毛利輝元(四)第一次木津川口の海戦

こんにちは。左大臣光永です。子供の日も終わり、ゴールデンウィークも終盤となりました。いかがお過ごしでしょうか?

私は先日、加藤清正公を祀る熊本の本妙寺に行ってきました。石段沿いに並ぶ石灯籠が、粉々に壊れていて、震災の傷跡が生々しかったです。

しかし本堂(浄智廟)から裏山の加藤清正像に続く300段の石段は、健在でした。300段。大変です。普通に登るのもヒィハァ息切れるんでずか、ウサギ飛びで登ってる人がいて、頭が下がる思いでした。

さて。

先日新発売しました「聴いて・わかる。日本の歴史~下剋上と戦国時代の幕開け」大好評をいただいています。ありがとうございます!
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さて本日は「毛利輝元(四) 第一次木津川口の海戦」です。

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足利義昭 鞆へ

天正4年(1576)。足利義昭は2年間過ごした由良を後にし、瀬戸内海を西へ。

毛利氏を頼って備後鞆(とも)に亡命します。

足利義昭、鞆へ

広島の鞆は鞆の浦とも呼ばれ、瀬戸内海に突き出した半島です。古くから港町として開かれ、瀬戸内海を行き来する船の中継点。海上交通の要衝でした。

ここ鞆の地に義昭は落ち着き、御所を築きます(鞆幕府)。以後、義昭は鞆の地から各地の大名に精力的に御内書(手紙)を送り働きかけます。

「信長を討て。そして余を上洛させよ」と。

しかしですね。

足利義昭は勝手に亡命してきたんです。

そちらに行くから、良きに計らえ。そんなことだけ言って。一方、毛利輝元は信長との直接対決を避け、中央の権力争いが毛利領に及ばないように、考えてきたのに。

しかも、安国寺恵瓊との約定で、「毛利領へは亡命はしない」と義昭は約束していたんです。その約定を足利義昭は無視して、毛利領に亡命してきたんです。毛利氏にとっては、はた迷惑な話です!

何しろ信長はもう足利義昭なんか、屁とも思ってないですが、足利義昭が毛利を頼ったとなると、信長にしてみれば、毛利を討つ大義名分が出来るわけです。

それまで毛利と織田は山陽道で宇喜多直家・浦上宗景の代理戦争という形で険悪な空気になってはいましたが、それでも表面上は友好関係を維持したままでした。

宇喜多直家・浦上宗景
宇喜多直家・浦上宗景

それが!迷惑な客人・足利義昭によって大変なことになってしまった!毛利氏にとっては寝耳に水だったことでしょう。

足利義昭の考えていたプランはこうでした。

中国の毛利氏と、越後の上杉氏が共同戦線を張って、また本願寺とも連携して信長を亡ぼし、しかる後に、晴れて上洛を果たす

…足利義昭はそんな絵図を描いていました。

頼られた毛利氏・上杉氏にとってはハタ迷惑な話です。

本気で考えているのは義昭だけで、周りの人々には実現不可能な夢物語と映っていたことでしょう。

しかし!

意外にも、義昭の思った通りに情勢は進んでいきました。

信長 対 本願寺 天王寺砦包囲される

天正4年(1576)5月、大阪にて信長軍と本願寺の戦いが行われます。信長と本願寺は過去二度の講和を結んだとはいっても、それは表面上のことで、本願寺顕如は「いつかは信長との全面対決は避けられない」という構えでした。

大阪の本願寺には雑賀衆が詰めて臨戦態勢を整えていました。

「生意気な本願寺め」

信長もやる気満々でした。

この年の4月 信長は塙直政(ばん なおまさ)・明智光秀・荒木村重・細川藤孝4将に命じて、大阪・石山本願寺を包囲させます。

石山本願寺は大阪湾に沿った海岸線上にいくつもの砦を築いて守りとしていました。これを潰さなくては本願寺攻めはならない。 信長は先鋒として塙直政に三津寺砦(みつでらとりで)の攻撃を命じます

「塙直政、三津寺砦を落とせ」
「ははっ」

激しい銃撃を受けてバタバタと倒れて行き、三津寺砦攻めは完全な失敗に終わりました。

「おのれ生意気な雑賀衆め
塙直政これにあり」

ドカカ、ドカカ、ドカカ、ドカカ

突っ込んでいくも、

パパーン、パパパーーーン

大将の塙直政も打たれてしまい、三津寺砦攻めは完全な失敗に終わります 

「敵は怯んでいるぞ!一気に天王寺まで攻めろ!」

「南無阿弥陀仏」

「南無阿弥陀仏!」

勢いを得た本願寺軍は、織田方の拠点・天王寺砦にまで迫り、天王寺砦を包囲しました。

「なに!天王寺が包囲された!」

京都でこの知らせを受けた信長は、ありあわせの軍勢を集めて天王寺へ向かい、なんとか本願寺勢は撤退させたものの、味方にも大きな被害が出てしまいました。

「どこかに、たかが寺、という油断があった。
しかしそれは間違いであった。
本願寺は徹底して潰さねばならぬ」

信長は決意を固めました。

これが天正4年(1576)5月はじめのこと。

第一次木津川口の戦い

その後、信長は破壊された天王寺砦をすぐに再建し、筆頭家老・佐久間信盛を置きます。また本願寺の周りに10の支城を築きます。住吉の浜には和泉水軍を置き、海上警備に当たらせました。

