「徳川慶喜(八)第一次長州征伐」

こんにちは。左大臣光永です。

本日は徳川慶喜の八回目「第一次長州征伐」です。

元治元年(1864)7月19日「禁門の変」で長州は京都御所に押し寄せ、砲撃を加えましたが、薩摩・会津・新選組などにより破られ、撤退していきました。

すぐに長州を征伐すべきところ…しかし長州への処分はなかなか決まりませんでした。

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長州追討に向けて

元治元年(1864)7月19日、禁門の変

7月23日、
朝廷→慶喜「長州追討のため、将軍(家茂)は江戸を進発せよ」
諸藩「そうだそうだ!」

薩摩はいちばんの主戦論
戦の準備
将軍進発を強く求める

幕府「京都は危ないし…」ぐずぐず…
前尾張藩主徳川慶勝、征長総督に指名されるも固辞

横浜鎖港の撤回

京都から攘夷派が一掃されたのを機に横浜鎖港撤回をはかる

8月22日
幕府、イギリスに横浜鎖港の撤回(全開港)を通知

幕府の反動政策

文久以来、朝廷や諸般が口出ししてきた
幕府の権威がゆらいでいた
とりもどす!

参勤交代制の復旧、大名妻子の江戸居住を命じる

諸大名、反発

慶喜、幕府に嫌われる

・慶喜の護衛を解任
・老中(阿部正外、本庄宗秀)が兵を率いて上洛し慶喜を連れ戻そうとする
慶喜「いやです」

慶喜、将軍就任の野望を疑われることを避けて引きこもる

江戸の幕閣と京都の慶喜の溝、深まる

四カ国艦隊、馬関へ

8月5日、
英仏米蘭の連合艦隊十七隻
昨年の長州による砲撃の謝罪を要求
長州拒否、砲撃開始
長州の砲台が無力化されたところに陸戦部隊上陸

8月8日、
長州降伏

英「彦島を100年咀嚼させろ」
→高杉晋作のしゃべり
撤回
アーネスト・サトウ「戦争に負けたのに魔王のように怒って怒鳴っていた」

長州、幕府に300万ドルの賠償を押し付ける

長州、俗論派が勝利

徹底抗戦派(正義派)と、保守派(俗論派)の対立つづいていたが

9月25日、徹底抗戦派(正義派)の井上聞多が保守派(俗論派)に襲撃された(袖解橋(そでときばし)の変)
俗論派の勝利=恭順路線

長州への処分

11月、徳川慶勝、征長総督に就任
参謀格 西郷隆盛「長人を以て長人を処置させる」

岩国藩主吉川経幹(つねまさ)を間に立て、早期解決案

・長州藩主父子に罪状を提出させる
・家老三人(福原越後、益田右衛門介、国司信濃)を自刃させる
・三条実美らを長州外に追放
・山口に建造中の城を破壊

俗論派(保守派)、条件を容れる

12月27日、慶勝、独断で征長軍解体
慶勝は尾張に帰ってしまう

同時期、高杉晋作のクーデターで長州は「武備恭順」路線に

幕府主戦派「甘すぎる!」

慶喜「征長総督(慶勝)の英気は至って薄く、芋に酔い候は酒よりもはなはだしきとの説、芋の銘柄は大島とか申す由。実事に候や」

大島=西郷=薩摩の芋焼酎

まとめ

長州への処分は寛大なものとなり長州征伐は行われなかった。
しかし幕府主戦派の中には不満がのこった

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解説:左大臣光永