆病に感謝じゃ」

安倍頼時の最期

源頼義は陸奥守に続投が決まったことをひとまず一族郎党挙げて祝うと、朝廷に奏上します。

地元の俘囚たちを味方につけ、阿部頼時鳥海の柵にを攻めます。

頼時は大いに防戦に励むこと2日。

「うう…さすが体力が…」

その時。

ひょーーーう

すぷうーーーっ

「ぐ…はっ」

流れ矢が頼時を射ぬき、鳥海柵(とりのうみのさく)で戦死しました。

黄海の戦い

「それっ。大将は打ち取った。あとは息子の貞任のみ!!」

わーーーっ

鬨の声を上げ、ますます勢い上がる頼義軍千八百余人は、
貞任を打ち取るべく、攻め寄せます。

しかし貞任軍は精鋭四千名を率いて
河崎の柵を陣地としてね黄海(きのみ)に防ぎ戦います。

時に風や雪がたいへん激しく、道路の行き来は困難を
極めます。頼義官軍は食糧は乏しく、人も馬も
ともに疲れ果てていました。

そこへ容赦なく、新しい馬に乗った安倍氏の軍勢が
ドカカ、ドカカ、ドカカと弱り切った頼義軍に
襲い掛かります。

なにしろ敵は二倍の兵力。しかも見知ったる地元のことであり、
頼義軍は苦戦を強いられました。

「ぐはっ…もうダメだ」
「敵が強力すぎる」

ひょう…ずば。
ひょう…ずば。

頼義軍は、あそこにここに、阿部氏の軍勢によって
さんざんに打ち負かされます。

八幡太郎義家

その中に頼義の長男義家は、

「おのれ安倍貞任。われこそは源頼義が嫡男。太郎義家なり。
くらえーーーっ」

びょう、びょうびょう、

さしつめ、ひきつめ、散々に放った矢は一つもはずさず、

「ぐはぁ」
「ぐぎぇぇぇ」

次々と安倍貞任方を射ぬいていきます。

敵も味方もあきれ、恐れて、

「まるで八幡神の働きじゃ」

これより八幡太郎義家と呼ばれるようになったとか。

黄海の戦い・八幡太郎義家

時に風雪(ふうせつ)甚(はなは)だ励(はげ)しく、道路艱難(かんなん)たり。官軍食無く、人馬共に疲る。賊類は新羇(しんき)の馬を馳せ、疲足(ひそく)の軍に敵す。唯(ただ)に客主の勢(せい)の異なるのみに非(あら)ず、又寡衆(かしゅう)の力の別なること有り。

官軍大いに敗れ、死する者数百人なり。

将軍の長男義家(よしいえ)、驍勇(ぎょうゆう)倫(りん)を絶し、騎射(きしゃ)神(しん)の如し。白刃(はくじん)を冒(おか)して重囲(じゅうい)を突き、賊の左右 に出づ。大鏃箭(おおかぶらや)を以(もっ)て、頻(しき)りに賊の師(し)を射る。矢は空しく発せず、中(あた)る所は必ず斃(たう)る。雷(いかづち)のごとく奔(はし)り風のごとく飛びて、神武命世(じんむめいせい)なり。夷人(いじん)靡(なび)き走り、敢えて当たる者無し。夷人号を立てて八幡太郎と曰ふ。漢の飛将軍の号、年を同じくして語るべからず。

『陸奥話記』より

安倍貞任 勢いづく

そうこうしている内にも、源頼義軍はあそこに討たれ
ここに討たれ、気が付くと長男義家以下、わずか6騎。

「やむを得ぬ。退却、退却ーーー」

その夜。

「皆のものよく戦った。国司といえど恐れるに足らず。
この地はもとより我らのもの。何を遠慮することがあろうか」

わーーーっ、わーーーっ
「安倍貞任さま、ばんざーーい」

勝利の美酒に酔う阿部貞任軍。

その後はいよいよ勢いに乗り、各地で人民を使役したり、勝手に税を徴収したりしました。それも国司におさめる税ではなく、自分が、私的に徴収するものでした。

続き「前九年合戦(三)清原氏の参戦」です。

解説:左大臣光永

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