鹿ケ谷事件

院の近臣 不満を高める

平家一門が勢いを伸ばすにつれ、院の近臣たちは不満をつのらせていきました。

「まったく、この頃は何もかも平家の思いのままですよ」
「伊勢の田舎者が、都ぶりを真似して、滑稽な限りです」

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などと言い合い、日に日に危機感をつのらせていきました。その上清盛の血を引く高倉天皇が即位したのです。二条天皇崩御後勢いを失っていた天皇親政派が高倉天皇・平家と結び付けば、院はいよいよ勢いをそがれてしまいます。

「清盛のこと、なんとかせずばなるまい…」

それは、後白河法皇ご自身もお考えでした。そのため、清盛に不利な朝廷の人事を行いました。

延暦寺をめぐる駆け引き

一方で後白河法皇は、延暦寺と平家の対立を深めようと画策します。

この頃、院と延暦寺の関係は険悪で、たびたび延暦寺の僧兵が強訴といって都になだれこんでいました。一方、平家と延暦寺は親しく、座主明雲は親平家派であり、清盛と個人的にも親しんでいました。

法皇は延暦寺の武力勢力ともめた時、これは幸いと、清盛の弟経盛に鎮圧を命じます。延暦寺と平家との結びつきを断ち切り、両者をいがみあわせようとしたのです。

「それは…できませんッ」

兄清盛が延暦寺と協調路線を取ろうとしていることを知る経盛は、これを拒否しました。

「ええい。院宣を無視するのか。ならば直接清盛に命じるのみ」

こうして後白河法皇は、福原に隠居していた清盛を召し出し、延暦寺攻撃を命じます。

「やれやれ…どうしたものか…」

清盛はしぶしぶ上洛しますが、延暦寺を攻撃するなど、考えられないことです。若い頃、祇園社の神人たちともめて以来、清盛は寺社勢力の恐ろしさ、やっかいさを身に染みて知っています。だからこそ、長い間延暦寺とは協調路線を取ってきたのです。

後白河法皇が平家と延暦寺の仲を裂こうとして攻撃を命じたことを清盛はよくわかっていました。だから清盛は気がすすまず、軍勢を集めただけで動かせずにいました。できればこのまま延暦寺と院が対立を続けるのを傍観していたい…ええい、こっちに関わってくるなという気持ちがあります。これが治承元年(1177年)5月28日の状況です。

発覚

翌日、事態が一変します。

「なに!平家をつぶすだと!」

「はっ…院の近臣たちが、夜な夜な東山の俊寛僧都の館に集まり、
そのような密議をしております」

「ぐぬぬぬ…」

多田蔵人源行綱が、院の近臣たちに打倒平家の計画があることを、清盛に密告してきたのでした。

「関係者を捕えよ!!」

清盛は怒りにふるえます。

6月1日早朝。西光法師を召し取って八条(西八条?)の館で尋問します。また藤原成親をほとんど捕縛に近いもてなしで召し取って監禁します。西光法師は尋問の末、関係者全員の名を白状しました。一番の黒幕が後白河法皇であることも。

「なんということだ…ッ」

『平家物語』によると西光法師は尋問を受けて清盛を口汚くののしったため、その口を割いてしまえッ、メキッ、メキメキッ、バカーーンと顎を引き裂かれたといいます。そのまま事実とはいえませんが、かなり残酷な仕打ちをされたことでしょう。

鹿谷の陰謀

東山鹿谷の俊寛僧都の別荘に、院の近臣たる藤原成親・康頼らが集まり、夜な夜な平家をたおす密議を重ねていたというのです。そして平家打倒のための武力として源行綱を巻き込んだものでした。

といっても、具体的な計画があった様子はなく、酒を飲んで不平を述べ合う程度のものだったよすうです。酒を入れるとっくりのことを「瓶子」といいますが、その「瓶子」に袖をひっかけて倒し「あいや、瓶子が倒れた」などとたわむれている様が『平家物語』には描かれています。

「こんなことでは、とても平家に太刀打ちできない」

そう判断し恐れをなした源行綱の密告によって、事件が露呈したのでした。

延暦寺の申し出

「そうか。いよいよ平家と院で戦になるか。
ならば我々延暦寺は、平家の味方をせずばなるまい」
「その通り」「法皇、討つべし」

すぐに延暦寺は平家に使いを立てます。

「院と戦になった時は、延暦寺は平家の味方です」

「うむ…ありがたいことよ。しかし…もはや
院に平家にたてつく力は残っていまい」

清盛の予想通り、院はなりをひそめ、戦は起こりませんでした。

事後処理

事件の黒幕が後白河法皇であること明白でしたが、清盛は法皇に対し何も咎めませんでした。『平家物語』には、長男の重盛が清盛をいさめた名場面が描かれていますが、そういうこともあったかもしれません。

西光法師はその日の夜、首を斬られ、西光の子の師高・師経も殺されました。藤原成親は備前国に流しとなりました。成親の子の成経・僧俊寛・平康頼は九州南の喜界が島に流されました。

この事件の首謀者成親は重盛の婿であり、成親の子の成経は平教盛の婿でした。平家一門の縁者から裏切り者が出たのです。しかも事件の黒幕は今まで平家が身を粉にして仕えてきた後白河法皇。

「まったく…なんということだッ」

清盛は、忸怩たる思いだったことでしょう。

つづき「治承三年の政変」

解説:左大臣光永

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