ところが2ヶ月後の天正4年(1576)7月13日、信長にとって予想外のことが起こります。

「む!敵影!敵影!!」
「なに?敵だって?どこの敵だ?」

毛利方の村上水軍が、800艘を率いて瀬戸内海を東に向かってきたのでした。迎え撃つ信長方・和泉水軍は300艘。あわてて出撃し、毛利・織田、双方の水軍は木津川口にて向かい合います。ここに、史上初の毛利・織田の戦いが始まろうとしていました。第一次木津川口の戦いです。

ドーーーン、ドーーーン

ぐはああああぁぁぁぁぁぁぁ

ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

始まってみると毛利の村上水軍は数においても装備においても遥かに勝り、次々と織田方の和泉水軍を打ち破っていきます。毛利方は

ばっ、

炮烙(ほうらく)という陶器の玉の中に火薬をつめて導火線を出したものを放ち、これが織田方の船に着弾すると、

ドカーーン

ボカーーーン

一たまりもなかったです。

ごおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーー

あちらでも、こちらでも、燃え上がる和泉水軍の船。

「これはッ…とても戦どころの話では無いッ!!」

完全な、織田方惨敗でした。

「やった我らの勝利だ。村上水軍に敵無し!」

ワアアアァァァーーーーーッ

村上水軍は大いに士気上がり、同盟を結んでいる本願寺に食料を運び入れた後、ゆうゆうと引き上げていきました。これが天正4年(1576)7月13日。第一次木津川口の戦いです。

毛利氏 動く

「木津川口で織田の水軍を撃破!!」

「やった!ついにやった!」

備後鞆で知らせを受けた足利義昭は小躍りして喜びます。さっそく越後春日山城に御内書を送り、

「今こそ上杉と毛利と、東西両方から織田を討ち、私を帰洛させてくれ」

と呼びかけます。

毛利氏にとっても今回の織田軍敗れるの報告は、気持が動くに足るものでした。

「これは…信長はそれほど恐るべき相手ではないのではないか。
いけるのではないか」

毛利輝元・吉川元春・小早川隆景の毛利両川は、毛利元就の遺言により天下を狙う野心は持っていませんでした。

しかし、一番の障害である信長が、これほど脆いのであれば、やれるのではないか?むしろこのまま座して何もしないでいれば、近いうちに信長が全国制覇の野心によって、毛利を潰しにかかってくる。

その前に、こちらから攻め込んでやれと、決意が固まったのがこの頃かもしれません。

中国戦役の始まり

信長にとって、毛利が歯向かってくるのは願ってもないことでした。長年にわたり、信長は注意深く毛利討伐の口実を探していました。

そこへ、足利義昭が毛利領に逃げ込んだ。しかも毛利輝元は義昭を支持している。これは織田と毛利の間に交わされた約定違反でした。さらに木津川口での毛利水軍の軍事行動です。

ここに至り信長は、

「中国を攻める。猿!」

「ははっ」

「お前を中国攻めの大将軍に任じる。無事中国を平定したあかつきには…
恩賞は思いのままぞ」

「いいえ殿、中国はおろか、九州までも平定してみませす。その後は大船を作って、朝鮮・明国までも征伐しましょう。そこまでやって初めて恩賞をください」」

「こやつ。相変わらず調子のよいことよ」

(『名将言行録』)。

こうして中国戦役の火ぶたは切って落とされました。

黒田官兵衛

天正5年(1577)10月、羽柴秀吉は姫路城に入ります。

「官兵衛、元気にしておったか」
「殿、お久しぶりでございます」

姫路城城代・黒田官兵衛はこころよく秀吉に本丸を譲り、みずからは二の丸に移ります。以後、官兵衛は秀吉の参謀となります。

もともと官兵衛は織田信長を高く評価し、何とか信長に仕えたいと思ってました。そこで官兵衛は主君・小寺政職(こでらまさもと)に信長に仕えるよう説得し、さらに秀吉の仲介で、岐阜城にて信長に謁見。名刀「へし切長谷部(へしきりはせべ)」を授かっていました。

今回、官兵衛が秀吉に姫路城を快く提供したのは、そういった背景があってのことでした。

こうして毛利 対 織田の直接対決は、いよいよ目前に迫ってきました。

次回「毛利輝元(五)山中鹿之介の運命」に続きます。お楽しみに。

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本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

解説:左大臣光永